僕らのすみか

 家に帰ると、君がカッターの刃を出して眺めていた。薄暗い、ほこりの散った床にぼんやりとしゃがんでいた。
「ただいま」
 重たいバッグを音をさせて机に置く。君はちらりとこちらを見て、またすっと舐めるような視線を刃に向けた。薄汚いカーゴパンツと昨日買ったばかりのユニクロTシャツ。4:6に分けた青髪は、寝起きで膨れていた。
「やるなら、後にしてよ」
 僕がいうと、君は苛立った溜息と一緒に刃をしまった。立ち上がる。だらりとさげた手首には、古傷からぐちゃりと膿んだあたらしい傷までが幾本も走っている。それを見ると、いつも僕の心臓はきゅっと縮む。好きな人の、底知れない何かが、傷の一本一本に埋め込まれているような気がする。傷の治りかけは、ぷるんとしたピンク色で、触ったら破けてしまいそうだ。単純に痛々しい。何度見ても慣れなかった。
 君は部屋から消えてしまう。きっと巣窟のようなあの部屋に戻るのだろう。ブルーライトがエナジードリンクの缶と薬の残骸を照らすあの部屋に。そこにいる君を想像して、脈が変になった。この家にいるといつもそうなる。僕はなにもする気になれなかったけれど、無理矢理立ち上がって、自室に向かった。落ち着いた黒のドアを開けると、理想的に整った部屋が迎え入れる。デスクに座って仕事のメールを確認して、閉じた。
 窓からするりと細い月を眺める。君の細くなった目と似ている。鞘を払った刃物のような。
 しばらくそうしていると、いつものように君がやってきて、タバコの匂いを撒き散らしながらしゃがんで、僕のスーツの袖を掴む。細い目の奥に、小動物みたいな黒い瞳が光る。僕よりも背は高いのに、手のひらは大きいのに、座っている僕には上目遣い。そっと君に顔を近づけると、君は夢見る乙女になって、安らかに眠るように瞳を閉じた。タバコの匂いも、腕の傷も、全部君だ。君から離れて消えない色。
 僕はマンネリ化したキスを終えると、君の頭に手を置いて、そろそろやめにしない? と言おうとした。こんな生活、もうやめた方がいいよ。君だって、自立した方がいい。
「ご飯、作るから待ってて」
 口から出たのは違う言葉だった。でもそちらの方が本心だったのかもしれない。
 素直に頷く君を見て、ペットじゃあるまいし、と内心毒付いた。

もらったお金は雨乃よるるの事業費または自己投資に使われるかもしれないし食費に消えるかもしれない