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寝そべり(躺平)=簡易領域 論

呪術廻戦のアニメ二期を最近見ている。
原作でも人気の過去編~渋谷事変だけあって、流石に力が入っているというか、全体的に脂が乗っていて面白い。
今日はこの呪術廻戦から、寝そべり(躺平)に話を繋げてみたい。
 

 
呪術廻戦で、一番有名な技と言えば、「領域展開」である。
これは呪術廻戦を読んだ(見た)ことがない人でも、名前だけは聞いたことがあるのではないだろうか。
「領域展開」とは何か?
作品内での説明によると、「術式を付与した生得領域を呪力で具現化すること」。
つまり、自分の攻撃能力(術式)が絶対当たる空間に、相手を閉じ込めるという、超必殺技のことである。

出典:芥見下々『呪術廻戦』第2巻より

そして、この領域展開という技は、とても高度な技術であって、作品内でも使うことのできるキャラクターは少数の実力者に限られている(五条先生曰く、"呪術戦の極致"であるそうだ)。
それゆえに、基本的に「領域展開を喰らう」ということは、ほぼ確実な死を意味するのである。
 
この「領域展開」に対抗する方法はないのか?
まず、最初に考えられるのが、「自分も領域を展開する」というものだ。
領域の押し合いに勝てば、逆に自分の攻撃を必中させることができるし、引き分けであっても、そのまま肉弾戦に持ち込むことができる。
だがしかし、先ほど述べたように、領域展開は非常に高度な技術であり、普通のキャラが簡単に使えるようなものではないのである。
特に、呪術廻戦という漫画はこの辺にシビアで、特別な才能があるわけでもないキャラが「突然、勇気や怒りで覚醒して領域展開が使えるようになる」ということは99%ありえないと言ってもいいだろう。
しかし、才能ナシや弱者だって、そのまま無抵抗で死ぬわけにはいかない。
呪術師たちは、その歴史の中で、領域展開に対抗する手段を生み出してきたのだ、
それが、作中に登場する、シン・陰流「簡易領域」である!
 

出典:芥見下々『呪術廻戦』第10巻より

「簡易領域」とは何か。
作中での説明を引用してみよう。

それは平安時代 蘆屋貞綱によって考案された
呪術全盛の時代 凶悪巧者な呪詛師や呪霊から 門弟を守るために編み出された技
一門相伝 その技術を故意に門外へ伝えることは 縛りで禁じられている
それは “領域”から身を守るための 弱者の“領域”
シン・陰流 「簡易領域」

出典:芥見下々『呪術廻戦』第10巻より

つまり、この技は、自分の周りに小さな領域、簡易領域を発生させて、相手の領域を凌ぐというものである。
これにより、即死を免れたり、援軍が来るまで耐えたり、相手のスタミナ切れを狙うなどということが、可能になるというわけだ。

出典:芥見下々『呪術廻戦』第23巻より

 

 
ここで一旦、話を冒頭に戻そう。
この記事は「呪術廻戦から寝そべり(躺平)に話を繋げてみる」というものであった。
一体何が、寝そべりと関係あるのか。
一気に理解を進めるためには、このように述べるのがいいだろう。
すなわち、「僕たちは領域展開を喰らって死にそうになっている」ということだ。
「何を言っているのか分からない」と思った方もいるかもしれないが、領域の名前を言えば、ピンと来るはずだろう。
それは、誰もが知っているワールドワイドな領域展開、「資本主義経済下」のことである!
 
