見出し画像

未接種バイオテロリストが今思うこと2

結局僕のお客さんの中で3回目を接種した人は5割ほどにとどまった。
3回目はやめましたという人に「そもそも1回目はなんで打ったのか」と聞いて「職域接種だったんで」と返されることがある。答えになっていないのだけれど、会社が健康診断に行けというから行くのとほぼ同じ感覚だったのかもしれないと感じた。
1、2回目は会社がすべて段取りしたという人にとって、自分で予約が必要になった3回目になって初めて「自分に接種が必要かどうか考えなきゃいけない状況」に直面したわけだ。

ワクチン忌避者には正しい情報が行き届いていないという。
たしかに荒唐無稽なデマを信じて打たない人には正しい情報が行き届いていないかもしれない。でも、自分に必要かどうか考えずに職域接種会場に向かった人に正しい情報が行き届いていると言えるか?接種券に同封されている説明書を読むと「打つのが怖くなるから読まない」という人に正しい情報が行き届いていたとはとても言えない。説明書を読まずに飲み薬を服用する人はいないでしょう。でも正しい情報が行き届いてなくとも接種は出来るのだ。

正しい情報とか、正しく恐れるって結局なんだったのか。

マスクにしてもそう。
「屋外では医学的に必要なかった」と最近になって言い始め、屋内でも喋らない授業中や図書館でも必要なかったというが、医学的に不要なので素顔だった人が道で睨まれ、怒声を浴び、着けろ着けろと言い過ぎたせいで子どもがマスクを外せなくなっている。

マスクの着用をお願いしてよかったのは百歩譲って病院だけだったと思う(本来は病院でも咳エチケットで十分)。スーパー、服屋、あらゆる店がマスクの着用をお願いしたけれど、厚労省は「症状があるけどやむを得ず出かける際はマスクの着用を」と言っている。無症状でも着けろとは言っていないので、「未着用の方入店お断り」などもってのほか。それはさすがにやり過ぎでしょということさえわかならくなるほどのパニックだったのだ。

厚労省HPより

任意のワクチンが「その時の空気で実質義務」になり、医学的に正しくないマスクの使い方であっても「その時の空気で使用を求められる」。ワクチンもマスクも義務化しないことは日本の良いところだけれど、「空気で実質義務にできる」のは義務化した状態より危険なことだ。

本来正しくないことでも圧倒的多数になれば正義となり、何ら悪者でもない人が悪者にされる。そして悪者にされる人をかばう人がほとんどいない。普段差別や人権に敏感なはずの人たちが一斉に口を閉ざし、対話することさえやめたのだ。

印象的だった出来事がある。
昨年12月頃、学校現場の規制をそろそろ緩めてはどうかとSNSに投稿した人に対して「まだ早い」とコメントする人がいた。こういう反応をする人は基本的に言いっぱなしで、その後も「まだ早い」と思い続けているのか「もう緩めても良い」と思うようになったかは表明しない。その結果、「対話のなかった2年間に一石を投じても批判される様子」を見た人は萎縮し、規制を緩めるべきだと表明する人は増えず、正常化への道が停滞し続ける。

心の底からうんざりした。
その上に「写真撮影時のみマスクを外しています」みたいな一言を投稿の最後に付け添える人を見ると気を失いそうになる。タレントでもない一般人が何を恐れているのだろう。


政府が屋外では外してねと言い始めて、手首にマスクをひっかけて歩く人があからさまに増えた。良いことなんだけど、結局自分で考えて選択したのではなく「政府が良いよと言ったから」外す。お上の許可がなければ動けない人が可視化されているようで素直に喜べない。

不要の場所でマスクを着けている人が多過ぎて外したい人が外しにくい。
ベビーカーに乗っている子どもがマスクを着けている。
任意のワクチンを接種しない人が嫌がらせを受けて退職する。

こんなことが起こったのだ。
出来るだけポジティブな文章で終わりたいといつも思うのだけど、今回は「心の底からうんざりした」で終わる。こんなことが今も起こっているのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?