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ベンゾジアゼピン・コラム - 精神科医の嗜みとしての減断薬 [Free full text]

Abstract

Benzodiazepines (BZDs) are widely used for anxiety and sleep disorders due to their rapid efficacy. Despite their benefits, the potential for dependence and withdrawal complications, particularly with long-term use, poses significant challenges. This article explores the fine balance between their clinical utility and the associated risks. Misconceptions about BZDs often lead to their complete avoidance, which may not always be necessary. Instead, informed consent, careful management, and gradual tapering are crucial for reducing withdrawal risks and ensuring optimal therapeutic outcomes.


僕は「アンチ・ベンゾジアゼピン」の精神科医ではない。SNSにおいてもnoteにおいてもベンゾジアゼピン受容体作動薬(以下ベンゾジアゼピン)の負の側面についてしばしば言及しているが、睡眠薬・抗不安薬としてのベンゾジアゼピンの使用に絶対反対の立場ではない。使い方さえ誤らなければ、ベンゾジアゼピンは優れた治療選択肢であるとさえ思っている。

かつて(あるいは現在でも)ベンゾジアゼピンの処方は時にあまりに野放図であった。ベンゾジアゼピンの不適切使用に起因する副作用や離脱症状が社会問題となり、それに対する反動として規制が強化され、一部の医療者や患者によるベンゾジアゼピン忌避が起きているのが現状だ。それでもなお、ベンゾジアゼピンは広く処方され服用されている薬剤群ではあるのだが。
しかしベンゾジアゼピン忌避からの揺り戻しは起こるであろうというのが僕の予想だ。歴史的に不適切な用いられ方をしてきた経緯があるからといって、今後はいっさいベンゾジアゼピンを使用しないというのも極端に過ぎる態度だろう。おそらくそこから逆の方向への動きが起こりつつある。望むらくはちょうど良いところに収まればよいと思う。

J Clin Psychiatry 2023; 84 (6)に掲載されたこちらの論文の中で、著者のEdward Silbermanは、昨今のベンゾジアゼピンに対する規制には、ベンゾジアゼピンが適応疾患に対して適切に用いられた場合の有効性と安全性に関する広範なエビデンスがほとんど反映されていないと主張している。不安障害に対しては、急性期治療のみならず年単位の維持療法においてもベンゾジアゼピンの有効性と安全性は確認されているというのがSilbermanの立場のようだ。

超訳するならば、生活のストレスから生じる現実的な苦痛を緩和する目的でプライマリケアにおいてベンゾジアゼピンを処方されている患者群と、精神科医によって不安障害と診断され適切な治療環境下でベンゾジアゼピンを処方されている患者群を同列に扱うべきではないとSilbermanは述べている。後者においてはベンゾジアゼピンは急性期治療および長期維持療法の両方に適している可能性があるという(この論文に対して、Breanna SiglerらがLetter to the Editorでやんわり反論し(共著者のSilvernailとBressiは"Alliance for Benzodiazepine Best Practices"の中の人である)、Silbermanもまたそれにガチ反論するという応酬がなされていてそちらも読み応えがある)。

わが国では2014年以降、ベンゾジアゼピンの処方剤数や処方期間を制限し、「適正利用」を推進することを意図した診療報酬改定が厚生労働省主導で複数回に渡って行われてきた。しかしその効果は明確には現れていない
高江洲らは「医療者・当事者ともにベンゾジアゼピン受容体作動薬の減薬・中止を望んでいるにも関わらず、減薬可能な症状や病態や、減薬の適切な時期、そして具体的な減薬法に関する適切な知識がないことや医療者間、医療者と当事者間での十分な話し合いができていないことにより出口戦略の実装化がなされていない」ことをその理由として挙げている(「令和3年度厚生労働科学研究費補助金(21GC1016)総括研究報告書」より引用)。
しかし僕はこの高江洲らの論考はベンゾジアゼピン規制がうまくいっていない現状の説明にはなっていないと思う。
出口戦略が無いならそもそも入り口をくぐらなければ良いだけだ。大多数の臨床医がベンゾジアゼピンを、有効性が低く、副作用や依存性・離脱症状といったリスクは高い薬だと評価しているならば、最初からベンゾジアゼピンを使わない選択をするだろう。患者さんにしても「効果は見込めないが副作用はある。さらに依存性があり止めたら離脱症状が現れる」と説明されてベンゾジアゼピンの服用を承諾するとは思えない。そのように考え患者さんに説明しベンゾジアゼピンを処方しない医師の部分集合が存在することは承知しているが、全体としてベンゾジアゼピンの処方が減っていないのであれば彼らは影響力が少ない少数派であるということなのだろう。