アダム・スミスだか渋沢栄一だか、誰が領域を繰り広げているのかは分からないが、とにかくこの領域に飲み込まれると、週5で働くことを余儀なくされ、シホンカやジヌシに搾取され、人間性を奪われ、耐性の無い者は絶望のうちに死に至ることが確定してしまう。
どうにかこれを斥ける方法はないのか? 特級呪霊カール・マルクスでも召喚するべきなのか?
いやしかし革命など現実的でない今、どうやらこれに対抗しうる唯一の有効的な手段は、中国相伝(老子から?)の「寝そべり(躺平)」だけであるようだ。
 
ここで、一応「寝そべり(躺平)」もしくは「寝そべり族(躺平族)」について、解説しておこう。
「寝そべり(躺平)」とは、中国でムーブメントになった競争社会から降りる生き方であり、彼・彼女らは「最低限の生活を維持することで、資本家の金儲けマシーンとなって資本家に搾取される奴隷となることを拒否する」といったポリシーを持つ。
具体的には、「住宅を買わない・車を買わない・恋愛しない・結婚しない・子供を作らない・消費は低水準」という六不主義を実行しているようだ。
 
さて、この寝そべり族だが、ムーブメントが続くにつれて、『躺平主義者宣言』という文章が作成されて拡散されたことがある。(→ ニートと読む『寝そべり主義者宣言』①
その中に興味深い記述があったので、ここで引用してみよう。

寝そべりは簡単なことで、当然だと思い込んではならない。
逆に、寝そべったその瞬間から、寝そべり主義者はこの国家の外部に身を置くことになる。
彼らの存在がもうひとつの族群を構成するだけでなく、彼らの寝そべった土地も、これにしたがって、先程までの国家と何の関係もない編外の地となる。
もしこのような状態がいかなる妨害も受けることを望まないのなら、いかなる主権や財産権とも無関係であるべきではないだろうか?
身体は占有と分配から切り離され、土地は経営と管理とは無縁である。
一種の急進的寝そべり主義は、現行秩序に対する大きな拒絶を示している。

出典:『寝そべり主義者宣言』より

どうだろう。勘の良い方はお気づきだろうが、この記述、思いっきり「簡易領域」ではないだろうか?
――寝そべった瞬間から、寝そべり主義者はこの国家の外部に身を置くことになる。
――彼らの寝そべった土地も、これにしたがって、先程までの国家と何の関係もない編外の地となる。
寝そべることはアナキズム的な抵抗であり、このような「寝そべり状態」である限り、自分の身体とそれに隣接する土地は、権力者による占有・経営・管理とは切り離されたものになるのだと寝そべり族は主張しているのだ。
「寝そべり」とは、“領域(資本主義経済下)”から身を守る、弱者のための“簡易領域”だったのである!
 

 
だがしかし、「簡易領域」も万能であるわけではない。
実際、作中でも格上の領域展開に使うと、どんどん簡易領域が剝がされていくというシーンがあったものだ。

出典:芥見下々『呪術廻戦』第23巻より

「簡易領域」が剝がされる――そういうことはこの現実でもあり得るだろう。
具体的には「貯金が全て無くなった」「周囲の働け圧が限界を迎えた」などである。
実際、僕もニート・フリーター楽観論を唱えるつもりはない。
(もしかしたら誤解されているかもしれないが、僕は「ニート最高!みんなもどんどんニートになろう!」なんてことを一度も主張したことはない)
ニートというのはお先真っ暗、絶望的な闘いなのである。
 
しかし、こうして「寝そべり=簡易領域」で抵抗を試みることが全く無意味だとは思わない。
もしかしたら、抵抗中に風向きが変わるかもしれないし、どこかから援軍がやってくるかもしれない。
更に、簡易領域を剝がされたって、どうやら即座に死ぬわけではなさそうだ。
また、"簡易領域を張り直す"という手段だって考えれる。
とにかく、僕が言いたいのは、「仕事がなくなったから死のう」とか「社会のお荷物だから死のう」とかをやめて、出来る限り最後まであがいてみようということである。
どこかの詩人も言っていた。
「にんげんがさき」であると。
なぜ勝手に生き方を決定され、不自由な生活を送らなくてはならないのか?
金になるとか、役に立つとか、そういう社会の価値観を拒絶するように、生々しく無意味にヒトとして存在すること。
そういう「簡易領域」を展開することは、誰にでも可能なのではないかと、この記事を通じて読者に伝えてみたかったのであった。
 
(おわり)

出典:芥見下々『呪術廻戦』第5巻より

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