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【読書】『覚悟はよいか』 朝比奈宗源 ドクスメレーベル ごま書房新社(2023)

この本は昭和53年に出版された原本を編集、復刻版としたものだ。
筆者は鎌倉にある臨済宗円覚寺の管長であった、
禅宗というと「見性」がある。
辞書などには「自己に本来備わっている本性を見究めること。」とあるけど、いわゆる「悟りを得る」ことだと思う。
そして「悟りを得て」からが始まりで、「うっかりしていると死禅になり野狐禅になる。」という。
「なお年月をかけて坐り、公案を調べて修行して、境界をみがかねばならない。」とある。
おそらく禅宗であれば、終わりなき世界であるとしても、後は継続あるのみ、という感がする。

ところが朝比奈管長は違う。
親戚からのことばが課題になった。
それは、「禅で修行しなければ救われないなのか」、といった内容であった。
これに対し、「仏心の信心」という答えを出した。
その結果「禅はさとらなきゃわからんというのは嘘だ」といいだした。
親戚のことばに真摯に取り組んだ。禅でいう公案だ。
そして、さまざまな学び、経験から「仏道に近づくたしかな道に「信」「と「悟り」があることをはっきり認識」した。
「俺は見性を得たとか、俺は悟ったとかいっているが、なんのことはない。みんなその道は、二千五百年前にお釈迦さまがあきらたにされてあるのだ。そのお釈迦さまの悟りの世界を、のちの多くの高僧がたの説教にしたがって信じるか、自分で修行してその境地に近づくか、それだけの違いだ。」という。
そして、これは「こちらに問題がないと」なかなか分からないという。

この本は後半に、第二次世界大戦のころの逸話がたくさん出てきて面白い。
語りことばで書かれているので読みやすい。
でも、ここに書いた前半の内容が、もっと世の中に広く知られたらいいなぁ、と思います。

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