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人間と殴り合いたくて。ボドゲ。

先日、5/29(水)にニーマガメンバーでボドゲ会&公園飲みを行った。
コソウさんも感想記事を書いてくださっていたが、自分も思ったことや考えたことをざっくばらんに述べていきたい。
 

■ なぜボドゲなのか?

ボドゲ会中にこんな質問をされたことを覚えている。
「なんでボドゲ会を開いたんですか?」と。
これに対する回答は、「ゲームを通じて<殴り合い>というリアルなコミュニケーションを図りたかったから」である。
 
僕はうわっ面のあいさつや世間話というものが苦手、いやハッキリと嫌いだ。
当たり障りのない会話をしている(聞いている)と、全身がムズムズしてきて、叫びながらその場から逃走したくなってしまう。
「今日はいい天気ですね」ってなんなんだ。
「そんなもん見れば分かるだろ、なめてんのか」と突き返してしまいたくなる。
もちろん、現実ではそんなことは言わないし、世間話を通じて、お互いの常識を確かめ合い、双方にリラックスをもたらす効果があることは理解している。
だが、僕は社会不適合者の非常識男だった。
そういった形式的な会話にどうしても馴染むことができなかった。
 
では、ここで「リアルなコミュニケーションとはなんだろう?」と考えてみると、それは<殴り合い>だと僕は思う。
とりあえず、殴り合ってみないと、お互いのコアな部分がなにも分からない。
殴られたい・殴り返したい。
他者とのコミュニケーションには痛みが伴う。
それが紛れもないリアルさを実感させてくれる。
 
とはいえ、現実で殴り合いを行うと色々と問題になることはみなさんご存じだろう。
それゆえに、その代用ツールとしてボードゲーム会を企画させていただきました、というわけであった。
 
(ボードゲームには、対戦型と協力型がある。
「親睦を深めるために協力型ゲームにしよう」が良さそうに思えるが、実はNGな選択肢である。
協力型をやると、「あ、アイツのミスのせいで終わった……」というシーンがしばしば発生し、とても気まずい雰囲気になる。特に経験者と初見プレイヤーで。
まずは、殴り合え👊)
 

■ 路上で組み合う

ボドゲを19時ぐらいまでしたあとは、池袋の外れにある公園に向かった。
コンビニで酒缶を買い、地べたに座りながら飲んだのだが、これがすごいよかった。
 
もともと、僕は大学時代に路上飲みをよくしていたタイプである。
紙パックの日本酒やワンカップを買って、朝まで公園や河川敷でよく語り明かしたものだ。
だが、もうアラサーにもなると、当時の友達はそんなことをしてくれない。
飲むとしても3000円~かかるような、そこそこオシャレな飲み屋だったり、そもそも忙しくて会えなかったり。
(最近だと「この後、日高屋いかね?」と言ったら、「いや、もう日高屋は卒業したから」と断られてしまったことがある)
そんなこんなで路上飲みはひさびさだったのだが、やってみると当時のようなディープな感覚を味わえて、「これだよこれ~」と嬉しくなってしまった。
 
路上飲みでは、形式が破壊され、重心が下がるのがいい。
先ほどのボドゲの話で「世間話や形式的な会話が嫌い」と述べたが、どうしてもお店でテーブルに座って向き合いながら会話をすると、そこには"形式"が存在してしまう。
それは店で金銭とサービスのやり取りを行う利用者であること、居酒屋といえど最低限のマナーが存在することなど、様々な要因があるが、どうもどこかで気を張ってしまうのである。
だが、路上にはそれがない。
そこにあるのは、肉体と酒と地面だけである。
テーブルやイスも、僕は距離感を生み出している原因だと僕は思うのだ。
うまく伝わるか分からないが、重心が高くなることによって、どうしても手打ち(腰が入ってないパンチ)のコミュニケーションになってしまう。
しかし、路上というシーンでは、場の重心が下がり、素の自分でぶつかり合うことができる(むしろ、ぶつかり合うことしかできない)。
ひさびさに「深いコミュニケーションができた!」と嬉しくなったものだ。
 

■ ニート系コミュニティのリアル

先日、ネーモさんが記事で、自分の考えた「右派ニート」「左派ニート」という概念をご紹介してくださった。
本題ではないので、簡潔に述べると、右派ニートは「働きたくない。それ故に、社会の保守を望む」という人々のことで、左派ニートは「働きたくない。それ故に、社会の革新を望む」という人々のことである。
記事の最後でネーモさんは
「こうした議論で一晩飲み明かせば、(右派の人にも左派急先鋒である)アンチワーク哲学を理解してもらえるはずだ」
「労働撲滅界隈の中でいろんな議論が噴出するだろうから、僕も耳を傾ける必要があるだろう」
と述べている。
「ニート」「働きたくない人」といっても実は一枚岩ではない。
だが、一晩中飲み明かせば、ある程度相互理解できるということに関しては、僕も先ほど路上飲みの良さを熱弁したように同意である。
僕は関東在住なので参加できないが、6/2(日)に大阪の枚方でネーモさんが出版記念パーティー(河川敷)を行うそうなので、労働撲滅界隈(?)の方はぜひ参加してみてほしい。

その一方で、僕はニート系コミュニティを運営する難しさも理解している。
先ほどの「右」「左」という分類とは異なるが、誰でも参加可能なニートコミュニティを開くと、基本的に集まってくる人間は、以下の3タイプに分別できるように思う。
 
