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壊れる学校

部外者が電話してそれを晒すことはよろしくないとは思うけれど、ここまでやらざるを得ないほど学校が腐り散らかしているということ。

「外したくない子の気持ちも尊重しないと」

この狂い方は完全に終戦間際の日本のそれである。
外したくない子の「外したくない気持ち」がこの2年間の実質強制から生まれているという自覚があれば、こんなこと言えるわけがない。
休校中にゲームにハマり、ゲーム依存のレベルにまでなった子に「ゲームしたい子の気持ちを尊重して」と言うのだろうか?

2020年に小学生になった子は「マスクを着けずに学校に行ったことがない」のだから、マスクをしないのが普通であることをどうやって教えるか考える必要があるが、その前に大人の謝罪が必要だ。

本当は登下校中も授業中も咳エチケットで良かったのに着けさせてごめんなさい。
本当は大声じゃなければ喋って良かったのに黙食させてごめんなさい。
大人が率先してパニックになってごめんなさい。

僕は大学が教育学部だったので、卒業して教員になった子は周りにたくさんいた。その大学の特徴もあっただろうが、教員になった子はもれなく「まじめ過ぎる、純粋過ぎる、常識を疑わなさ過ぎる」子ばかりだった。

あるゼミの時間。僕が昔不登校だったことを知っていながら「コミュニケーション能力を養うためにも学校には行くべき」と発言する子がいた。
「普通に学校に行き、コミュニケーション能力とやらを身につけた大半の人間で構成されているはずの今の社会が、なぜこれほどギスギスして息苦しいのか」。当時は何も言い返せなかったが、今会えるなら聞いてみたい。

今もみんな現役で教員なのかわからないけれど、やっているなら「感染対策が必要だとまじめに信じ、感染対策が有効だと純粋に信じ、それを教えるのが子どものため」だと思って奮闘している様が目に浮かぶ。

脱マスクには謝罪が必要だと書いたが、謝罪なしで「感染対策にはバランスのとれた食事と十分な睡眠が大切だ」、「マスクよりもそれらが大切だと前から思っていた」と言う教師が現れたなら、鮫島伝次郎先生と呼ぼう。

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