Silbermanほど確信犯的かどうかはともかく、その相対的な有用性をポジティブに評価してベンゾジアゼピンを処方している臨床医(精神科医も含めて)は日本でも少なくない――むしろ多数派なのではないかと僕は考えている。規制にも関わらず減らないベンゾジアゼピンの処方は、そうしたサイレント・マジョリティによる無自覚な抵抗運動の結果なのではないだろうか。

ベンゾジアゼピンは定義によっては安全な薬だが、その最大の利点は有効性にある。実際のところベンゾジアゼピンは良く効く薬だ。
不眠や不安に対する速効性があり、打率が高い。服用したほとんどの患者さんが、服用してすぐに、はっきりと自覚できる薬効を体験する。このような薬は精神科領域では珍しい。例えばうつ病に対する抗うつ薬の効果量や奏効率、効果発現時期と比較するとベンゾジアゼピンのそれは際だって見える(STAR*D試験では、第一選択の抗うつ薬による治療に反応する患者は全体の46.8%で、反応が認められるまでの期間は5.5週間、寛解に至る患者は全体の36.8%であったことが報告されている。16.3%の患者は副作用のために第一選択の抗うつ薬を継続できなかった)。
安全域(有効量と中毒量の間の差)が広く、過量服用しても中毒症状や死亡に至るリスクが低い。もちろん脱抑制・奇異反応や前行性健忘といったハイリスクな副作用が現れる、体質的にベンゾジアゼピンが合わない患者さんはいる。しかしそれはどのクラスの薬にも言えることだ(悪性症候群や賦活症候群を起こしやすい体質のために抗精神病薬やSSRIを使用できない患者さんは一定割合いる)。
問題は依存性や離脱症状で、その発現確率や重症度には個人差が大きく、ある患者さんが減断薬によって強い離脱症状を呈する方であるかどうかはベンゾジアゼピンの開始以前、服用中にはわからない。ハイリスク群を事前に特定することができないのだ。

有効で安全な薬であるならば、適応疾患に対してベンゾジアゼピンを処方することそのものは問題視されるべきではない。ベンゾジアゼピンには一般的な意味での副作用に加えて依存性/離脱症状という不確定要素が伴うが、それ故にベンゾジアゼピンという治療選択肢が、期待される利益に拘らず棄却されるべきなのだろうか。それは医師が一方的に下すべき決断ではない場合も多いはずだ。
ベンゾジアゼピンの処方にまつわる最大の疵は、処方開始時に医師-患者間で十分なコミュニケーションが取られず、適切なインフォームド・コンセントが行われていないことだと僕は考えている。多くの患者さんは、依存や離脱症状のリスクについて十分な説明を受けないままベンゾジアゼピンを服用している。

我々が行った調査ではベンゾジアゼピンの乱用・依存の患者の約84%が、一般精神科治療の中で依存か乱用が合併しています。これは医原病といってよいでしょう。
しかも合併した患者さんたちのうち初めてベンゾジアゼピンを処方されるときに依存性について医者から説明を受けている人は32%しかいないんです。ですからそれを医療者はきちんと説明する事が必要だと思います。

