見出し画像

恋に生きた君は知る【29話】


「さて、イルゼ嬢。僕が何を確認したかったかはもう分かっていると思うけどあえて尋ねよう。君は精霊と契約したね?」

 ユスツィートが向き直れば、イルゼを案内してきてからそのままこの場に留まっていた神父が「お待ち下さいっ」と声を上げた。
 それを手で制す。
 弁明も助命も今はまだ必要ない。
 ただ、事実を確認しているだけだ。

 ティミーの発言が発言だっただけに、さすがに緊張した面持ちとなったイルゼは小さく「……はい」と頷いた。

「確かに契約しました」
「契約の式を見せてもらえるかな」
「こちらです」

 契約を交わした際に用いた式を浮かび上がらせる。
 その内容には不備も悪意もなく、だからこそ問題があるとも言えた。
 イルゼがどこまで状況を把握していたかは分からないまでもティミーの真意を見抜けていなかった点に関しては彼女の落ち度と言わざるを得ないだろう。
 ——クレアクリスがエルメリアの姿を変え、魔力の供給を受けられるように、精霊は契約した相手に少なからず影響を及ぼせるのだ。

「私は何かの罪に問われるのでしょうか」
「その判決を下すのは僕ではないから何とも言えないね。ただ取引に応じてもらえるのであれば精霊の引き取りだけで済ませてもいい」
「……取引、ですか?」

 ユスツィートは頷いた。
 イルゼだけではなく、神父にも向けて秘匿の条件を提示する。

「“聖者の衣”の貸し出しと婚礼の儀に際しエルメリアが羽織ることへの許可を」

 ——“聖者の衣”とは。
 教会に認められた者の中でも特に位が高いとされる者のみが羽織ることを許されている純白の衣だ。
 各教会に1着は必ず保管されていながらも認可された者は少なく、神聖力の高さを買われているイルゼでさえ身に纏ったことがない。

 幼い頃から教会に通い続けたエルメリアの献身に対する特例措置とでも言えば、そう怪しまれることもないだろう。
 要は教会がエルメリアの存在を認めた、という分かりやすい事実が欲しいということ。

「それは流石に、わたくし共の一存だけで決められることでは……」
「条件を呑めないのであれば包み隠さず報告を上げるだけです」
「ほ、他の方法は!? 本部に掛け合い必ず許可を得てくることをお約束しますので!」

 顔色を悪くさせた神父にユスツィートは笑顔を向けた。

「聖者の衣の扱いは保管している教会に一任されているでしょう。十分な権限を持った人間が丁度居合わせているのにどうしてわざわざ他の方法を検討する必要が?」

 条件を譲る気は一切ない。
 声音は優しくもバッサリと切り捨てる。
 ティミーの流した噂話が民衆の間にも広まってしまっている以上、全ての問題を内々に終わらせることなどできはしないのだから。

「何もエルメリアに位を授けろと言っている訳じゃない。そちらの過失で危険に晒されたばかりか民の不安を煽る結果となったことに対し、責任を取る方法として、教会の人間が不用意に行なった契約で被害が発生したという醜聞を広めるか。魔女と同じ名を持って生まれた少女を正しく導いたという美談に変えるか。選ぶまでもないことだと思いますけど」

 神父はしばらくの間、唇の開閉を繰り返して悩んでいる様子を見せたものの最終的には聖者の衣の貸し出しに同意した。
 魔法式を用いた契約書を作成し、エルメリアが身に付けている婚約指輪にそれを収める。

「本当にこれで黙っておいてもらえるのですよね?」
「もちろん。ただ、イルゼ嬢が交わした契約が露見すれば庇いきれませんので」
「そんな……!」
「この場で破棄してしまえばその心配もなくなるでしょう」

 イルゼに視線が集まる。
 祈るように胸元で手を組んだ彼女は、目を伏せるもすぐには頷かなかった。

「……契約を破棄する前にティミーと話をさせていただけないでしょうか」
「やめておいた方がいいと思うけど」
「どうかお願いします」

 ケジメをつけるためなのか。
 信じる心を捨て切れなかったのか。
 どちらにしろ、利用されていたという事実は覆らない。

 ユスツィートは数秒の間を置いても引き下がる様子を見せないイルゼにため息を返しつつも、ティミーに命じて対話の機会を与えることにした。
 下手に押し問答を繰り返すよりもそちらの方が早く済ませられると考えたのだ。

