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恋に生きた君は知る【32話】

 ユスツィートの氷が消失し、解放された人々が膝を突く。
 正気を取り戻した直後の混乱から頭を押さえる者、呆然とする者、反応はそれぞれだったが呪いの影響が残っている様子はない。

「騒ぎの原因となった精霊は預かっていくが構わないか? お前自身の手で処断したいならそのように手配しておくが」

 ヨハネスに声を掛けられたユスツィートは少し考え込む素振りを見せながらも「お任せします」と返した。
 大切なのはエルメリアに向けられていた悪意が取り除かれることであって、自らの手で方を付けることではない。
 現役から退いて久しいとはいえ、前当主のヨハネスが引き受けてくれるというなら任せた方が安心だろう。

「では先に失礼する。クレアクリスを連れて行くので何かあれば呼ぶように」
「げぇ! 俺も行くのかよ!?」
「当たり前だろう。お前が来なければ他の誰が“道”を開くと言うんだ」

 ティミーを拾い上げたヨハネスは、クレアクリスに用意させた“道”を通って姿を消した。
 それを見送って一息吐く。

「しかし、お祖父様があれほど強力な神聖力を扱えたとは。エリー、君は知っていた?」

 疲労感に負けて床に座り込んだユスツィートを支えながらエルメリアは首を横に振った。
 ——記憶に間違いがなければ。
 ヨハネスは神聖力を有していなかったはずであるし、力を隠していたにしても“エルメリア”にだけは話したはずだ。
 しかし、覚えはない。
 神聖力を持たないはずの彼がどうして?

「あれは魔女の遺産です」

 浮かんだ疑問の答えを口にしたのは神父だった。
 ユスツィートとエルメリアは振り返る。

「魔女の遺産、ですか? それはいったいどういう……」
「言葉の意味そのままですよ」

 曰く、魔女“エルメリア”がヨハネスに授けた加護の一部を切り崩して神聖力に変換しているのだという。
 戦場にあって、全軍の治癒を担い切るだけの実力を備えていた彼女が施した加護は1層でも十分な堅牢さを誇るが、重ね掛けされたそれらの数はゆうに100を超え、奥義を発動させても揺るぎないほど。

「そこまで重ねて大丈夫なものなんですか?」

 神聖力ではなく魔力を用いる場合の話ではあるが。
 式が干渉し合って崩壊したり、効力が発揮されなかったり。
 対象が負荷に耐えらないなどの問題もあって、重ね掛けには相応の技術が求められるのだ。

 ユスツィートの質問に神父は「他の誰にも真似することはできないでしょう」と、答えた。
 魔力よりも神聖力の方が重ね掛けに適した性質を持っているのは事実だが、5が7になる程度のもの。

「魔女と呼ばれた由縁でもあります」

 知識と技術と素養。
 全てを揃え、高みに座した神域の才女。
 戦争に加担することさえなければ。
 あるいは亡国の教会が“エルメリア”の才覚を認め、相応しい肩書きを与えていれば。
 彼女の名はもっと別の形で後世に語り継がれただろう。

 神妙な面持ちでそう語る神父の言葉を聞きながらエルメリアはどう反応を返すべきかに悩んだ。
 あの頃はとにかく精神的に不安定で、正直、覚えていることの方が少ないのだ。
 ヨハネスが側に居てくれたことや神聖力を用いて戦線を維持するのに貢献したことなど。
 重要なことは記憶に留めているつもりでいるけれど。
 加護を施した覚えもなければ何かの間違いでは、と言いたい気持ちも捨てきれない。
 ただ奥義の発動時に感じた気配は確かに“自分”のものだった。

 ならば、神父の言葉に嘘はなく。
 しかし意図した結果ではないと言いたくても言えないジレンマ。

(無意識と偶然の産物でしかないなんて今の私が言うのもおかしな話だし……)

 結局、学園で講義を受けている時と同じ顔で聞き流す以外になかった。
 ユスツィートの気力が回復するのを待ちつつ、リブラントの屋敷に報せを届けさせたエルメリアは、迎えの馬車に乗り込むまで悶々とし続けることになる。

 そんな彼女の様子を受けて思うところがないとは言えないユスツィートは、ついボヤいてしまった。

「……何だか良いところがなかった気がするな、僕は」

 普段ならばまず間違いなく声には出さなかっただろうが今日ばかりは仕方ない。
 颯爽と現れるなり問題を解決していったヨハネスは、ユスツィートが理想とする姿そのものだった。
 憧れると同時に自らの未熟さを突き付けられているようで、不満とまでは言わないまでも近しい感情を覚えもする。
 馬車の座席に腰掛けながら唇を軽く尖らせた彼にエルメリアは目を瞬かせた。

「そのようなこと。ユースがいなければティミーを捕まえることはおろか、存在に気が付くことすらできなかったでしょう」
「あれは、ちょっとしたズルのようなものだから」
「ズル、ですか……?」

 クレアクリスのことを言っているのかとも考えたが、どうやら違うらしい。
 ユスツィートは、自身の秘密を打ち明けるにしては軽過ぎる口調で答えた。

「精霊の“匂い”が分かるんだ」

 エルメリアとクレアクリスが入れ替わった際にすぐに気付けるのも。
 秘術を使ってティミーを呼び出せたのも。
 精霊が発する特有の魔力を文字通り嗅ぎ分けることができるから。
 知覚した情報を式に組み込むことによって対象を指定したのである。

 因みに転移先でクレアクリスを呼び出したのは、秘術が上手く作動するかを確かめるためでもあった。
 
「普段は極力意識しないように心掛けているし、記憶についても読み取れないよう念入りに防衛魔法を敷いているからクレアクリスにも知られてはいないと思うけど」
「そうですね。必要最低限の報告しか受けていなかったので正確なところは分かりかねますが、気付いている様子はなかったかと」

 エルメリアは驚きつつも頷いた。
 ユスツィートにそのような特技があったとは。
 初耳である。

「しかし精霊の匂いが分かるからこそティミーの存在に気付けたのであれば、やはりユースのおかげで解決できたようなものと言っても過言とはならないでしょう」
「僕1人じゃどうにもできなかったけどね」
「助け合える存在がいるというのも1つの才能ですよ」

 珍しくも不貞腐れているらしいユスツィートの隣に移動したエルメリアは、彼の手を取って微笑んだ。
 転移させられた直後に駆け付けてくれたことへのお礼と、称賛の言葉とを並べる。

「ユースが即座に追いかけて来てくれなければどうなっていたことか。本当に感謝してもしきれません」
「あの時は考えるよりも先に体が動いていただけというか」
「で、あればなおのこと。お礼をさせてください」

 本来なら自身の安全こそを優先すべきだったと苦言を呈さねばならないところではあるが。
 どうせ後でたっぷり叱られることになるだろうし、今は構わないだろう。
 エルメリアにジッと見詰められたユスツィートは数秒の間を置いてからため息を吐き出した。

「君には敵わないな」

 少し甘やかされただけで、祖父への憧れも自身の未熟さもどうだってよくなるのだから。

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