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谷あいに暮らす

春の訪れを感じる東京から、まだまだ冬の厳しい寒さが残る長野に越してきたのはちょうど二ヶ月前の頃。
当時はまだ氷点下を下回る気温が続き、蛇口から氷柱が顔を覗かせる日もあった。
谷あいに位置する影響なのか、電波は弱く、建物の中や屋根の下に入ると圏外になることもしばしば。
周囲には人が暮らしている民家はなく、あるのは広大なレタス畑と高原を走る小海線、そして日本海へ続く千曲川の源流。

そんな都市の生活とはかけ離れた場所に僕は暮らしている。

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地表に芽吹く新たな緑

こっちに来て始まったこと、それは土地の整備だった。
落葉の時期に大量に落ちた枯れ葉をかき集めることから始まった。
69,000㎡に及ぶ広大な土地を大人3人で整備するのだから…それはそれは果てしない作業だった。

当時は軽トラもなく、集めた枯れ葉を一輪リアカーに乗せて運び続ける。手にはたくさんの固い豆ができる。野球部以来だ。

集めた枯れ葉を次はなくなるまで焼却炉で燃し続ける。
燃焼効率を上げるために、さまざまな工夫をしながらひたすら燃し続ける。
夜はビール片手にただただ燃やす。
毎日のように火をみても飽きないのが不思議。


枯れ葉をかき集めることで、地表に太陽の光が届くようになった。
光を受ける地表からはぞくぞくと新たな植物が芽吹き始めるのだ。
「そろそろ春が訪れるのかな」そんな小さな小さな緑の息吹を感じる瞬間でもあった。

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落葉の時期を終えた木々は春に向けて地中から水分を吸収し始める。緑を生やすためだ。
木を伐採すればわかるが、切れ目からは大量の水が滴り落ちてくる。
薪用にする木を伐採するのは水分を吸収しなくなる冬の時期がベストだ。ということもその時初めて知った。

なるべく乾燥している原木を選定し、薪を作る作業に移る
薪の長さが決まっているので、それに合うよう長さを測りチェーンソーで切り続ける。
もちろん、チェーンソーを使うのは初めて。エンジンの掛け方から切り方まで手取り足取り教えてもらいながら扱えるようになった。

必要な長さに切った原木は薪割り機にかけて割り続ける。
本来はそこから1年ほど乾燥させ、木の水分を十分に飛ばす必要があるが、今は時間がないので数ヶ月間乾燥させてから販売している。(なので、ちょっとだけ生木です。)

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この冬はひたすら木を切り続け、薪を作るシーズンになりそうだ。

季節の移り変わり


遠くから聞こえる野鳥の鳴き声、冬には聞かなかった鳴き声だ。
気温が暖かくなり、土が凍らない季節の訪れを知らせてくれるカッコウ。
カッコウが鳴き始めたら土が凍らなくなるので野菜の種を撒く。そんな風習があるみたいだ。

林道を歩いていると、遠くの方に小さな生き物たちの影がみえる。
颯爽と駆け抜けるのは野生の野ウサギとイタチだった。
春が訪れることで木々や草花と同様、この地に生息する生き物たちの行動も活発化する。それは僕たち人間も同じ。

古くから、身近にある自然の移り変わりや生態系の行動の変化などで季節の変わり目を読み解く風習があったのだろう。
日を追うごとに木々に緑がつき始め成長するのと同じで、僕たちも自然のなかで生きる知恵を実体験で学びながら成長していると感じる。

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気温も少しづつ上がり、緑が濃くなっているのをみて本格的に春が訪れた…

そう感じるようになった頃に、森の中から忙しなく鳴き始める生き物たちがいる。
「あれ、もう夏が来た?」と勘違いさせるほどに鳴き始めるセミたち。
とはいえ、ここは標高1,350m。夏が来たと言っても時に10℃を下回る時間帯があるから油断はできない。

毎日、違う表情

太陽が昇り、外が明るくなってくると自然と起きてしまう。野鳥も起き始めなのか窓の外からは微かな鳴き声が聞こえる。
起きるにはちょっとばかり早いので、もう一度布団に潜って寝る。

二度寝を終え、起きた頃には野鳥の活動が盛んになり元気な鳴き声をあたり一面に響き渡らせる。
朝のスタートはいつも野鳥の鳴き声と沢の音から始まる。

散歩は毎朝の日課になっている。
毎日同じルートを歩き、いつも見ている光景なのだが、その日の気候や風の吹き方など、さまざまな条件が重なり合うといつもとは少し違う情報が五感を通して入ってくる。

雨上がりは緑が一段と濃くなり、森の香りが際立つ。川の水位は上がり、いつもより音が大きい。屋根に降り注ぐ雨音は自然がもたらすBGMになる。

晴天であれば、木漏れ日が美しく、時に樹液の甘い香りが風にのってやってくる。それに釣られてか虫や野鳥たちが優雅に飛び回っている。

天候がよければ植物や生き物たちの活動に動きがあるが、雨が降ればその活動も少しばかり静かになっているようにみえる。

この地に生息する緑や生態系、そして僕たち人間も、同じ生き物なんだなと感じる瞬間がたくさんある。

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この生活は決して楽しいことばかりではない。
自然とともにある生活だから、自分たちが思うような行動をさせてくれないことがたくさんある。
不便なことを挙げればきりがない。

ないものはない。
ないものを求めるより、自然のなかでいかに楽しく心地よく暮らせるかを考える方がよっぽど良い。

ここにはありのままの美しい自然がすぐそばにある。
雄大で、豊かで、深くて、魅了する、さまざまな表情を持つ自然がここにはある。

https://aokinodaira.com/


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