見出し画像

試験と法改正~「中村家の一族」第二話

金魚社長と金魚先生


「九州と同じ面積…ですか」
中村大介は、向かい合う司法書士の言葉を鸚鵡返しに呟いて視線を宙に泳がせた。
相続した土地についての相談を持ち込んだのが思いも寄らない方向へ話が及んだのに少々困惑していたのもあるが、もう一つには、この事務所には金魚はいないのだな、ということを再確認する意味もあった。

大介の趣味は金魚である。いや、金魚が人生だと言っても過言ではない。仕事は別として、持てる時間の大半を金魚の飼育に費やしてきた。この年まで独身で来たのも、それがあったからだということは自覚している。綺麗な女性より、綺麗な金魚を眺めている方が余程精神にとっての栄養になる。金魚は男を身長や年収や学歴で値踏みしたりしない。
まごころ法務事務所とは、父親の代からの付き合いがある。そして、今の代表司法書士、法務朝男は、大介と同じく父親から家業を受け継いだ二代目であり、畑違いの職業から家業に飛び込んだという点も同じ。さらに駄目押しが、金魚好きという共通点だった。

法務朝男の金魚の水槽は事務所ではなく自宅にあるのだろう。確かに職場に金魚がいては仕事に集中できない。家に帰ってからゆっくりその泳ぎを愛でているはずだ。
大介は生真面目そうな朝男が金魚に話しかけている様子を想像して少し頬を緩ませたが、その朝男が匿名アカウントでツイッターに愛魚「めめちゃん」の画像や動画を投稿し連日100を超えるいいねを得ていることまでは知る由もなかった。

「そうなんです、少なくともそれ位の面積の所有者不明土地が今の日本にはあるとされていて、それが今回の法改正につながったんです」
赤ちゃん言葉で夜な夜な金魚と会話している様子などみじんも窺わせない力強い口調で、法務朝男は熱弁を振るった。
「国としては、災害復興等の妨げになるそうした土地をこれ以上増やさないような対策に本腰を入れ始めています。近いうちに、相続登記や、登記名義をお持ちの方の住所などが変わった場合の変更登記が義務になることがもう決まっています」

令和3年の法改正は、司法書士業界にとっては追い風になると朝男は確信していた。だからこそ、こうした機会…すなわち、別件で相談に訪れた顧客にそれ以上に有益なアドバイスを先んじて行い、さらなる信頼を勝ち取ることが重要なのだ。
かつて受験生だった頃、本試験の記述問題で見かけたような間抜けな司法書士、会社の存続期間の定めがあるのに代取にそれを示唆することもなく、指をくわえて見ている間に「うっかり解散」というあり得ない事態を招き、受験界の大御所講師が司法書士をバカにしていると激怒したあの平成29年の商業登記記述問題(※1)に登場する司法書士のようなボンクラには絶対になりたくない。



謎の相続登記


「そうなると先生、うちのこの土地…この、いつの間にか相続登記と差押えの登記が入っている土地はどういう扱いになるんでしょう」
大介は朝男の鼻息荒い弁舌が一旦途切れたのを見計らって、本来の相談内容への軌道修正を試みた。
そもそもの発端の一つは、父親が幾つか所有していた不動産のうちの一つが銀行によって差押えられたことだった。
株式会社みの銀行は、父親が経営していた中村商事株式会社を通じて長らく付き合いがある岐阜の銀行だった。
中村商事は、地元で最大の企業であると同時に日本、いや世界有数の自動車メーカーである与戸田自動車の恩恵を多分に蒙ってきた会社だったが、ここ数年は内外の様々な情勢変化への対応が遅れ徐々に業績が悪化し、資金繰りで銀行に頭を下げることも増えてきていた。
そんな折、名目上は社長の椅子を息子である大介に譲っていた登は心労からか病に倒れ、帰らぬ人となった。

引き継いだ会社の債権者対応や父親の葬儀の後始末などのゴタゴタの中、旧知の間柄だという甘えがあったのか、みの銀行への対応が疎かになっていたことは否めない。そうした状況下で大介たちの知らない間に、みの銀行もまた経営状況が悪化していたのだ。
登の死去から半年が経ち、ようやく身辺が落ち着いてきた頃に会社に届いたのが、裁判所からの「担保不動産競売開始決定通知」だった。痺れを切らしたみの銀行がついに債権の回収にかかったことを意味する。

「それじゃつまり、まずこの甲区4番の所有権移転というのは、みの銀行が差押えを入れるために父から我々相続人へいわば勝手に所有権を移す登記を入れた、ということになるんですか」
大介は、朝男の一通りの説明を自分なりに噛み砕いてみた。
「まぁつまりはそういうことになりますね。お金を貸して不動産を担保に取っている側としては、万一の場合には債権者代位という方法で所有者の代わりに登記が実現できるわけです」
「そうだったんですね…」
大介は手元の登記事項証明書のコピーに再び目を落とした。それは、差押えがあったことを聞いた姉の義子から即座に送られてきたLINEに添付されていたデータをプリントアウトしたものだった。あの市村の土地、お母さんと私たちに名義が移ってるけど知ってた?と言う姉自身がこんなものを取得するとは考えにくかった。おそらく義兄の石川洋平がどうにかして取ってきたのだろう。彼ならそういう方面に詳しいに違いない。

