恋に生きた君は知る【33話】
笑みを深めたエルメリアの頬に触れる。
今この瞬間を迎えられたこと以上の報酬もそうはないだろう。
「敵わないだなんて。それは私のセリフです」
1つ尋ねてもいいか、と言われたので頷けば。
エルメリアはユスツィートの手に自らの手を重ねながら続けた。
「どうしてキスを?」
一瞬、いつの話かと首を傾げかけたが転移させられた先でクレアクリスを呼び出した時のことだろう。
秘術に組み込んだ式の詳細までは知らなくても、ティミーを呼び出す際にイルゼと口付けを交わしていないことを思えばアレが不必要な行為であったことは、わざわざ説明しなくても察せられる。
ユスツィートは多少の気まずさを覚えながらも素直に答えた。
「したいと思ったから」
「ティミーの魔法によるものとはいえ思う相手は他にいたのですよね」
「それは、いや。隠しても分かることだろうから否定はしないでおくけど。別に誤魔化すためとか、そういうのじゃなく本当に心の底から君とキスがしたかったんだ」
信じて欲しい。
魔力を消耗したことで抵抗力が落ち、魅了の効果が現れ始めていたのは事実だが、湧き上がる感情を誤魔化すために利用しようとした訳ではない。
おそらくだが、ティミーがユスツィートに掛けた魔法の中には高揚感を高めて、判断を鈍らせるような効果を含んでいるものもあって。
本当にただ、エルメリアとキスがしたいという衝動を抑え切れなかっただけなのだ。
「何故?」
「何故って、」
「あの時あの瞬間においては私を愛してはいなかったのでは?」
「まさか!」
ユスツィートは即座に否定した。
愛もなく、その場を凌ぐための誤魔化しでもなければキスを求める理由はない。
「他の誰に好意を寄せることがあったとしても、君への愛が失われる訳じゃない」
「……それだけ聞くと浮気が発覚した後に開き直っている男のセリフのようで割と最低ですが」
「え? あっ、そういう意味で言ってる訳じゃ……!」
「もちろん分かっています」
魅了の魔法を受けてもユスツィートの愛は揺らがない。
そういう話だ。
エルメリアは身を乗り出すと鼻先に口付けを落とした。
目を見開いたユスツィートに向けて、眉を下げながらもはにかんでみせる。
「私を選んでも苦労をするだけなのに」
「まあ、確かに。君ほどガードの固い女性もそうはいないだろうけど」
「簡単に靡かない女性がお好みならそのように振る舞いますわ」
唇を重ねて反論の言葉を奪う。
罪悪感はまだ胸の内にあるけれど、今はユスツィートを幸せにしたいという気持ちの方が強かった。
焦ったくなるほどゆっくりと唇を離す。
「お礼は私自身、なんていうのは少々はしたなかったでしょうか」
苦労を厭わないのであれば。
ユスツィートが何より望み、欲しているものはエルメリアに他ならないだろう。
だから、覚悟を決める。
ありふれた幸福より求めたものを手にする喜びを。
2人の時間を大切にすることが彼を幸せにするために必要なことだと信じて。
求められているのだという現実を受け入れる。
——それが、エルメリアの出した答え。
ユスツィートは無言のまま。
考えるよりも先に唇を奪い返していた。
冗談でしか聞かないようなセリフを本気で口にした彼女も、その言葉に乗せられている自分も、馬鹿みたいだと思わないでもないが。
勢いに負けたエルメリアが身を引けば、すかさず窓際に追い詰める。
加減をすべきだという理性に耳を傾けるよりも本能に従うことを選び、欲求を満たしていく。
不意に体を離した彼は、空色の瞳を細めるようにして笑った。
「最高」
帰宅した後には予想した通り。
執務室に集められ、不用意に秘術を使い、無茶を重ねたことに関して小一時間ほど叱られるハメになったが、ユスツィートは終始上機嫌なまま。
馬車でのやり取りをそのまま報告してしまうのではないかと心配になるほどの浮かれようで、両親に頭を抱えさせていた。
彼が唯一、気を落としたことと言えば1週間程度の療養期間を設けるため、婚約の儀の延期を余儀なくされたことくらいか。
ヨハネスの放った奥義でおおよその不調は改善されたと言っても消費した魔力までは戻っていない。
術者の実力次第で十全の効果が発揮されない場合もあることを踏まえて受診した結果、医者にも魔力の回復を優先するよう勧められたので、しばらくは大人しくしている他なかった。
その間に、被害を受けた人間の診察や、関係者を調査する組織の立ち上げといった事後処理を進める手筈にもなっている。
イルゼと関わりのあった相手が全員、診察および調査の対象となるので規模としてはかなりのものになるだろう。
体調に問題がないからといって早めに切り上げても、人手不足で予定通りに儀式を受けられる訳ではないとなればなおさらだった。
「多少慌ただしくはあるが仕方あるまい」
「王家主催の新年パーティにも参加される予定でしたよね。時間を作るのが難しいようなら欠席なさっては?」
「馬鹿者。それでは示しがつかんだろうが」
婚約の儀を執り行えるなら親の同席など不要と宣う息子をラルシオはため息混じりに嗜める。
これまでの関係性から考えれば至極当然の意見とも言えるが、当主が祝いの場に顔を出さないとなればどのような噂が流れるか。
エルメリアの立場が悪くなることだけは間違いがなかった。
「珍しいですね。父上がエリーのために動くだなんて」
「お前と一緒にするな」
いずれ侯爵家の夫人になろうかという少女の名を必要以上に貶める理由もない。
ラルシオは別段、エルメリアのことを嫌っている訳でもなければ、疎んでいる訳でもなく、リブラント家の存続を優先させているに過ぎないのだから。
状況が変われば対応も変わる。
重要なのは不信感を煽らない程度に、けれど悪評が尾を引かないようバランスを取ることなのだ。
意外そうな顔を見せるユスツィートに退室を促したラルシオはため息を吐き直した。
王室への報告と教会への協力要請を同時にこなしつつ、現場から離れても問題がないと言える段階まで手続きを進めた上で、婚約の儀に出席し、新年のパーティにも顔を出さなければならない、なんて。
馬車馬侯爵とはよく言ったものだが年末年始くらいはゆっくりさせて欲しいものである。
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