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キャンプの位置付け

第一次オートキャンプブームといわれる、90年代。
近年、アウトドアレジャーを楽しむ人が増え続けているが、90年代のキャンプ人口は今の2倍もあったと言われている。


当時、父親の影響で物心がついた時から家族でキャンプに行くことが多々あった。


そんな子どもの頃、毎年訪れていたキャンプ場があった。
そのキャンプ場にはアミューズメントパークが併設していて、屋外に大規模のプールがあった。
毎年、夏になれば親戚一同でそこに行くことが毎年恒例の家族行事になっていた。

プールで一日遊び尽くし、普段料理をしない父がなぜかキャンプになると料理を振る舞ってくれる。そんな男飯をたいらげ寝る。

当時のキャンプというのは、飯を食って寝る場所としてあった。

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子供の頃の原体験が今でも色濃く残っているように思う。

当時はキャンプをする為にキャンプ場へ行ってたのではなく、
一日を通して遊び尽くすための手段としてキャンプをしていた。

キャンプが目的ではなく、手段として位置付けされていた。


それは…
不便を楽しむことであり、
河原で釣りをして新鮮なお魚を頂くことであり
美しい自然の中に身を置くことで心身共に浄化させることであり、
焚き火を囲み、友と語り合う時間である。

それ等が目的としてあり、その目的を果たすための手段としてキャンプがある。


子どもの時に体験したキャンプで例えると、
一日プールで遊ぶことが目的としてあり、それを満喫するための手段としてキャンプをする。


今、自分達でするキャンプで例えると、
不便を楽しむために、焚き火を囲んで友と語り合うための時間などが目的としてあり、それ果たすための手段としてキャンプがある。

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僕にとってキャンプというのは

本来の自然の美しさがある環境下に身を置くことで心が穏やかになったり、

便利な生活から少し距離を起き不便を楽しむことで日頃の些細なことに感謝できたり、


自然の中では必要のない肩書きや抱えているコトを一旦置いて、火を囲みながら友と語り合うことで、ヒトとヒト同士がより自然体な状態で接することができる。


それを体験するために、キャンプという手段がある。

と僕は思っている。

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