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昭和42年男のカルチャー日誌

2023年11月23日(木)午前10時より、「国立西洋美術館企画展:パリ・ポンピドゥーセンター キュビスム展-美の革命」を来館鑑賞。

先ずはセザンヌを軽く振り返り学習します。アンリ・ルソーの作品もありましたが、プリミティブな作品としての扱いだった感じです。

その後、ピカソとブラックのキュビスム・ブラザーズ作品に臨んでいきます。ややブラックの作品が多かった印象です。
ブラックがセザンヌ由来の地に居を構えて、セザンヌ的エッセンスを吸収(まるパクリ?)した結果生み出したセザンヌをモチーフにした作品群のオリジナル性の無さもインパクトは中々のもんです(非難はしてません)。
↓ これはセザンヌではありません、ブラックの作品です(笑)。

あくまで私見ですが、ブラックの類まれなる才能は、天才ピカソが世に出る前に同胞として彼を選んだ嗅覚でしょうか?
ピカソと交流を深めつつ、キュビスムの可能性を探っており、その動きは、それなりに評価出来るのではないでしょうか?
ピカソに比べるとブラックの方がキュビスムに殉じた感じの作品が多かった気がします。色彩感覚については、ピカソのそれに比べるとやや残念な感は否めません。ピカソの「裸婦」↓

ブラックの「ギターを持つ男性」↓


レジェやグリスの後発組に比べても立方体の構造に重きを置き過ぎて色遣いがやや疎かにしてる感は否めないですね。
今回の目玉であるブラックの「大きな娼婦」はまだ具象絵画の域に留まっていますが、そろそろキュビル予感を感じさせる作品だと思いました。


次のエリアに、いきなりマリー・ローランサンのポップな色彩の作品が紹介されており、意外に感じました。
実は、その時期、彼女の恋人であったギョーム・アポリネールがキュビスム推しの文芸評論家だったために、展示に繋がった様子です。キュビスム黎明期の様々な人間模様が知れた点は良かったです(こんな端正な顔だっけ)。

展覧会に内ではブラックとピカソの関係性を形容する表現で「ザイルで結ばれた二人」と称されたエリアがありました。個人的には「ピカソのことだから、キュビスムが画壇で相応に注目されなかったら、早々にザイルを切ってブラックを見捨てたんだろうな~(哀)」と思ったり思わなかったり。
ブラック・ピカソのエリアは最後にブラックの振り切ったキュビスム作品が連続的に展示された終了となっていました。
次のエリアは第二キュビスム世代として「フェルナン・レジェ」と「ファン・グリス」の両名の作品が展示されていました。正直、ピカソ・ブラック(特にピカソですが)に比べると若干マイナー臭が漂ってしまう二人の画家です。唐突ですが、昭和のアメリカンプロレスで言うと、ディック・スレーターやテッド・デビアスみたいな存在でしょうか?二人とも実力はあるんだけど、メインイベントを張る場合にはチャレンジャーだし、タッグマッチだとサブっぽい立ち位置になってしまう、不思議な残念感を纏ってしまう印象です。実際のところは、シュールレアリズムや未来派といったキュビスム以降に勃興してきた芸術運動の波も乗りこなした優れた画家達だと思います。
フェルナン・レジェの「縫い物をする女性」はマインクラフトですね。

この二人の次は「ロベール・ドローネー」と「アルベール・グレーズ」の大型作品が展示されていました。↓ はロベール・ドローネーです。

フロアが変わって、デュシャン兄弟の言ったもん勝ち的なハッタリ(?)アートが紹介されていました。一部の彫像作品には惹きつけられるモノもありました。
個人的には、デュシャン軍に圧されつつも、しっかり存在感を示していた
フランシス・ピカビアの「赤い木」が印象に残りました。グッズ売り場にTシャツもありましたが、サイズが無くて購入は諦めました。

後半で面白かったのは「ラ・ユッシュ(蜂の巣)」のエリアでした。
エ・コールド・パリ陣とも重なる画家数名の作品が紹介されていました。
「コンスタンティン・ブランクーシ」・「マルク・シャガール」・「アメディオ・モディリアーニ」等々です。
シャガールと奥村土牛はやっぱり牛ですね。

特にモディリアーニの彫像が気になりました。

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