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旅する絵 - 関係性が贈る絵のゆくえ

絵に
‘ 動きたい ’という意思があってもなくても
‘ 留まりたい ’という意思があってもなくても
絵本体自身には、移動の手段はない。

人間が動かす以外は。

このnoteは、
「この人なくては、私らしい人生は始まらなかった」と思う方と
私のあいだを旅した、絵のエピソード。
あまりにも温かく、穏やかで、煌めいて…心に残っているので記事にしました。


- 出会い -

ずっと目をかけ、「あなたの本当の願いはなんだろうか」と
新しい芽がでることを信じて、苦しいときそばにいて
耳を傾けて心に寄り添ってくれた人。

その頃、心身ともに鬱々としていて
客観的にみても関わりたいと思えるような人ではなかったように思う。

そんなような者と、たくさん対話を重ねてくれて
リトリートを共同開催するなど、私に役割を与え
外の世界に連れ出してくれた恩人。

この人がこんなふうに関わってくれなければ、
「絵描きです」と名乗る、いまの私はいなかっただろう。


- 絵とその人の関係性 -

3度目の波照間島リトリートで
白虎といわれる岩場の穴に、彼のとなりに腰を下ろしているとき
「気に入ってくださってる青い絵を、もらってくれませんか」
と、ふいに口からでていた。

その言葉に、自分自身が驚いた。
普段は、お気に入りこそ売ってほしいと言われても
手放せないことが悩みの私。
子離れできない親の気持ち。

絵はどんなに似せて描いても再現できないもので、
その原画は1つしかないもので、
手を離せない理由なんかいくつでも挙げられてしまう

白虎の海が、洞窟にごうごうと反響しながらうねる様子をみていると
唐突に湧いてきた「あの絵をこの人の元」に…
というのが直感的なものとするなら
あとから理由を論理的に考えてみると
相手がもし喜んでくれるとしたら、あの絵も喜ぶだろうと
その、相手と絵のマッチングや関係性に、素敵さを感じ取ったのだと思う。ものすごく、主観的に。

子離れできない親から、仲人になれた瞬間でもある。

その絵は2019年-2020年の年越しのときに
ひとり大倉山の部屋で描いていた絵で
じぶんの現在地を描いたもの。
その1年、その人が関わってくれた影響が大きく投影された、
自身もお気に入りの一枚でした。

- 絵の出航 -

そこから半年ほどして
初めての個展の最終日翌日が自身の誕生日だったこともあり
わたしの人生に色濃く関わってくれた大好きな恩人たちを7名呼んで
時間を過ごしました。
そのときに、彼に絵をお渡ししました。
いってらっしゃい、と。

絵の運命とは不思議なもので
この翌日、引っ越しで業者に展示した絵画を16枚、紛失され、
未だに行方不明なわけだけれども
展示したお気に入りのこの、彼に渡った一枚は
行方知れずにならず、彼に護られる形で旅立っていきました。

「ここへ行かせてほしい」と、まるで強い意思で
絵が私たちを動かしたかのよう。

- 絵の寄港 -

そこから1年経った頃、私は彼に
「あの絵を使いたく、1か月ほどお借りしたいです」と
メッセージをしたところ

彼から返ってきたメッセージに、驚いた。

(抜粋)
「里帰りがこの子(絵)が望んでいる。そんな気もしていて。
里帰りのあと、この絵画どうしたがっているのか?
里帰りをしてから少し話し合ってみたい。
今そんな感覚があります。」
「感覚と湧き出るものを言葉にしてみたのですが、ここに文字にしきれないものも含めて、少しゆりちゃんと話せたらいいなという気持があります。」

絵をもらってほしいと
自分の口が云ったときより、ずっと驚いた。

後日、お会いして絵の受けとりとお話しましょう、とお会いすることに。

お会いするまで、「そんなことってある?
だって、他と交換するとかの提案すらしていない。
意図はどんなところにあるのだろう。」
という気持ちを抱えて当日を迎えました。

