居場所が欲しいんだろうなぁと思った

参加しているオンラインコミュニティを意識的に2日くらい見ないで過ごしてみた。感情に揺さぶられることなく、健康的に過ごせた代わりにいろいろと寂しさも襲ってきた。コロナ禍でわたしがコミュニティに入るきっかけとなった、あの5月の孤独感だ。GWで仕事が無く他者との接続が一切ない事も原因ではあるけれど、「ああ、リアルで遊んだりする人とのつながりが無いんだな俺」と思ってしまった。

仲良しな人はだいたい関東に住んでいたりする。

自立の定義を「複数の依存先があること」と言った人がいたが、2日間コミュニティの接続を断ったことで、その言葉がリアリティをもって自分の中に伝わってきた。

今までは寂しいことがあっても、スマホを開いてコミュニティにアクセスをすればインスタントに寂しさを埋めることは出来たけれども、「それ以外の場所も必要だよね」とあらためて気付いた感じ。

・・まぁ今までそれにわずかながら挑戦をしてきて、うまくいかなかったんだ。それが出来れば苦労しないんだけどね。
自分なりに輪は広げようとしている。えらい。条件が良くなかっただけだ。

着実に前には進んでいる気はするよ。0ではない。

身近に思いを共有できる人が少ないだけで、自分は世界でたったひとり取り残された存在ではない。それは本が教えてくれた。

それと心配しないでほしい。
自分のような状況の人間は世の中にたくさんいる。
2040年には独身率が5割を超える推計もある※1

結婚すれば社会関係資本は一本アガリみたいな風潮もあるけれど、それは「よき相手に恵まれて、家庭に何ら問題が起こらない」という暗黙の前提を抜かしている。
うちのように、父が定年後に家庭内別居が始まって、一人自宅で寂しい思いをしているケースもある。

まぁそれでも結婚をすると人間関係の面から人生が豊かになるのは間違いは無いと思う。

わたしはよく「友達が欲しい、友達が欲しい」と言ったりするが、これをもっと細かく言語化すると「真剣にいろいろ議論が出来る友達が欲しい」「居場所が欲しい」の2つに分解できるような気がした。友達自体は少なくは無い気がする。

ゆっくりやっていこう。ゆっくり。


※1



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