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恋に生きた君は知る【35話】


 対象者の死亡により効力を失っていた契約式が熱を帯びて再契約が果たされたことを知らせる。
 ——エルメリアが生まれ変わったのだ。

 精霊界で過ごす時の定位置となっている枝の上で惰眠を貪っていたクレアクリスは思わず飛び起きた。
 すぐ側にいたティミーに「どうした?」と、尋ねられて素直に答えて良いものか一瞬迷ったものの、ありのままを報告する。

「ああ、あの娘が帰ってきたのか!」
「相手が死んだことで無効になったはずの契約式が活性化する理由なんて他には考えられないからな」
「今度はどんな地獄に落としてやろうか」

 ねっとりとした笑みを浮かべて悪巧みを始める。
 以前であれば何とも思わなかった姿に眉をひそめ掛けたクレアクリスは、立ち上がる動作でそれを隠した。

「様子を見てくる。報告は前回と同じ形式でいいんだろう?」
「もう? 育つのを待ってからでもいいんじゃないか」
「一応、エルメリアの身辺を警護するってのが契約の内容なもんでね」
「悪いねぇ」

 契約を頼りに“道”を開いて精霊界を後にする。
 ティミーに不審がられないよう、距離を取るための口実だったが様子を見に来て正解だったと、自分で自分を褒めることになるのにそう時間は掛からなかった。

 魔女として処刑された女と同じ名を持って生まれたことを嘆かれ、赤子であるというのに身の回りの世話をする人間がいなかったことが1つ。
 新生した人格が前世の記憶に押し潰されて消え掛かっていたことが1つ。

 応急処置として記憶封じの魔法を掛けたが、長くは保たないだろう。
 クレアクリスの実力不足というよりは相性の問題で——。
 リブラントの資格者に精霊の魔法はほとんど通じない。
 秘術の資格はただ刻まれるだけではなく、加護としての役割もきちんと有しているのだ。

 通常の3倍から5倍程度の労力を割いても効果を発現させられるのは一瞬といったところ。
 契約を通じてエルメリア本人の魔力を借り受けていなければ、干渉することは不可能と言っても過言とはならなかった。

 そうでなければ、リブラントの血を絶やすのに何百年という時を掛ける必要もなかっただろう。

(資格者本人から魔力を借りても数年で解けちまうんだからやってらんねーわな)

 存在を知られれば秘術を使って止められ、遠方から呪い殺そうにも加護の力で無効化される。
 前々世の“エルメリア”に兄弟が居なかったのはリブラントを恨む精霊たちに子孫が生まれにくくなる呪いを掛けられていたせいだが、それも長い時間を掛けてのもの。
 ティミーがエルメリアを地獄に落とすことに固執するのは“何重にも呪われている血は途絶えさせながらも秘術の資格は引き継がせる”という、全てを無に帰す魔法を編み出してしまったことが原因でもあった。

 しかもその動機が「愛した男と恋敵の繋がりを示すものを後世に残したくなかったから」なんて、ふざけているとしか言いようのないものとくれば、台無しにされた側が怒り狂うのも当然の話である。

(気持ちは分かるがそれでも全部、過去の話だ)

 穏やかな表情で眠りに就いた赤子の目元に残された涙を掬い上げながら改めて思う。
 唆した王の手を借りて、祖国も、名誉も、何もかもを奪い尽くす前ならばまだしも……。
 後世にまで語り継がれるほどの悪人として処刑された後なのだ。

 リブラントの秘術が脅威であることに間違いはなくとも。
 ティミーにとってどれほど許し難い存在であろうとも。
 これ以上の復讐には付き合い切れない。

 クレアクリスにとっては、あの日あの瞬間に目にした輝きだけが覆せない事実だった。

「欲深い女に育てよ、エルメリア」

 感情の起伏が乏しく、相手に合わせて反応を返すだけのつまらない女になんて2度と戻させるものか。
 彼女は自分の、人の欲望を糧とする精霊スリピースウィーピーの契約者なのだから。
 強欲なくらいで丁度いい。


 話を聞き付けたヨハネスが訪れるまでエルメリアの面倒を見ていたクレアクリスは、その後も彼女の側に控え続けた。
 姿隠しの魔法で本人にさえ気付かれないように。
 ティミーへの報告は嘘にならない程度に、けれど重要なことは隠しながら。

 記憶封じの魔法も改竄の時と同じで脳に負荷が掛かるため重ねて掛けるのではなく徐々に思い出させて慣らしていく形で、どうにか人間らしい感性を残すことには成功したものの精神面の不安定さだけはどうにもならなかったのだ。
 いつ調子が崩れるか分からない以上、そう離れてもいられない。

 徐々に慣らしたとは言っても初めの内は酷いもので、日に何度も自殺衝動に襲われていたし、成長してある程度動けるようになるとそれを実行に移すだけの能力も備わってくる。
 食欲の減退、食べても吐く、といった症状はどうすることもできなかったので食べられそうなものをその都度探し出してくるのが大変だった。
 修道院に入りたいなどと言い出した時には絶望したもののだったが、年端もない子供にそこまで言わせてしまったことを周囲の大人たちも反省したらしい。
 あからさまな態度で拒絶反応を示す者が減ったという、結果だけ見れば良かったことと言える。

 そうこうしている間に、エルメリアに惚れ込んだらしいユスツィートが彼女の気を引こうと奮闘し始め、殻に閉じこもっていられる時間が少なくなった。
 一歩間違えればさらに精神を追い詰めることになっただろうが、そこはヨハネスの孫。
 子供ながらに察しもよく、エルメリアに負担が掛かっていると思えば即座に切り上げるという引き際の見極めだけは完璧だった。
 ……まあ、逆を言えば引き際の見極め以外では数え切れないくらいの失敗を重ねてもいる訳だが。

 自覚するよりも前に小っ酷く振られたせいで色々と捻じ曲がってしまったものを正せば、その根幹を成しているのは初恋の2文字であり、どれだけ憎らしく思っても憎み切れはしなかったのだろう。

 エルメリアの特徴のなさはトップの人間と比べた時の話であり、1、2を争うには足りなくても5本指に入るくらいならチャンスがある程度には見目も整っているし。
 他者と関わる機会の限られている子供時代に初めて会った同世代の女の子という、それなりに特別感のある立場で、婚約者として紹介されたら心を動かされもする。
 もし仮にエルメリアが言うような運命の相手が存在するのだとしたら、ユスツィートにとってその相手はエルメリアをおいて他になかった。

 そうして、愛する以外になかった女を振り向かせるのに、不快な思いをさせている暇なんてあるはずもないことを誰に言われるまでもなく彼は理解していたのである。

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