- 彼が語る絵との関わり方への思い -

「なんとなく、帰りたがっているかもしれない、と思いがうっすらあるなか
ゆりちゃんから借りたいと連絡がきて。タイミングだな、と思った。

絵の価値は上がるだろうし、しかも原画で…と勝手に頭が計算を始めたので
正直、手放すことに惜しさがあった。左脳がしっかり動いている感じ。

だけど、本当には、この絵とどう対峙したかったんだったっけ?と思うと
フレッシュに絵から受け取りたい、という気持ちがあって
自分は、充分受け取った。
ずっと同じ、よりも、都度新しく、移り変わっていくことに
僕は価値を感じるところがある。

自分の書斎に飾っていたので、見ているのは正直自分ひとりだけで
もっと、そろそろ、他の人の目に触れることがいいことなのでは、と感じた。
循環したらいい気がした。
そして、こうやって返せるということに、めちゃくちゃ幸せを感じている。ありがとう。」

それは彼が今までずっと私に対して接してくれたのとほとんど同じように、
絵をひとつの意思がある生き物のように
対峙してくれたんだな、とじんわり感動していました。

そんなこと(絵の意思)を考える義理だってないし
原画を所有し続けることもできる、貸さない選択も全然いい、
フレッシュさ求めて、私に別の絵との交換交渉を持ちかけたって、いい。

そんななかで、さっぱりとした彼の態度に、精神の崇高さを見出し
ただただ、そんな世界を体験させてくれてありがとう、の気持ち。
そうだった、そういう世界に、私は住んでいたかったんだった。

- みんなまるがいい -

そして私がこの体験が、記事にしたいほど
インパクトがあった理由で外せないのは
彼の価値観もまた、大切にされた上での現象だったということ。

「なんか申し訳ないから」という自己犠牲の動機ではなくて
彼の価値観を、彼が究極に大切にした結果なのだろうということが
また、本当に嬉しかった。

だからもし彼がまた別の価値観をもっていて、
ずーっと年を重ねながらこの絵を見ていたいんだよね、というのが
心底大切な想いだったとしたら
その選択をしてくれたとしたら、きっと私は同じように喜ぶだろうと思う。
実際、ずっと大切にしようとしてくれている絵の所有者には
心の底から嬉しく思っている自分がいる。

絵の意思も、その本人の意識も、
そして今回は私の意思までも
刻一刻変わるニーズを、その瞬間
等しく大切にされた結果の現象だったから
こんなにも、私の心に温かさを残していったのだろう。

本来なら絵(物質)は主体的には動かないけれど
この絵は、イキイキと旅したようだったし
我々は「旅する絵」の港になったみたいで
それが、キラキラとした体験となって私に残った。

どんな物語のなかに生きていたいか、私たちは
いくつも選んで生きていけるんだった、とぼんやり思う。

- 共創造の世界 -

その夜に、頂いたメッセージにまたぐっときた。

「ゆりちゃん、こんばんは。
フレッシュなうちにシェアしておきたくて。

帰ってきて、部屋に戻って、絵が掛けてあったところが、空になっているのを見て、涙が一筋流れた。
あの絵を大切に思えたこと、一緒に過ごせたかけがえのない時間、僕の中から消えることのない体験に、今改めて、心から感謝の気持ちが湧いていて。

ゆりちゃん、本当に、ありがとう。」

本当に大切にしてくださって、ありがとう。共々、幸せです。

こういう世界に、生かしてくださり、ありがとう。


またひとつ「所有の在り方」のバリエーションについて、
幸せなインパクトを残してくれた彼。
この人生の恩人に、なにがし御礼したかった気持ちが
また、彼に頂くという形で返ってきた。

関わりのなかで、ひとは、世界をつくっていく。

ならばまた
なにを、つくっていこうか。
どうを、ひらいていこうか。

今日も世界は、凪いでいる。
どこへでも、どこまででも。


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