① 自称リアリスト系リタイアラー
・働いていたときの貯金でリタイア生活を始めた
・ある程度の常識や行動力は身に付けているが、やはりどこか感性がズレている
・以下の②③の人々を心の中では見下しがち。「自分はアイツらとは違う」と思っている
 
② サブカル高等遊民
・思想やサブカルに興味があるニートやフリーター
・実家の太さがぼちぼち。少なくとも最悪ではない
・どこか脳味噌や人生設計がお花畑
 
③ ガチ社会不適合者の困ったさん
・家庭環境や生活、精神にガチめな問題を抱えている
・トラブルメーカーで、コミュニケーション能力に難あり
・金銭トラブルや男女関係で問題を起こしたり、無限に自分語りを始めてしまったりしてしまう
 
もちろん、これは簡易的な分別だし、①+②、②+③、①+③などの複合タイプも存在しているように思う。
だが、こういった人々が不協和を起こし、最終的に爆破解体されるのが、ニート系コミュニティあるあるなのである。
「社会不適合者たちが小さな社会を営めるのか?」、これはニート系コミュニティの永遠の課題であるだろう。
 
ちなみに、路上飲みで上記の問題について、レンタルニートの仲さんに相談してみた。
仲さんはニート株式会社や自身のレンタルニート活動で、10年以上ニート界隈に関わってきた経験を持つ人物である。
仲さん曰く「ダメ人間や困ったさんは存在するが、そういった人物のダメなところやダメイベント見て、それを逆に楽しんだり、こっちも自分のダメさを自己開示して、親睦を深めていくのがいい」とおっしゃっていた(ような気がする)。
やはり長年ニートと関わっていると、ある程度の"境地"に達しているな、と思った。
僕はおそらく困ったさんにダル絡みされたら、早々に「うるせ~!クソして寝ろ~!」と突き返してしまうだろう。
「仲さんってもはや現代のオルタナティブ僧侶っすね」という話題でも盛り上がったものだ。
 

■ 逆だったかもしれねェ…理論

おそらく、これは今のところ安眠さんと僕でしか通じないのだが、「逆だったかもしれねェ…理論」というものがある。
 
運命論から考える「自分=世界」(3年前の自分のブログ。今貼るのはかなり恥ずかしい。現在も全くこの通りに考えているわけではないが大筋はこれである)
 
その人間がどんな人生を歩むのか? どんな人格を得るのか?
そういったことは、生まれや環境に大きく影響される。
いや、むしろ決定論に従っていけば、それが全てなのかもしれない。
「私はたまたま、私が生まれる条件を満たしたので、私をやっているにすぎない」
そうした偶然性に着目すると、いわゆる困ったさんだって「たまたま」その条件を満たしたから、その人間をやっているにすぎない。
そのように考えれば、その人物を絶対的な悪として強く批判することはできなくないはずだ。
なぜなら、あなたと僕は「たまたま」それぞれの人間をやっているだけで、「逆だったかもしれねェ…」だからである。
 
……というわけで、僕は基本的にどんな人間にも「そうだったかもしれない」という可能性を見出して、偏見なく接するようにしている。
そう、している。しているのだが、それはあくまで「同情する」や「相手の身になって考える」というだけであり、そこに無宗教者の自分の限界があるな、と最近はよく考えてしまう。
なぜなら、そこに「私」と「そうだったかもしれないあなた」を貫ける法(ダルマ)がないからだ。
超越的な救済――具体的には「唱えれば誰でも救われる」という真理を持ちえないので、どうしても現実的に「相手の立場になって考えてみる」というありきたりな手段しか持ちえないのである。
「無職」と名乗るアカウントを始めてから約4年ほど経つが、これからも様々なダメ人間と関わっていくことを考えると(「ダメ人間と関わる」とは自己を大いに含む)、この問題に関しては、実践と思索がまだまだ必要になってくるだろうと、思う次第である。
 

■ まとめ

殴り書きのように書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまったが、今回のボドゲオフ会がとても充実していたことは間違いない。
もっといろんな人間と語り合いたい――いや、ゲームで殴り合いたい、路上でぶつかり合いたいと思っている。
今回の集まりをを通じて、他者と向き合うことの必要性を改めて実感したものだ(それはそれは自己のためにも、他者のためにも)。
それでは、また近々集まりましょう!
 

【追記】

この文章を書いている間に白﨑さんもレポ記事を投稿してくださってた。
勝手に一緒にするなと思われるかもしれないが、白﨑さんにはシンパシーというか「同じタイプのスタンド使い…!」みたいな気配を感じていたので、じっくり話すことができてよかった。
大阪編だと個人的に「気を遣ってくれてるんだな~」と思うシーンが多く、気遣いしちゃう系人間としては仲間意識を感じたのだが、その分普段から彼女がネットで見せているポテンシャルが全然発揮できていないように思ったので、ずっと引っかかっていたのである。
今回はテック系ファッションの話(トークの切り込みが下手すぎたの思い出して恥ずかしくなってきた!)とか、スパイスカレー対決企画とか、ニーマガバンド企画とか、ニーマガ麻雀最強決定戦企画とか、いろいろ話せてよかったです。
 

【追追記】
(ドラム叩けるニートいませんか? ニーマガ、「楽器弾ける人~?」って前にしんめいさんが質問したら、ベースが4人出てきてギャグマンガ日和のワンシーンみたいになってます)

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