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新書執筆日記20240125

戦後日本文化の研究をしていると、フォークソング運動に関しては<68年>というより69年から70年が重要な転換点であったことがわかる。これは博論構想では考えていたがテーマではなかったので(つまり歴史の評価をする論文ではなかった)、明確には書いていなかったと思う。

メモ
一般論ではないかもしれないが、機会はいきなりやってくるのではなく、兆候があって準備が必要だということ。兆候をsymptomとしてアルチュセールは方法において位置付けながら革命というような歴史変動を考えていた。個人である主体が運動するというより大衆というかたまりと構造的な変動であったので、「主体も目的もない過程」と言われるのだろうが*。
後付けで意味をつけることは出来るが、巻き込まれている状況を把握するには勘のようなものを働かせないといけない。というようなことを、最近のスキャンダルを見ながら思う。人間関係は状況と深く関係している。
ギデンズは再帰性により状況を把握する方法を考えていたと読むことが出来るだろう。モダニティ論を読んでみても、時代診断は状況の把握である。サルトルはどうだろう。

*粟谷「空間,文化,運動――カルチュラル・スタディーズと空間の社会理論のために」『現代社会理論の変貌』

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