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埴谷・吉本、コム・デ・ギャルソン論争へのメモ(2014.11.29)

埴谷雄高は「政治と文学と」『海燕』において吉本隆明が「コム・デ・ギャルソン」の服を着ることが「高度資本主義」の「ぶったくり商品」であるアメリカ帝国主義を肯定することであり、それは吉本が米ソの核へ文学者たちが反対の署名をしたことを否定していることと合わせれば問題があるとした。
吉本はコム・デ・ギャルソンがアメリカ帝国主義とは関係がなく、第三世界を搾取していない、賃労働をしている読者がこの雑誌を読めるほど消費社会によって豊かになったという(「重層的な非決定へ」)。そして、埴谷の『死霊(しれい)』も立派な商品であると。
カルチュラル・スタディーズにおける「商品」の「領有appropriation」による抵抗という実践が日本に紹介されていたら、また違った議論もされていたかもしれない。ミシェル・ド・セルトーというかシチュアシオニストは60年代から実践してたのだけど日本には未紹介だったのかな。
しかし前提として、ギャルソンの服は余りにも高すぎますね。

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