一般社団法人 医薬品適正使用・乱用防止推進会議 オピニオンリーダーとの対談 第2回 国立精神・神経医療研究センター病院精神科医師 松本俊彦先生  

ベンゾジアゼピン薬害被害者と自称するアカウントがSNSで「離脱症状について説明を受けたらベンゾジアゼピンを飲む人なんていないはずだ」と発言しているのを観測することがあるが、これは逆生存バイアスにすぎない。
依存性と離脱症状について説明されても服薬を選ぶ患者さんは実際には少なくない。理性的に利害得失を秤にかけて決断する患者さんから、とにかく不眠や不安をなんとかしたい切羽詰まった患者さんまで濃淡はあるが。
だから医師の側が先回りして「依存性があるベンゾジアゼピンという危険な薬」を治療選択肢として患者さんに提示しないこともまた適切ではない。

結局、ベンゾジアゼピンの処方においてはそれに先立つインフォームドコンセントがとても重要ということになりそうだ。医師は期待できる効果とともにベンゾジアゼピンの副作用、そして依存や離脱症状のリスクを十分に理解し、患者さんはそれを承知した上で治療を受けるべきだろう。
処方医はまた、離脱症状を起こしやすいサブグループがあること、そしてそれを事前に特定する方法がないことも説明しなければならない。これは患者さんの判断を難しくする情報ではあるかもしれないが、避けて通るべきではない。患者さんの「依存性や離脱症状の問題があってもベンゾジアゼピンを服用したい」あるいは「たとえ確率が低くてもそのようなリスクは受け入れられない」というどちらの選択も処方医は受け入れる準備ができていて然るべきだ。また、患者さんの自己判断に責任を丸投げするのではなく、病状との兼ね合いでベンゾジアゼピンの利害得失を説明し分けることができなければならない(Silbermanが述べるところの「生活のストレスから生じる現実的な苦痛を緩和する目的」でのベンゾジアゼピンの処方に関しては、この観点からかなり厳しめの説明がなされるべきだろう)。

そして医師――特に精神科医は、患者さんに依存が生じてしまった場合でも離脱症状を最小限に抑えて減薬するための知識と技術を身につけておく必要がある。それによって患者さんの治療選択肢を広げることができるからだ。減断薬する手段の有無次第でインフォームドコンセントの内容は異なるものになるはずだからだ。先に引用した拙noteで述べたようなベンゾジアゼピン忌避派の医師達が、減断薬の方法を知らないがゆえにベンゾジアゼピンを処方しないのであれば、それはそれで誠実な態度なのかもしれない。

オレキシン受容体拮抗薬がベンゾジアゼピン系睡眠薬に置き換わりつつあるのはベンゾジアゼピン系睡眠薬に準じるレベルの催眠効果があって、それでいて安全性は高い(とされている)からだろう。アザピロン系抗不安薬が臨床において空気になっているのは安全ではあっても有効ではないからだ。
薬が第一選択かそれに近い位置付けで用いられるためには、何よりまず有効でなければならない。
将来的には、ベンゾジアゼピンと同等かそれ以上の催眠・抗不安作用を有し、同程度に速効性があり、副作用が少なく、しかし依存や離脱症状の起こらない薬が開発されるかもしれない。ベンゾジアゼピンが駆逐されるのはその時だろう。その実現を切に願う。
しかし当分の間はベンゾジアゼピンは精神科薬物療法において一定の地位を保ち続けるだろうと僕は考えている。わが国でも欧米でもベンゾジアゼピン忌避からの揺り戻しが起きているのだとすれば、それはベンゾジアゼピンの有用性のためではないか。
ただし、ベンゾジアゼピンを正しく使うためには、ベンゾジアゼピンを正しく止める方法を知っていなければならない。
だから僕はベンゾジアゼピンの減断薬について知識を修得し、技術を磨いている。ベンゾジアゼピンを治療選択肢として患者さんに示すためには、時に暴れ馬ともなりうるこの薬物の御し方を心得ている必要があるからだ。

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