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恋に生きた君は知る【4話】

 聖職者に求められる資格の中で当てはまるものがあったとすれば、最期まで処女を貫いていたことくらいか。
 初夜を含め、夜の相手は全て恋敵である“彼女”に任せていたのだ。

 逆に50年前の時は王の戯れで不特定多数の相手と肉体関係を持つことになったものの——生の喜びが怨恨に塗り潰されて命を弄んだと責め立てられるまで——ただひたすらに自軍の兵を救い続けたという意味では善行を重ねているし、神に仕えることを本職としていた時期すらあるにも関わらず今世のエルメリアは神聖力を有していない。

 まあ神聖力がなければ修道院には入れない、なんてことはないので構わないのだけど。

「エリー」

 ユスツィートの声が物思いに耽っていたエルメリアの意識を現実に引き戻す。
 どうやらパーティのメイン会場である講堂の前まで来ていたようで、先に諸先輩方への挨拶を済ませておきたい旨を告げられた。
 異論はない。

 新入生が入場を開始して宴もたけなわとなってからでは十分な時間を確保し難く、何より挨拶を済ませない内からパーティを楽しむだなんてマナー違反もいいところ。
 さらに言えば、魔女であり無彩色のエルメリアには挨拶に向かわねばならない相手がいないので、ユスツィートの都合を優先しても問題はなかった。

 ——無彩色は無能色とも呼ばれ、差別的な扱いを受ける傾向にある。
 赤なら火属性、青なら水属性といった風に先天的な素養と魂色が密接な関わりを持つ中、色彩のない人間は“才能を持たざる者”とも言えてしまうためだ。

 魔女と同じ名を授けられた上に“無能”ときては距離を置かれるのも道理——。
 例外であるユスツィートはパートナーとして共に参席するし、同寮の先輩や主催者への挨拶は省略することが許されている。
 なので、エルメリアが“挨拶に向かわねばならない相手”はいないのである。

 交友関係が広く相応に時間を要するユスツィートとは、ある意味でバランスが取れていて丁度いい。

「おいおいユスツィート、まるで新入生みたいにピカピカな衣装じゃないか」
「どうした? 今年改めて入学し直したのか?」
「あはは。いいでしょう? 知り合いのご子息が入学するのでその祝いとして、色々購入させていただいたんです」
「それを自分で着ているのか?」
「相手が隣国の商家の方で、こちらの方が喜ばれまして」

 分かりやすい冗談を交えたそんなやり取りを交わすこと十と数回。
 あと何人残っているのかを確認するのも億劫になってきた頃。
 会場内を彩っていた音楽が不意に止み、本日の主役の登場を告げるアナウンスが流された。

 惜しみない拍手が光を纏った花の吹雪きを舞い散らせて、新入生を出迎える。
 ——歓迎会用に施された魔法で、拍手の音が大きければ大きいほど花びらの量が増すように設定されており、視界を埋める勢いで吹雪かせようと悪ノリする生徒も少なくない。

 エルメリアは物理的な眩しさに目を細め——そして、息を呑んだ。

(何故? どうして?)

 小麦色の肌に無機質なエメラルドの瞳をはめ込んだ1人の男子生徒が目を見開く様を見た。
 光を蓄えた金色の髪が揺れる。
 永遠にも等しく、刹那的な数秒間。
 彼女は自らが恋焦がれ続けている相手の名を口に出してしまっていたことを自覚しない。

 ただ、心が、魂が、“彼”だと叫ぶことに動揺を隠し切れないでいた。

(容姿も、背丈も、何もかもが違うのに)

 あの男子生徒は“彼”である、と確信する自分がいる。
 混乱するなという方が無理な話だろう。

(列の先頭にいるってことはおそらく首席で入学してる。コサージュの色が青だから寒色系男子のブルーローズ寮)

 だからどうした、と自問する。
 顔を合わせたところで今更。
 話すことなんてないというのに。
 求めずにはいられない自らの愚かさに泣きそうになる。

(……ああ、本当に度し難い)

 天と地ほど差はあれど150年前の“彼”と今のエルメリアの立場はほとんど同じ。
 ——婚約者を持ちながら他に想う相手がいる。

 それを裏切りと知りながら、朽ち果てて久しい感情の亡骸を手放せない。
 当時の“彼”の心情を今になって理解し、そして思う。

 ——同じ過ちを犯すなら“彼”の行いを許さねばならない。
 “彼”と“彼女”の関係を受け入れて——。
 許すだなんて、無理だ。認められない。
 愛を語るには遠く、恋を忘れるには近過ぎたあの頃。
 身を焦がした激情こそが死してなお忘れ得ない未練そのものなのだから。

 150年前の恋に終止符を打つか。
 あるいは“彼”の行いを許すか。

(許せる訳がない。でも、捨てられもしない)

 そういう恋だった。
 けれど——。

(ヨハネス、前世でただ1人“私”を憐んでくれた可愛い子。あなたの名を今この場で呼べたならと、そう考える自分が何より度し難い)

 神に仕える身から奴隷に堕とされ、娼婦よりなお酷く凌辱され、王の死と共に魔女の汚名をたまわった。
 そんな“エルメリア”に死を経てなおも寄り添い続けてくれている護衛官。

 彼の願いであればこそエルメリアはユスツィートとの婚約を受け入れた。
 でなければ、とっくの昔に身投げしているところだ。
 ——民衆に望まれた死を救いとして受け入れた前世、その記憶を持つエルメリアは自らの死を忌避しない。

(あなたを求めるのはただの“逃げ”。頭では分かっているのに、心を捨てられない私が愚かなだけ)

 何故。何故。何故。
 放っておいてはもらえないのだろう。
 顔を覆って蹲りたい衝動を抑え込み、エルメリアは笑みを貼り付ける。
 思わぬ知り合いが入学を果たしていたことに気付き驚きはしたものの微笑ましく見守る姿勢を取った、ということにするために。

 ……体面を取り繕うことだけは得意なのだ。

 ユスツィートには通用しないかもしれないが、無理に暴こうとする人ではないので一言「何でもない」と伝えるだけで済む。

(一旦、落ち着こう。この恋は叶わない。それは決まりきった事実で、ただ私が“彼”のことを慕い続けているだけなのだから。諦められずとも関わらずにいることはできる。心の内を隠すことはできる)

 大丈夫だと、自分に言い聞かせる。
 まあもっとも——。

 運命の神様とやらがエルメリアの思いを汲んでくれるようなお人好しだったなら、生まれ変わった“彼”と再会を果たすだなんて奇跡は起こらなかっただろうけど。

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