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"ニート"として活動することの光と闇

前回の記事(ダークヒーローとしての"ニート")では、「ニートの何が人々を惹きつけるのか?」ということを解説した。
そして、今回の記事では、その実態と現状として、「ニートを名乗って活動することの光と闇」について触れていきたい。
 
まず、メリットとして挙げられるのは、やはりその「キャッチーさ」である。
ニート。これだけである程度面白い。
この肩書を名乗るだけで、世間の人々は、バカにしたいような、説教したいような、それでもどこか羨ましいような、不思議な気持ちに駆られるというわけである。
さらに、ここで組み合わせると効果的なのは、何か特有のスキルだ。
例えば、「絵がうまい」「ギターが弾ける」「小説が書ける」などなど。
こうした特技があることによって、うまく自分を売り込めば、インターネットで人気を集めることができる。
さながら、「ヤンキーだけど、実は捨て犬に優しい」のような、「ニートだけど、実は○○が上手い」という、「マイナス面を最初に提示することによって、ギャップを際立たせる」という売り込み方が可能なのである。
 
実際、ニートというのは、「芸の人」に近しいものなのだと僕は思う。
「芸の人」とは、生存に必要な生活・衣食住に従事していないのにも関わらず、「おもしろさ」や「ありがたさ」によって、社会に存在を許されている人々のことである。
具体的に言えば、芸術家・執筆家・音楽家・芸人・学者・僧侶などのことだ。
中には例外もいて、「自給自足生活を目指している」「社会のシステムをひっくり返したい」「生活保護を受けている」「何もしないで生きていけるぐらい実家が金持ちだ」などあるかもしれないが、インターネットで有名なニートはだいたい「芸の人」なのではないかと思う。
(これは、僕が去年に作成したニートスキルツリーという図を参考にしてもらえると、イメージが掴みやすいだろう)

だから、「ニート・無職で人生がオワッタ……」と考えている人も、うまく自分を売り込めば、人生大逆転の可能性があるというわけである。

しかし、以上のような見方は、ニートの"光"を切り取っただけであり、それに伴う"闇"もあるのではないかと、僕は思うのだ。
まず言いたいのは、「ニート稼業で食っている人間はニートではない」ということである。
当たり前だが、ニートというのは「働いていない者」のことであり、なんらかの方法で収入を得ているのならば、それはニートではない。
「ニートとして売れる」ということは、定義的に矛盾を孕んでいるのであって、自己混乱・世間からの批判は免れないだろう。

こうした状況においてありがちなのは、売れた後はニートキャラを捨てて、自分の得意分野に居座り直すというパターンである。
例えば、2010年代に「日本一有名なニート」「京大卒」「ギークハウス発起人」として、有名だったphaさんは、現在ではニートであることを全然名乗らず、文筆家/文化人としてのポジションを確立している。
別に僕はphaさんのことが嫌いなわけではないし(むしろファンである!)、ニートの定義が35歳までということを考えると、自然な流れだったのかもしれないが、それでもどこかで「うまくやったなあ」と思ってしまう気持ちは拭えないものだ。

また、このような「成り上がり」に関連して起こりがちなのが、ニートアピールの過激化である。
ニートとして名を上げれば、ブログやツイッター、YouTubeや書籍などで収入を得られることは間違いない。
それゆえに、バズり狙いの過激なツイートや、煽動的で中身のないツイートを行うアカウントが増えているように思うのだ。

ちょっとここで個人的な話をさせてもらうと、僕はこういう"バズり"目的で中身のないものが全く好きではない。
例えば、僕はけっこう昔からサウナが好きなのだが、最近のサウナブームでできた施設は、しょうもない施設である割合が高い。
こういった施設には、「超高温ストロングサウナ!」とか「キンキンの10度水風呂!」などウケそうな宣伝文句が書いてあるが、全体としてのバランスが悪かったり、施設としてのポリシーを感じないところが殆どなのである。
("学園祭"みたいな感じなんですよ。分かって貰えますかね?)

話題をニートに戻すと、結局ニート界隈においても、競争が起こっており、それによって「中身のなさ」「クソどうでもよさ」が発生してしまっている、ということを指摘したいのであった。

また、他の視点から切り込むと、こうした「スキル持ちの有能ニート」の活躍によって、本当に福祉で救わなければならない「弱者ニート」が蔑ろにされているのではないか、という問題もあるだろう。

もし、あなたが無職で「ニートキャラでやっていきたい」と考えているならば、以上の内容(メリット/デメリットと実態)は押さえておいた方がいい。
それが「真っ当にニート道をやる」にしろ、「ビジネスニートで成り上がりを目指す」にしろ……。
(おわり)

【個人的な追記】
なぜ僕は「ニート研究」を行うのだろうか。
純粋に研究や分析が楽しい・意義を感じているという理由が50%ほどあるのは間違いないが、残りの50%はもしかしたら嫉妬なのかもしれない。
禅僧の南直哉は「嫉妬」が生まれる理由についてこのように説明している。
「自分の利益になるはずだったものが、他人に不当に奪われていると思ったときに嫉妬が生まれる」
確かに、この説明はしっくりくる。
例えば、僕は大谷翔平に嫉妬しないし、藤井聡太にも嫉妬はしない。
自分とはステージが違いすぎて、「新幹線が300km/hで走る」というような、「ただの事実」のように感じてしまうからだ。
だが、ニート界ではどうだろう。
もしかしたら、自分だっておもしろニートアピールして、お金を稼げたり、みんなからチヤホヤされたかもしれない。
そんな「嫉妬」がある。
それゆえに、僕はルサンチマンと奴隷道徳を発動して、「こういったニートはフェイク野郎!」「ニート界にはこんな問題がある!」ということを声高々に主張しているのだ。

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