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アドラーゼミB面に参加して得た学び。劣等感と補償、グレイテスト・ショーマンの視点から
先週の土曜日に、早稲田大学の向後先生主催のアドラーゼミB面に参加しました。
今回のゼミで一番印象に残ったことは、劣等感についてです。
一般的に劣等感は、、あまり良い意味ではとらえられません。
しかし、医者だったアドラーの劣等とは、器官劣等性のことを指しています。
器官劣等とは、先天性な弱視や低身長であったり、骨の変形による身体機能障害です。
その弱点を克服するための目的のために使用される感覚が劣等感だというのです。
この劣等感という感覚が沸き起こることで、それを克服するために補償という努力がなされるのです。
時には過補償になるケースも稀にあります。例えば、生まれつき目の見えない人が天才的なピアニストになる辻井さんのような方がこれにあたると思います。
この劣等感と補償という概念を説明する過程で、向後先生がゼミの中で「グレイテスト・ショーマン」という映画を例に話をされていました。
私は、知らなかったので、帰ってからすぐにこの映画をレンタルして視聴しました。
この「グレイテスト・ショーマン」はサーカスの話で、実話をもとに作られた映画です。
内容は、そのサーカスに必要な、身体的にユニークで個性的な人を集めるところからはじまります。
しかし、個性を自慢する人もいれば、個性的すぎるあまり、臆病になって人前にでられない人物もいるのです。
ですから、アドラーの言う劣等とは自分の持っている器官劣等をどう補償して克服するか、もしくは自己欺瞞して、劣等感を盾に言い訳にして何もしないか、という扱いになるのです。
映画の話に戻りますが、この劣等感と補償(過補償)を説明するのに、分かりやすい例えだと感じました。
今まで分かったつもりでいた、アドラー心理学も向後先生のゼミで学ぶことで、自分に足りない知識をさらに足すことができて、とても有意義でした。
この他にも、多くの学びがあったのですが、長くなりますので、今回はこれで終わりにします。
次回も楽しみにしていますので、アドラーゼミ参加者の皆様、向後先生、よろしくお願いいたします。
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