恋に生きた君は知る【24話】
鐘の音が響き渡る。
万物に等しく降り注ぐ神の音色が礼拝堂に満ち、祈りを捧げる者——エルメリアの身を浄める。
「天と地とに宿し神々が今日という日をあなたに与えたことを喜びなさい」
「仰せのままに」
祈りの終わりを告げる神父に定型句を返した彼女はそれから、修道女たちも利用している更衣室へと移動した。
——害意がないことを示すため領地で暮らしている間は教会に通い、祈りを捧げてから奉仕活動にあたるのがエルメリアの日課とされている。
奉仕活動と言っても教会内の清掃を手伝ったり言い付けられた仕事をこなしたり。
ボロ雑巾一歩手前まで着古された修道服に着替えさせられ「相応しい扱い」を教え込まれるだけの時間だ。
田舎町の教会で暮らしていた頃を思えば何てことはなく、エルメリアにとっては丁度良い贖罪の機会でもあったので素直に従ってはいるものの、出てもいない杭を執拗に打ち付ける行為に正当性はないものとも思う。
エルメリアが“エルメリア”でなければ単なる迫害。
将来的な話にはなるがユスツィートの妻になろうという身で現状を甘んじ続けるのは流石に侯爵家の威信にも関わるため、奉仕活動については婚約を機に辞める方向で話を進めている。
逆を言えば、婚約の申請が受理されるまでは続ける予定でもいる訳だが。
「——あれ?」
聞き覚えのある声がした。
間違いであって欲しいと願いながらそのようなことがあり得るはずもないと自ら願いを否定する。
振り返れば、やはりそこにはイルゼ・ベルツェの姿があって。
「エルメリア様、ですよね? えっどうしてこのようなところに!? それにそのお姿……」
戸惑いを滲ませた彼女の問いに答えたのは案内役を任されたのであろう修道女だった。
「彼女は我々と違い教会に属している訳ではございませんが神々への感謝を忘れぬようにと仕事を手伝ってくれているのです」
物は言いようである。
溜め込まれた洗濯物——それも男の下着を洗ってくるよう言い付けられたエルメリアは1人、大きめの盥に放り込んだそれらをせっせっと踏みしだいていた。
一息で洗濯を終わらせるような“魔女”を彷彿とさせる魔法の行使は禁止されているし、洗濯機は他の衣類で埋まっているとか。
昔ながらの手法を用いるのに適した場所が室内にある訳もなく、日に日に冬の寒さも増してきている中、外に出て素足を晒さざるを得ない状況下に追いやられているというのに。
神々への感謝を忘れぬための手伝いとは。
(まあ派手な使い方さえしなければ魔法の使用自体を禁止されてる訳ではないから見た目ほど重労働って訳でもないんだけど)
防寒と防水それから洗浄の魔法の同時使用と、魔力量の調整など。
一種の修行を兼ねていると思えばむしろやり甲斐さえ感じるほどである。
継ぎ接ぎだらけの衣服を身に纏った見窄らしさや素足を晒すはしたなさに対する羞恥心だって、体を暴かれる苦痛と比べたらあってないようなもの。
——そう今この瞬間までは思っていた。
同じ支給品でも質の良さが伺える修道服に、清楚さを失わない程度にイルゼの髪を彩る飾り。
丁重な扱いを受けていることが伺える彼女と自分とを比べて「恥ずかしい」と感じていることに気付いたエルメリアは内心で驚く。
——まだ羞恥を感じる心が残っていた?
半分は正解だが、半分は間違いだ。
エルメリアが羞恥心を覚えたのは、イルゼが“彼女”とそっくりでユスツィートとも噂される仲だから。
言ってしまえば対抗心にも近い。
(いやだわ。それってつまり諦め切れてないってことじゃない)
ユスツィートのことを疑ってはいない。
しかし彼が心変わりしないものと信じてもいない。
そう本心から思っているのなら、羞恥心なんて感じる必要はないはずなのだ。
信じたいと思っている。
それが今のエルメリアの本心なのだろう。
婚約指輪を付けている左手を一瞬握り込んでから開く。
イルゼが拠点とする教会はリブラント領内にはない。
彼女が何故ここにいるのかは分からないが、しかし男爵家の令嬢ではなく修道女としてここを訪れていることくらいは見て取れる。
ならば、とエルメリアは黙したまま一礼のみに留めて背を向けた。
洗濯の作業に戻る。
それが教会から教わった「エルメリアの取るべき態度」であったし、受け答えについては先程と同様案内役の修道女が代わりに行なうだろう。
もし仮に私的な会話を望むというのであれば、それは貴族的な立場を持ち出すということであり家格で劣るイルゼはエルメリアの許可なく話し掛けてはならない。
背を向けた時点で対話は終了しているものと言える。
(……まさか教会の“教え”に助けられる日が来るなんて思ってもみなかったわ)
戸惑いを残しつつも遠ざかっていく足音を聞きながらエルメリアはため息を吐き出した。
動かしていた足を止め、祈りを捧げるために手を組む。
(我が身を守りし神よ。あなた様のご慈悲に感謝を)
今は亡き“祖国”が滅ぼされた折よりエルメリアは神に祈る意義を失っていた。
神前で膝をつくのは贖罪のためであり、されどあの忌まわしき戦争がヨハネスとの出会いのために用意された“運命”だったとするならば。
——神は“エルメリア”のために国を1つ滅ぼすことさえ良しとした。
歪んでしまった秘術の在り方を正すために。
数多くの犠牲を払いながら奇跡と希望とを与えたのだ。
祈りの意義を取り戻すのにこれ以上のものもない。
(どうか穏やかな日々が続きますように)
祈りも、願いも、神には届かない。
それでも祈り、感謝を捧げる。
同じ過ちを繰り返さないために。
自らが望む未来を見つめ直すために。
「ルールイェス」
——我らが神々の仰せのままに。
ユスツィートと共にありたいと願い、選んだ未来が明るいものであることを祈る。