ふわふわ羊と空うさぎ(木葭のの生誕祭2024)
生誕祭ってとっても温かくて、もちろん演者本人もだけど、その人を推している人たちにも「おめでとう」って言いたくなる。
そんなののちゃん推しのカレーさんのnoteを是非。
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勝手に想像して受け取ってしまう悪い癖があるので、ののちゃんはそんなこと考えずに選曲したかもしれない。
勝手な妄想は余計なノイズなので、苦手な人は読まない方がいいかも!そもそも「お前誰やねん」という誹りはごもっとも。
ストーリーを受け取ってしまったので一応「こういう伝わり方があるよ」という自己満で残しておく。
と、言っても「のの推し」の皆様が感動の言葉を残し終わった後なので本来は必要ない文章。
ただ、もしかしたら界隈違いだからあんまり知られていなかったのかもしれない2曲だけ。
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『ハロ/ハワユ』
2010年、ナノウさんの曲。
ボカロの泣き曲では定番の1曲でもある。
そんな曲を1曲目にもってきました。
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土砂降りなのは、外か心か。
ネジを巻いてもらわなければ動けないのに、涙の跡を隠す為に支度をしなきゃいけない。
自分に期待できなくなった上に、人からも「君には期待してないから」と言われること。
そんな言葉に対しても、問いただすでも怒るでもなく、嘘になるような(受け入れたり、取り繕って流したりする)言葉を出してしまう弱さ。
悲しさや悔しさや怒りに対して、なぜ言葉を出せないのか自分に問いかける、そんな1番。
自問自答してきた1番に対して、2番の自分が問いかける「生きていくだけで精一杯の私に これ以上何を望むというの」
ここの解釈が高校生(当時)には難しくて、苦しくて生きていたくないという比喩かと思ってた。いつ終われるの?こんなに苦しいんだからだれかお給料払ってよ、的な。
でも、大人になっても改めて歌詞を眺めると「私が生きた分の給料は 誰が払うんですか」って鼓舞しているようにも思える。前半の「その手を離したのは誰ですか 気がついていますか」の論調と揃う。
あなたの人生の雇用主は誰なのか。あなたの人生で生み出された価値を享受しているのは誰なのか。(=あなた自身ではないの?)
愛されたいと思いながら、嘘の言葉で取り繕ってその手を離していた自分が、心からの感情や言葉で人と繋がりたいって「言いたい」と言えた。
自分同士の対話から、心の底からの言葉を発した後は少し分離した印象に。
個人的にはここの言葉は初音ミクなんだという理解。
そして、1番のはじめ、1人きりの部屋でつぶやいていた「ハロ ハワユ」との対比。
「あなたに」ハロ ハワユ
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ののちゃんの過去はよく知らないけど、自分の思いを言葉にしてぶつけることの難しさ。
引きこもってしまいたくなるような、他者からも自分自身からも認められなかった経験。
そんなところから脱皮して、今ここでみんなをふわふわで包み込むように歌っているんだよという宣言のような1曲目。
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回る空うさぎ
コラボやプレゼント企画、チャレンジ企画のウクレレなどを終えて1人歌唱に戻ってきた曲。
そして場づくり視点でいうと、この生誕祭はこの曲にむけて作られていたストーリーだと思った。
2016年、Orangestarさんの曲。こちらも、泣き曲の定番。
ちなみに、TikTokで歌ってみた再バズした系の曲でもある。本家よりダズビーさんの歌ってみたの方が回ってる。
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もちろん、空うさぎは月のことで、生誕祭の背景に綺麗な月が浮かんでいたのもここに繋がっていたんだなぁとしみじみ。
やっぱり冒頭は願いや言葉を呑み込むシーンから。眺めてるだけじゃ届かない願い。
でも、明日を変えたいならまだ、明日に負けたくないなら今から、と1歩ふみだす。遥か遠い月を目指したけどやっぱり届かなかった。そんな1番。
それでも主人公は、あえていうと「ののちゃん」は、また月を目指して、夢のような光景「星を降らした」
星降るのは願いが叶う流れ星。
ののちゃんやフィロのスが目指すところにはまだ届いていなくて、遥か月のような場所かもしれないけど、それでも単独生誕でこの曲をもってきたののちゃんにすごく感動しました。ここから先だって挫折もあるかもしれないけど、それでも、月を目指していくんだという強い想い。
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綺麗でのびやかな高音を歌い上げたののちゃん。
もしかしたら歌いたい曲を選んだ天然の可能性も大いにある。
でも、考えて考えて、メッセージを込めてることもあるよなぁと思ったので、自分のボカロ2曲の受け止めを書いてみました。
どちらも、うまく言葉で伝えることができないという弱さや葛藤から脱皮するような曲。
そんな弱さも抱きしめて、包み込んで、色んな表現やチャレンジを通して成長していくののちゃんから目が離せません!!
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