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恋に生きた君は知る【30話】

 精霊のティミーが直接手を下せば秘術を用いて止められる可能性がある。
 だから、どんなに回りくどく、虫唾が走るような手法でも必要なことと割り切って、使えそうな人間を利用することにした。
 50年前も。150年前も。
 エルメリアでさえ記憶していないような遥か昔から。

 リブラント家に与えられた資格を絶やすことだけに腐心し、あと一歩のところまで辿り着いたのだ。

「喪失は恨みと憎しみを育て攻撃性を高める。誰が愛する者仮初めの姿を奪ったのか分かるように細工を施しておけば、ほぉうらこの通り」

 呪いの発信源と化したイルゼを封じ込めようと、エルメリアは動き出したがそこへ光の矢が降り注ぐ。

「許さぬ、許さぬ、許さぬ……っ!」

 呪いの効果で正気を失った神父は2撃、3撃と休むことなく攻撃を続けた。
 ——狙いはエルメリアというより彼女の側で動けずにいるユスツィートのようだ。
 反射的に展開した魔法障壁でどうにか身を守ることは叶ったが、数秒と保たずに壁は壊され、展開し直しては壊されを繰り返す。

 魔力と神聖力の相性の問題で効果を打ち消されてしまうのだ。
 転移させられた先で無法者たちを制圧した時のように無力化させられればいいが——。

(やっぱり、ダメね)

 伸ばした影は神父の放った神聖力に消されて霧散する。
 突破するには打ち消されないだけの魔力を込める他にないが、さらにそこから効果を持続させなければならないことを考えると、あまり現実的な手段とは言い難かった。
 必要となる魔力量もさることながら、適切な式を組み上げるのに集中し切れないことが何よりの問題で。
 神父を止められてもイルゼを止められなければ意味がない。

 かと言って、悪戯いたずらに防戦を続けても消耗させられるだけ。
 打つ手はないか。
 エルメリアは思考を巡らせる。

 しかし、追い撃ちをかけるように響いてきた足音が増援を告げ、ティミーの高笑いが重なった。

「キャッハハハ! ほぉうら、ほぉうら頑張りな! じゃないと愛しのユスツィート様が死んじまうよ。まあ、もっとも? 守ったところでお前は捨てられるだけだがな!」
「っ、バカにしないで……!!」

 例えティミーの言う通りになったとしても。
 ユスツィートを守らない理由にはなり得ない。
 障壁を2重、3重に展開し、それでもなお防ぎ切れないものは魔力をぶつけて撃ち落とす。
 教会の人間のほとんどがイルゼに魅了されていたようで数は増す一方だったが、エルメリアは一歩も譲らなかった。
 感覚を研ぎ澄ます。
 かつて戦場で魔女と恐れられたその実力を惜しみなく発揮する。

 ティミーの顔から笑顔が消えた。

「バカになど。バカになどするものか。エルメリア・フィア・リブラント、お前だけは絶対に地獄に落とすと決めているのだから!」

 ——150年前。
 “エルメリア”が秘術の継承のために組み上げた魔法式ほどティミーをゾッとさせたものはない。
 “彼”と“彼女”とを引き合わせ、途絶えさせたはずの力が引き継がれていく恐怖。

 根幹を成している式の在り処は記憶を読んでも見付からず。
 ——普段身を守るために使用されている防衛魔法よりも高度かつ堅牢な式で巧妙に隠されているのだ。
 そして、当の本人は何度殺しても生まれ変わる。
 秘術の資格を有したまま。

 脅威という以外に何と言い表せようか。
 “エルメリア”さえいなければ、とっくの昔にリブラントに恨みを持つ精霊たちの悲願は叶っていたというのに。
 無自覚に、けれど確実に、計画を狂わせた忌まわしい存在を見逃しはしない。

「殺しても殺しても生まれ変わるならその度に絶望をくれてやる。お前の愛が実ることはないと知るがいい」

 ティミーの紡いだ呪詛がエルメリアの認識を僅かばかり阻害する。
 一寸の狂いも許されないような攻防の最中では、その僅かなズレが致命的だった。

「しまっ……!」

 閃光が眼前に迫る。
 だが、エルメリアを襲ったのは痛みではなく浮遊感。
 呪いに蝕まれて身動きが取れなくなっていたはずのユスツィートに引き倒されたのだ。
 勢いのまま倒れ込んだエルメリアを抱き止めて、彼は申し訳なさそうに笑った。

「ごめん。お待たせ」

 言うが早いか。
 辺り一面を魔法で凍らせる。
 氷の中に閉じ込められた神父たちは身動きが取れなくなった。
 戦術も戦略もない力技だが、時間は稼げるだろう。

「ユース……っ!」
「5分は保たせる。その間にイルゼを」
「だけどあなた、」
「大丈夫。信じて」

 無茶だ。
 適性のない魔法の、それも大規模な行使なんてただでさえ消耗が激しいのに。
 転移魔法の行使からそう時間も経っていない。

 けれど、現状を打開するのにこれ以上の手もなかった。
 エルメリアは反論を呑み込んで体勢を立て直す。
 ユスツィートの負担を減らしたいのなら、イルゼの魔力を吸い上げている式を最速で解析し、適切に封印すること。

(1分で終わらせる……!)

 他に意識は割かない。
 完全に集中し切ったエルメリアを守るために、ユスツィートは彼女の背を預かった。

「おいおいおい、痩せ我慢か? 本当はイルゼを愛していたんだろう。失った痛みで何を憎んだ? 自分か? それともエルメリアか?」
「うるさいな」

 エルメリアの前で自殺してみせるか。
 それともエルメリアを殺すか。
 2つに1つだと考えていたティミーは片眉を上げて疑問符を投げ掛けるが、ユスツィートは顔をしかめるばかり。
 あえて言うならお前だとでも言いたげな目を向ける。

「他人に植え付けられた感情で自棄を起こすほど僕は愚かじゃない」

 イルゼを愛していた者が多いのは、彼女自身が生まれもった資質もさることながらティミーが魅了の魔法を使っていたからだ。
 エルメリアを追い詰めるためにもユスツィートの心だけは確実に手にしたかったのか、他より強めに掛けられていたが故に抵抗し切れなかったことを否定はできないとはいえ。
 ——イルゼを愛したからと言って、エルメリアを愛せなくなる訳ではない。

 そして、ユスツィートは運命とも呼ぶべき相手と出会ってなお、自身の恋心をなかったことにできる男だ。
 本能が誰を求めようとも必ず理性で書き換える。
 ——反動でエルメリアを求めてしまうことだけは、どうにもならなかったが。

「素直におなりよ」
「十分素直だよ」
「エルメリアなんかよりイルゼの方が愛らしかったろう?」
「口を慎め」

 ユスツィートは断言する。

「僕の幸福を願うエルメリア以上に愛らしい存在などあるものか」

 人生を賭ける価値がそこにはあった。
 だからこそ、誓いを立てたのだ。

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