「そろそろ無事を報せに向かわなければならない。長引きそうだと判断したら途中で切り上げるからそのつもりで」
「ありがとうございます!」

 イルゼはティミーと向き合った。
 つい数分前までは友人と信じて疑いすらしていなかった精霊の憎々しげな表情を見て、一瞬、腰が引けるも開いた口から言葉を吐く。

「私、あなたのことを良き友人だと思っていたのよ」
「ああそうかい。それで?」
「……何も思うことはなかったの?」
「もちろんあったさ。何て愚かで騙しやすい娘なんだろうってね!」

 あまりにも愚図で察しも悪いものだからニコニコ笑って愛想良くしているのが大変だった、とティミーは続ける。
 わざと露悪的に振る舞っている訳ではなく、本心からの言葉であろうことが容易に察せられる態度で。
 真正面から投げ付けられた悪意に堪え兼ねのか、イルゼはそっと目を閉じた。

「私は本当に愚かだったのね」
「そう言っているだろう」
「よく分かったわ」

 1つ、呼吸を置いて目を開く。
 迷いはなくなった。

「私は私の犯した過ちを正します」

 宣言すると同時。
 イルゼの容姿が一変する。
 ——健康的でバランスの取れていた体躯は鶏ガラのように痩せ細り、髪は癖の強いモジャモジャの赤毛に、頬にはソバカスが。

 エルメリアのよく知る“彼女”とは似ても似付かない。
 一般的な醜美の基準に当てはめるなら醜女に分類されるであろう、それがイルゼの本当の姿らしい。
 ——幼少の頃より外見に恵まれなかったことを嘆かれ続けていた彼女は、ティミーとの契約で自身の見目を変える魔法を手に入れていたのだ。

 最初は髪の毛のクセを緩める程度から。
 数年をかけて少しずつ、変化を重ねて“教会の広告塔”に相応しい姿を定着させた。
 理不尽な落胆や一方的な嘲笑を無視して生きるだけの強さを持てなかったイルゼにとっては、なくてはならない能力だったが、協力者であるティミーが悪意をもって他者を傷付けながら、反省も後悔もないというのであれば全てをあるべき形に戻す他ないだろう。
 今日に至るまで、向けられた笑みの裏に隠されていた思いに気付けなかったことがただただ不甲斐なく。

 展開し直した式が空気に溶け落ち、その消滅をもって契約は完全に破棄される。
 あとはユスツィートが提案した通りに事を運ぶだけ。
 湧き上がる虚しさに眉を寄せながらも肩の荷が下りたような心地で息を吐いたイルゼは、そこで違和感を覚えた。

 体の内側を“何か”が巡る。
 その“何か”が自身の魔力であることに気が付いた時にはもう遅かった。

「えっ、ぁ? あああああああぁ——っ!?」

 膨れ上がった魔力は彼女の意思に反して搾取され、魂さえもを軋ませる。
 何が起こっているのかを把握する間もなく神父とユスツィートは膝をついた。

「ユース!?」

 エルメリアは慌ててユスツィートの体を支えたが、胸元を押さえ、歯を食いしばった彼は答えない。
 嘲りを含んだティミーの哄笑こうしょうが響き渡る。

「あっははは!! 何だお前、すました顔で興味のないフリをしながらしっかりイルゼのことを愛していたんじゃないか!」
「何を」

 したのか、と。
 言い切る前にティミーは飛び上がる。
 ユスツィートの意識が削がれたことで拘束していた力が緩んだのだ。

「簡単な話さ。ちょっと考えればすぐに思い付く。呪い。呪い。そう呪い。私を倒したところで解けない呪いをかけておいたのさ!」

 それは、イルゼが契約を破棄した瞬間に彼女を愛していた者に堪え難い喪失感を与える呪いだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?