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自然科学はじめの一歩

2020年度、放送大学の授業をはじめる。

放送大学2020年度、1学期の授業がまもなくはじまる。それに合わせて昨日印刷教材が我が家に届く。新しい教科書はいつもワクワクするものだ。

今回選択した科目は、6科目。その中の3科目は放送授業だ。その他は、ネット上で単位認定試験まで受けられるオンライン授業が1科目、そしてスクーリングの面接授業が2科目である。

今まで3科目以上、放送授業を選択していなかったが、大学卒業に必要な124単位中、放送授業の取得単位は、最低でも100単位が必要なため、放送授業の科目を増やすことにする。 

ちなみに、今回のタイトルは、放送授業の科目から引用した。

さて、それでは放送授業の学習をはじめよう。

自然科学の世界

自然科学の源流は、紀元前6世紀にイオニア地方のミレストで花咲いた自然哲学に遡る。それまでは、地震や日食を、神仏の怒りや人間の悪業など、信仰として扱ってきた。しかし、ミレストのタレスは、自然現象をよく観察して、「こう解釈すれば現象の説明がつく」という知見を集積し、神と自然現象を分離した。これが自然科学のはじまりだ。つまり自然科学は、再現可能な観測や実験に基づいて自然界を知ること。

自然科学の問いの立て方

17世紀に起きた近代科学革命は、自然現象に対する問いの立て方についての革命だった。「現象の本質を追求する」というアリストテレス的な姿勢から、「実験データの間の関係性を確立する」というガリレオ的な姿勢に転換した。「質」から「量」、あるいは「対象」から「方法」への転換とも言える。この転換こそが17世紀科学革命の本質であり、現代科学の興隆をもたらす。

例えば、ガリレオは「物体の落下距離が落下時間の2乗に比例する」という関係性を見出す。これは距離と時間の関係性を法則化したのであって「なぜ運動が起こるのか」、運動の本質を問うたのではない。

またニュートンにしても、「物体に力が作用すると加速度が生じる」は、力と加速度の関係を法則化したのであって、力の起源を問うたのではない。

更には、19世紀を代表する物理学者で教育者でもあったキルヒホッフが記した「力学は運動を記述する学問であって説明する学問ではない」という言葉はこの点を表している。

データの比較が重要

近代科学の研究対象は「測ることができるもの」に限定される。この姿勢は、ガリレオ自身が発した言葉である「測り得るすべてのものを測れ。測り得ないものは測り得るようにせよ」 に集約される。自然科学において、「知る」とは「測る」こと。実験データをグラフにして解析するということは、必然的に数学でいう「関数」の概念を用いることになる。

つまり、量的関係を記述するための言語として数学が使われる。「自然という書物は数学という言葉で書かれている」というガレリオの言葉は象徴的だ。

一方で、アリストテレスは、数学は現実の自然現象とはつながりがないという見方をしてきた。その後2000年近く、現実と自然現象と数学の交流は希薄なものだった。この考えを修正し、実験と数学の関係をはっきりと示したパイオニアがガリレオだった。

ポアンカレの言葉

「すべての法則は実験から引き出される。しかし、この法則を記述するのには特別な言語を必要とする。日常の言語はあまりにも貧弱であり、それに、かくも微妙かくも豊富で、しかもかくも精密な関係を表現するのには、あまりにも曖昧であり過ぎるのある。これが、すなわち、物理学者が数学なしに済まし得ない一つの理由であって、数学は物理学者が話しうる唯一の言語を物理学者に提供するものである。よく作られた言語というものはどうでもいいといったようなものではない。話を物理学に限るとして、熱という言葉を発明した無名の人は幾多の世代を誤りに落とし入れてしまった。熱という名詞で表したばかりに、ただそれだけの理由で、熱はあたかも物質であるかのように取り扱われ、また、不滅なものだ、と信じられたのであった。」

自然科学の発展段階

自然科学の進歩には、次の段階的発展があると言われている。

①記載とコレクション:現象、物質、生物種などの発見・観測・記載の集積

②分類と「図鑑」の作成:記載データの整理、分類、公開

③一般化と体系化:「なぜ?」を説明するための仮説、その検証、法則の発見

④予測と検証:法則に基づく予測と、観察による検証

この段階的発展は科学の歴史の、いろいろな時間の長さの中で起きている。科学の大きな流れを変えるような法則や原理の発見は、記載の始まりから長い時間をかけて、この段階をたどることもある。例えば、近代以前の天文学は、古代文明後期における太陽、月、星の配置と運行の記録から始まり、夜空の星には異なる運行をする星(惑星と恒星)があることがわかり、これらの運行を説明する仮説(天動説、地動説)の時代を経て、17世紀のケプラーによる天体の運行に関する法則の発見、そして、ニュートン万有引力の発見による天体運動と地上の物体運動を一般化した理解へと発展した。

この段階的発展過程は、繰り返されながら科学を進歩させている。例えば、生命の遺伝子情報すべてを解読しようとする研究は、生命の機能が遺伝子によっ制御されているという生命共通の一般的理解が得られた後の、新たな記載とコレクションの段階であると言える。

ここで、注意が必要なのは、このような段階的発展は、自然科学の研究の現場がこの順を追って進行することを意味しているわけではない。

むしろ、研究の現場では、複数の段階が同時進行していることが多い。

しかし、各段階の研究が不十分な状況では、結果的に次の段階の研究が、有意義に発展することはない。例えば、ケプラーの法則は、チコ・ブラーエによる高精度の観測データが存在していたために発見できた。

データと理論

その時点で得られるデータから、できる限りの考察と議論をすることが、通常の科学者にできることだった。天動説で言えば、一口に言っても、データによらない思弁的な発想に基づくものから、観測データを可能な限り説明しようと論理的に導かれたものまで、さまざまだ。データと理論に基づいたモデルである限り、これらをバカにすることはできない。

むしろ、現在の科学であっても、同じ状況にないとは限らないことを、科学者は意識している。現在の研究の現場では、研究のテーマの規模や性質によって、ある段階に属する研究の実を行う場合もあるし、個人や研究チームがすべての段階の研究を行って、研究成果を導く場合もある。

「巨人の肩の上に立つ」

段階的発展を支えているのが、自然科学における研究成果の継承だ。これは「巨人の肩の上に立つ(standing on the shoulders of the giants)」という言葉でたとえることがある。

一人の人間が背丈の高さから見渡せる範囲は限られているが、巨人の肩の上に立てば、普通の人間であっても目の位置は巨人よりも高くなり、巨人よりも遠く広い範囲を見渡すことができる。

すなわち、先人の研究成果の上に研究を重ねることの大切さを意味する。









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