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ダークヒーローとしての"ニート"

「ニート」や「無職」という存在はキャッチーである。
良くも悪くも。
口に出してみれば分かるはずだ。
その響きにはもう、「うんこ」や「おしっこ」と同じレベルで、根源的な面白さが宿っているようには感じないだろうか。

では、一体、ニートの何がそこまで人々を惹きつけるのか?
それを上手く解説しているのが、『働かない』(著:トム・ルッツ)という怠け者(スラッカー)の歴史をまとめた本の訳者あとがきに書かれた、文化批評家・小澤英実のコメントであるように思う。

本書の全体を貫く骨子はきわめてシンプル、勤労主義と怠け者主義とが我々の労働観の両極をなし、それが私たちの働く暮らしをかたちづくっているというものだ。ただし単純な二元論に落とし込むわけではなく、原文では「スペクトラム」という言葉が何度か用いられており、この両極の間は無限の色合いからなり、私たちはその間を揺れ動いている。そして様々な物語に登場するスラッカー(怠け者)たちは、私たちに優越感や軽蔑や慰めや励ましといった感情を呼び起こしながら、トリックスターのように私たちを照射し、その生活を維持・破壊・肯定・自問させるという機能を果たす。
(……)そして、働くことと働かないことを読者に問い、私たちがそのどちらに向かうにしても、ユーモアやアイロニーで包んだ勇気や励ましを与えるものとなっている。

トム・ルッツ『働かない 「怠け者」と呼ばれた人たち』青土社 p.487

これは、世間に対して「私はニートです」と述べてみれば、基本的にどちらかのリアクションが返ってくることからも分かることだろう。
「えー、羨ましい。私も働かないで暮らしたい」
「さっさと働け! この穀潰し!」
そして、それぞれの言葉には、このような意識が隠されていることも間違いないはずだ。
「私は絶対落ちこぼれのニートなんかになりたくないけどね♪」
「オレだって、働かねえでぐうたら暮らしてえよ」
……と。

さて、以上のように、改めてニートの「魅力」を読み解いてみたが、ここであることを提唱してみたい。
そう、それは「ニートは働いている」のではないかと。
おそらく、こんなことを述べると、多くの方はこのように思うだろう。
「いやいや、ニートは働いていないのだから、ニートなのであって、それはもはや定義的におかしい。意味が分からないよ」と。

ここで参考にしてみたいのは、無償労働という概念である。
辞書サイトから意味を引用してみよう。

お金が支払われない労働。アンペイドワークともいう。無償労働の典型は家事労働であり、働いているにもかかわらず、市場では評価されない「見えない」労働である。

コトバンク - 無償労働 より

つまり、代表的な例である「家事」は、稼ぎ手の生活を支えているにもかかわらず、具体的に金銭を稼いでいないので、労働に値しないものとして評価されてしまっている。
であれば、「ニート」もそうなのではないのか?
先ほど見たように、ニートは存在することによって、人々の感情を揺さぶり、生き方を問いかける。
そして、「働き者」と「怠け者」は、「陽」と「陰」のように、どちらが欠けていても、確立することができない。
言うなれば、必要悪。
ニートは、虐げられ、バカにされることによって、世の中に貢献している。
つまり、ある意味「働いている」のではないかと、僕は思うわけである。

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