恋に生きた君は知る【28話】
けして交わることのない異空間であればこそ入口と出口とを別々に繋げば最短の移動経路となる。
もっとも、リブラントの人間くらいにしか使えない経路ではあるが——。
クレアクリスが用意した“道”を抜けたエルメリアは、侯爵家の敷地内ではなく教会の裏手に降ろされたことに気付いて振り返る。
ただの転移魔法ならともかく精霊界を経由しているところを見られでもしたら厄介なことになるだなんて言わなくても伝わっているはずだが、いったいどういうつもりか。
使い終わった“道”を消しながらクレアクリスは不満そうな口調で答えた。
「俺はオーダー通りに繋いだだけだぜ」
ユスツィートの指示だったらしい。
視線を移せば、にこやかな笑みを浮かべてみせた彼曰く。
「お礼は直接伝えたいだろう?」
その手には花束。
エルメリアが転移させられた時のものだ。
原因となったリボンもしっかり残っている。
いつの間に。
「……犯人は教会の人間だと?」
「いいや。だけど無関係とは言えないかな」
「それはどういう」
「説明するより実際に見てもらった方が早いと思う」
花束を持っているのとは反対側の手を差し出される。
安全が保障されているのか。
それとも逆か。
エルメリアは戸惑いながらもユスツィートの手を取った。
「情けない話をしても?」
「え? ええ、どうぞ」
「基本的には僕だけで無力化できるはずだけど予想が外れたら君を頼ることになる」
なるほど。
いざという時の戦力としてか。
ユスツィートが現在、本調子ではないことを踏まえるなら妥当な判断とも言える。
「かしこまりました」
「すまない」
「必要なことなのでしょう?」
「……どうだろう。今の僕は冷静とは言いがたいから」
「あなたにとって必要なことならそれで十分です」
侯爵家の当主であるならばともかく。
何事も経験とはよく言ったもので、たまの“自由”くらい許されて然るべきだろう。
「道理に反するような方ではないことは存じ上げておりますので」
エルメリアはそう言い切った。
愛だの恋だのといった話を除けば、ユスツィートほど信頼できる相手もそうはいない。
勝る者がいるとすればヨハネスくらいのものである。
「話はまとまったか? なら俺はもう行くぜ」
「ありがとうクレアクリス。お礼は何がいいかしら?」
「あ? あー。前払いで受け取ってたってことにしといてやるよ」
「いいの?」
「昨日今日の付き合いって訳でもないしな」
ひらひらと手を振ったクレアクリスはそのまま姿を消した。
ユスツィートたちも教会の中へと移動し、丁度よく出会した神父に声を掛ける。
転移魔法でどこかに飛ばされてしまったことをすでに聞いた後だったのか大層驚かれたが、安否の報せを飛ばすよりも先に確認したいことがあると言えば首を傾げながらも対応してくれた。
「イルゼ嬢を呼んでもらえますか」
「……彼女が何か?」
「いえ。ただ同席していただきたい案件がございまして」
「かしこまりました。場所は礼拝堂でもよろしかったでしょうか?」
「構いませんよ」
教会には応接室がない。
代用できる個室が全く存在しない訳でもないものの、余程込み入った事情を抱えているだとか事務用品や雑貨の買付けを含め、表で行なうような話でもない限りは礼拝堂に案内されるのが通例となっている。
つまり、裏を返せば公にできない話をするつもりはないということ。
毎朝訪れている馴染み深い場所で数分ほど待っていれば、神父に連れられてきたイルゼは何故自分が呼ばれたのか分かっていない様子をみせつつも緊張はしていないようだった。
「お呼びと伺いましたが……」
「ああ。そこにいてくれるだけで構わないから確認させてもらいたいことがあってね」
「……確認、ですか?」
「準備を整えるから少し待って」
言うなりユスツィートは秘術を展開した。
花束に結ばれたリボンを触媒として対象を捕捉し、強制的に召喚する。
——クレアクリスを呼び出した時と要領は同じだ。
「《現れ、そして動くな》」
「ギャッ!」
どこからともなく現れるも受け身を取れなかった精霊は無様にも床に転がって悲鳴を上げた。
——桃色の髪を携えた人型の精霊だ。
「ティミー!?」
イルゼは思わず、といった調子で精霊の名を呼んだ。
エルメリアたちには面識のない相手だったが、どうやら彼女は違ったらしい。
知り合いかと尋ねると困惑を滲まさせつつも友人だと答えた。
「どうしてあなたが……」
「……秘術さえなければ我らの足元にも及ばない人間風情がっ! 真実に辿り着いて勝ったつもりか?」
しかし、ティミーは見向きもしない。
ユスツィートを睨み付け、緋色の瞳を憎悪で揺らす。
「正義の女神の愛称を名乗っているのは皮肉のつもりかな。センスが悪すぎて同情しそうになるよ」
「このっ……!」
「《こちらの質問に嘘偽りなく答えろ》 僕とイルゼ嬢の噂を広め、エルメリアに危害を加えた理由はなんだ?」
いつになく辛辣な物言いで相手の言葉を切り捨てたユスツィートは、再び秘術を使用し本題に入る。
ティミーは抗うように数度ガチガチと歯を鳴らしてから答えた。
「……チッ! そんなの復讐のために決まっているだろう!」
「復讐? 君とは初対面のはずだけど」
「忌ま忌ましいリブラントの人間がこの世に存在しているというだけで腸が煮え返りそうになる」
そこまで聞いてクレアクリスが言っていたことを思い出す。
「戦争の当時を知っている精霊か! いや、今も生きているとは聞いていたけど……」
まさか実際に関わることになろうとは。
さすがに予想外だ。
ユスツィートは目を見張る。
ティミーは彼を睨み付けたまま唸るように続けた。
「ヨハネスさえいなければ秘術ごとその血を根絶やしにできたというのに」
「……なるほど。それで僕とエリーの仲を引き裂こうとしたって訳か」
秘術の消失を目的としているのならせっかく失われている資格が元通りになるような事態は避けたいはずだ。
ユスツィートがエルメリア以外の相手を選んでいれば強引な手段を取ることもなかったのだろうが、状況が悪化してなお、婚約の儀を延期しようともしなかったので痺れを切らした、と。
「もういい《静かにしていろ》」
聞きたいことは聞けたのでそう命じてティミーの口を塞いでおく。
侯爵家の内情にも関わる話なのでこの場で掘り下げる訳にもいかなかった。
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