「差押えについてのご対応は現在進行中との事なので、今日のご相談としては所有権の名義をどうするべきか、ということでよろしいですか?」
「はい、そうです」
実際、競売開始決定通知が届いてすぐ、大介はみの銀行の担当者へ連絡を取り、差し当たり何件かの支払いを直ちに完了することでひとまず競売を止めてもらえるよう交渉に入った。
そのため今日の司法書士への相談は差押についてではなく、謎の相続登記の取り扱いについてであった。
家土地を担保に入れることは会社を営んでいる以上はそう驚くことではないが、これまでは焦げ付きで競売にかけられるということもなく、増してや自分と子ども二人の名前が知らない間に登記簿に乗ってしまうなどという事態は母親の和子にとっても初めてのことで不安がっていた。
和子の元には、競売通知とは別に法務局から登記完了通知なるものが届き、それによって母子3人に登記名義が移ったことを知らされていたのである。
また大介自身、先ほど初めて聞いた相続登記がいずれは義務になるとかいう話に、ますます他人が勝手に入れた登記が今後どういう意味を持つようになってくるのか気になってもきていた。
「その、何年か後に相続人が必ず自分で相続登記を申請しないといけなくなるなら、先に他人に入れられたらもうアウトということになるんでしょうか」
義務に違反すれば最大で10万円の制裁があるというのも今の大介には案外大きな不安だった。少し落ち着いたとはいえ、会社の経営はみの銀行への返済も含めてまだまだ綱渡りの状態なのだ。そんな時に、10万でも1万でも将来の余計な負担のことを意識しないといけないのはストレスでしかない。金魚は好きだが、金(カネ)のことで頭を悩ませなければならないのは心底うんざりだった。
「結論から申し上げると、そのご心配には及びません」
法務朝男は頼もしげに断言した。
「例えば今回の社長さんのご相談のケースのように、代位で相続登記がされた場合でも必要な登記がされているという点では同じですから、3年以内に相続登記をしないといけないという規定は適用されないことになっているからです(※2)」



そして遺産分割…の前に


「遺産分割…か」
まごころ法務事務所からの帰り道、大介は独りごちた。
相談を持ち込んだのは一筆の土地についてだけだったが、法務朝男から
「今回のこちらの土地の甲区については、ご相談の内容からすればひとまずこの状態で良さそうですが、お父上や、もしかしたらお祖父様の名義のままの他の不動産もありそうですね。よろしければこちらでお調べしますから、そうした不動産については早めに遺産分割をなさった方がよろしいかと思います。遺産分割についても、原則10年以内に終わらせないと法定相続分の割合でしか分けられなくなる制度に移行しますから(※3)」
とのアドバイスを貰ったからだ。
確かに、自分が把握しているだけでも今日の相談の土地、会社の建物が建って一時父親も住んでいた土地、父親亡き後は母親と自分が現在暮らしている家土地、だいぶ以前に祖父が建てた家、それに父親が確か義兄に譲るとか言っていた土地と、複数の不動産がある。そういえば、あの祖父が建てた家の登記はどうなっているのだろうか。やはり一度法務先生にちゃんと調べてもらって、全ての不動産の権利関係を登記簿で把握しておかないといけないだろう。
遺産分割をするにしても、それからだ。
そして実のところ、それよりもまず、みの銀行への金策を考えなければならない。

大介は、ひとまず遺産分割については頭の隅の方へ追いやり、経理部と相談するために会社へ戻ることにした。予定があらかた片付いたら、早めに家へ帰って法務朝男から聴いたことを母親に話してやらねば。
その後は、可愛い金魚たちとのお楽しみタイムが待っている。先程の相談が終わった後、大介は法務朝男を先頃見つけた栄の新名所に誘ってみた。
「水金bar、ですか」
オープン記念の割引チケットを朝男は珍しそうに眺めた。
「水素を吸いながら、金魚を眺められるというので話題なんですよ」
大介の説明を聞くと、朝男がニヤリと笑いながら店が開いてるのは水曜と金曜なんでしょうと返したので、大介は我が意を得たりとチケットの裏面を指差した。
自分の答えが正解だと知った朝男は、法律相談の最中にはついぞ見せなかった表情…秘密基地の在処をおしえてもらった小学生のような笑顔を浮かべ、ぜひ連れて行ってくださいと目を輝かせていた。

その笑顔を思い出しながら、お堅いイメージの司法書士の先生もやっぱり人間なんだなと、大介はまたも顔がほころぶに任せながら足早に会社へ向かった。
まさにこれから段取りをつけようとしている返済の相手方であるみの銀行に、水面下で合併の話が進行しているとも知らず。



※1 伊藤塾「2017年度司法書士本試験問題分析会 記述式解答・解説」冊子等
※2 改正不動産登記法第76条の2第3項/『Q&A令和3年改正民法・改正不登法相続土地国庫帰属法』p.269
※3 改正民法第904条の3


(第三話へつづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?