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自然のなかで暮らしを営む

ひぐらしの鳴き声が聞こえなくなり、夏の終わりに後ろ髪を引っ張られている頃、畑がある少し先の方からまた違った虫の鳴き声が聞こえてくるようになった。

鈴虫だ。

谷あいを吹き抜ける心地いい風も、どこか冷たさを纏うようになった。
木々に付く緑の葉っぱたちも、一部では色づきはじめ、一部では落葉をはじめている気がする。

また季節が移り変わる。
秋の訪れ。

高原の夏は1ヶ月も経たないうちに、次の季節に移り変ろうとしている。
前回の記事にも書いたが、季節の移り変わりがカレンダー上の数字で把握するのではなく、この土地に生息する生態系の行動や木々や草花の状態で季節の移り変わりを感じることができる。

自然の小さな変化にいつも感動する。

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さて今回はキャンプの話を。
「キャンプの良さとはなにか」というテーマの元、いちキャンパー目線として、そしてキャンプ場の企画者目線として、この両者の視点から書いていこうと思う。

「暮らしを営む」

キャンプに来てまず最初に始めることと言えばテントの設営だろう。

キャンプをする上でも日常生活でも重要になる、基本的な「暮らしを営む場所」を用意することから始まる。

自然に取り囲まれた野外で一時的にその日の暮らしを営むこと、それはすなわちその日を生きることにも直結する。

雨風を凌ぐためには、テントやタープをしっかりと張らなければならないし、暖をとるためや調理をするためには焚き付け用の材料と薪で火を熾す必要がある。
順調に事が運べばいいが、風が強くてテントを張るのに苦労することや、焚き付けが甘くて火がつかないことなど、うまくいかないこともたくさんある。

利便性に溢れた生活から一時的に離れ、不便を感じながら
食べること、寝ること、遊ぶこと、仕事することを、いつもとは違う環境で実践することにより、普段では気づかないような様々な発見や失敗、そして非日常感のたのしさが詰まっている。


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「日常からの引き算」

僕のキャンプスタイルはなるべく物を買わずに、必要なギアだけを揃えることやなるべくコンパクトに収納できるように工夫して、バックパック一つに収まるようにしている。

物を少なくすることで不便に感じることはある、「あれがあったらいいな」と思う場面はあるけれど、本当に必要かと問われるとそうでもない。

不便は感じるけど、困ることはない。

バックパック一つであれば移動も気軽で、ギアが少ないから設営自体もすぐに終わる。
物が少ないとそんな快適さがある。

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料理も引き算がたのしくなる。

さまざまな調味料を使って料理するのもいいけど、たまには塩だけで味わうのも悪くない。
遠火でじっくりと焼き、塩をかけるだけで食材がもつ本来の味が引き立ち、素材の味に感動する。

口に入れて噛んだ瞬間、野菜のみずみずしさとの出会いに衝撃をおぼえ「野菜ってこんなに水分含んでるんだ!」ってわかる。


日常生活にある多くの"もの"から少しずつ引き算をおこない、困らない程度にものを減らしていくことで「これだけあれば生活ができる」ということや「素材がもつ本来の味」などを知れる機会にもなる。


ものを増やすのではなく、あえて減らしていく。
引き算にはそんな足るを知るおもしろさがある。

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キャンプが好きだからではない。

キャンプがめっちゃ好きだから、キャンプをしてる訳でもなく
キャンプ場をやりたくて、キャンプ事業をはじめた訳でもない。

風の心地よさや木漏れ日の美しさ、青々しく生える立派な木々や壮大な山並み、色鮮やかな草花や虫たち、空一面に輝く無数の星空、など。

キャンプ場の土地を訪れたときに五感を通して飛び込んでくる、あの美しく、力強い雄大な自然たち。
そんなありのままの美しい自然を、多くの人に感じてほしいと思っている。


そしてキャンプ場を後にし街に戻った時、身近な自然から同じような美しさや心地よさを感じとってくれたらとても嬉しい。

街中にある身近な自然とは、道路沿いに生える木々や草花、枝や電柱に止まる小鳥たち、ビルを吹き抜ける風、車窓からみえる街に沈む夕日など。
それは海や山のような自然と等しく同じで、ありのままの美しい自然。


それを感じてもらい、そして伝える手段としての位置付けにキャンプが存在している。

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人や街・自然との境界


まだしっかりと自分の中で言語化はできていないのだけれども、最近想うことがあるのでそれを書いて最後にしたい。

本来、人と自然を別物として考えるような対極にある存在でもなく、決して対立するような関係性でもなかった。
僕たち人も、同じ自然としてのとても広い枠組みに入っていた。

しかし街の暮らしが長くなり自然に触れる機会も少なくなると、どうしてもどこか遠い話に聞こえる気がしていた。きっと環境問題の話も同じように思う人がいるのではないかな。

だから僕たちはキャンプという手段を通じて、ありのままの美しい自然を感じてほしいと思っている。

気軽に訪れられるフィールドを設け、街と自然の間を自由に行き来する人たちが増えれば、人や街と自然の間にある境界が少しずつ曖昧になり、僕たちが自然に対して想う「心のあり方」そのものが徐々に変化していくように思う。

心のあり方そのものが変化することによって、いつかは「人と自然の共生」「人は自然の一部」という言葉自体を使わなくなる時がくるのではないかと。
この言葉に耳目を集まるということは、やはり人と自然の関係性をどこか遠い話のように捉えていることが少なからず影響していると思う。


街と自然を行き来する人たちが増え、人や街との境界が曖昧になった時
その先にある人となりや暮らしはどのよう変わるのか…。


そんなことを想いながら、もっともっと海や山に触れ、自然とともに遊ぼうと思う。

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