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恋に生きた君は知る【14話】


 精霊界を後にしてすぐ気を失ったエルメリアが目を覚ましたのは翌日の明け方。
 授業に向かう準備をするには早く、寝直すには微妙な時間帯だ。
 気を利かせたクレアクリスが運び込んでくれたらしい寮の自室のベッドで膝を抱え込んでため息を吐き出す。

「おいおいおい。朝からため息とは辛気臭いじゃねーの」
「……まだいたの」
「ゴシュジンサマに登校する元気があるようならこのまま“食事”に向かうがな」

 夕飯の残りだろう、朝から食べるには重たいメニューが載せられたプレートを差し出されたが、エルメリアは受け取らなかった。
 ……食欲がない。

 早々に渡すことを諦めたクレアクリスはプレートをサイドテーブルに置いて保温魔法を掛け直す。

「加減は間違えてないはずだが食い過ぎたか?」
「いいえ」

 胸の内に巣食った自殺願望も『心から欲しているもの』という意味で言えば欲求の括りに入れられる。
 食い物にされ過ぎれば気力を無くして廃人と化すが、突発的で抗いがたい衝動を収めるのにクレアクリスの能力は適していた。
 そうでなければエルメリアはもっと激しく自傷行為に走って、表には出られない姿に成り果てていただろう。

 ただ、食べられ過ぎた訳ではなくとも衝動を失って思考がクリアになった分、色々と考えてしまって結果的に気分が塞いでしまうことはある訳で。

「ヨハネスには感謝してる。だからこそ彼の孫に迷惑を掛けるようなことはしたくないの」

 クレアクリスはエルメリアの側に腰掛けた。
 おおよそのことは自業自得と考えているが慰めない理由にはならないし、何より煮ても焼いても食えない理性の塊のような男ユスツィートが想定外の自体に振り回される姿を想像すれば優しくもなれようというもの。

「ユースの奴は婚約に不満なんてないんだ。別に迷惑にはならないだろうよ」
「でも私は、」
「言わなきゃ誰も知り得ない。お前さんはただ同じ名を持って生まれただけの女だ」
「……ユスツィート様を幸せにできるだなんてどうしたって思えないのよ」

 互いに互いの幸せを願っているのだからそれ以上の何が必要なのかと、クレアクリスは面倒に思い始めるが態度には出さない。
 今必要なのはエルメリアを前向きにさせるための言葉を吐き続ける根気である。

「お前さん以外の娘と結ばれた方が幸せになれるって? そんな保障がどこにある。アイツがロクでもない悪女に惚れ込む可能性だってゼロじゃないだろ」
「それはゼロでしょ」
「言い切るなよ。分からねぇだろうが」
「仮にユスツィート様の趣味がすこぶる悪かったとして、それならそれで私に惚れてる可能性もゼロじゃないって話になるじゃない。あり得ないわよ」
「現在進行形でお前さんに貢ぎまくってる男に対する正当な評価とは思えねぇなぁ」
「……あれはパフォーマンスでしょ」
「誰に対する? 何に対する?」

 エルメリアを大切にしていることを周囲に知らしめても新たな出会いには繋がらない。
 逆にユスツィートを諦める女の方が増えるだろう。
 その行動に意味を見出すなら『エルメリア以外の女を側に置く気はない』という主張に他ならないのだ。

「いい加減、素直になっちまえよ。それとも何か。ユスツィート様のためなら“過去”を忘れられないままでもいいとでも?」
「————」
「言える訳ねぇよなぁ」
「やめてっ!!」

 エルメリアは耳を塞いだ。
 目を固く閉じて縮こまる。
 一拍置いて慰めるどころか追い詰めてしまったことを自覚したクレアクリスは咄嗟に言い繕おうとしたが——。

 いや、無理だろう。
 踏んでならない地雷を踏んだのだ。
 もはや腹を括るキッカケになりさえすれば理由なんてどうだっていいと、開き直る他ない。

「死を救いとするほどの“記憶”を今ならヨハネスの贖罪に付き合うだけで忘れられるようになるんだぜ? いいじゃねぇか。ユースの奴はお前さんを嫌っちゃいない。誰も不幸になんてならない。うだうだ悩むのをやめて受け入れちまえば全てがまぁるく収まるウマイ話だ」

 耳を押さえているエルメリアの手を掴んで外させる。

「今さら純情ぶるなよ」

 だいたい、ユスツィートとの婚姻を断ったとしてその後は?
 リブラント家の人間と子を成さない限り忘却は許されない。
 非公式のものとはいえ婚約を交わしている今が絶好のチャンスであることは否定しようのない事実だ。

 暴れ始めたエルメリアを押し倒し、身動きを取れなくさせる。
 血の気を引かせた酷い表情を見下ろしながらクレアクリスは悪魔のような笑みを浮かべみせた。

「本当は期待してたんだろう?」
「やめてってば……っ!!」
「運命の相手やらが現れず、無事に婚姻を結べたならその時はユースのことを信じたい、愛したいってなぁ」

 エルメリアは唇を噛んだ。
 ユスツィートが運命の出会いを果たさなければ、シェシュティオから話を聞くまでもなく彼と結婚し子を成しただろう。
 “過去”の恋としがらみとを忘れられないという言葉に嘘はない。
 けれど、ユスツィートとの未来を思い描いたことが1度もないと言えばそれは嘘だ。

 永遠に報われない恋心に終止符を打つキッカケが他の男との結婚だったか、生まれ変わった当人との対話だったかの違いだけ。

「お前さんがアイツに対して誠実だったことなんてただの1度もないんだ。隠し事の1つや2つ増えたところで気にするなよ」

 せせら笑うクレアクリスの言葉が耳に痛い。
 エルメリアの頭を悩ませている問題のほとんどがこれまでの不誠実な行いを起因としていると言っても過言とはならないし、婚約者として、まともに向き合ったことがあるかと聞かれたら答えはノー。
 歩み寄ろうとする彼の努力をずっとにじってきた。

 今さらと言われればその通りで、下手に打ち明けるくらいなら墓場まで持っていった方がマシというもの。
 忌まわしい“過去”を忘れ去りたいがためにこれまでの言動を撤回します、なんて聞かされても困るだけだ。

「ま、どうしても気になるって言うならとっておきの秘密を教えてやるが」
「……とっておきの秘密?」
「ユースの奴が内心で秘めている婚約解消の条件だよ」

 エルメリアは目を見開いた。
 運命の相手とさえ出会えば自然と切り出されることになるものと考えていた彼女にとってはまさに寝耳に水。
 条件が存在するだなんて思いも寄らなかったのである。

「だいたい、本気で婚約を解消してぇなら俺に尋ねりゃ良かったんだ」
「そ、そう思うなら初めから教えてくれても良かったじゃないっ!?」
「俺の召喚者はあくまでもヨハネスだぜ? アイツがお前さんの幸福を願ってる以上、その意に反するような行動を取れるかよ」
「じゃあ、何で今……」
「ユースが掲げている条件はお前さんが自身の幸福のために願うこと」

 “過去”の忘却という甘い蜜が垂らされた今、エルメリアの幸福はユスツィートとの婚姻の先にしかない。
 クレアクリスは笑う。

「選べる道なんて初めから1つしか用意されてなかったって訳だ」

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