【1996~2006】私とeSportsと洋ゲーと俺とお前と大五郎と

どうも、ClanYrのOFFです。
自己紹介的なnoteを作っておけば、
お、この人はeSports分かってんな?とか勘違いされて
ワンチャンス何か書き物のオファーとかきたら美味しいんじゃないですかね?
という打算に満ちたモノとなっております。

私とeSportsと洋ゲーとの思い出話をつらつらと書いていこうと思いますが
その前に、私の現状のステータスをご参考までに。

年齢:39歳(@2022年2月現在)
職業:会社員 某関西メーカーの研究職でエセ管理職
家族:嫁1人、子供2人
住居:大阪 住宅ローン残高n千万円

この嫁1人っていうのは関西のほうでは自己紹介に必ず挟まないといけない項目になっています。
いや、2人おるやつおるんかい!という突っ込みを頂くために。

すいません、話がそれました。
本noteの章立ては以下の通りにする予定です。
・PCと洋ゲーとの出会い
・ネットゲーとの出会い
・従兄弟の教え
・PlayOnline
・ぁゃιぃわーるどと私
・RagnarokOnline
・Return to Castle Wolfenstein
・CPLと私
・CounterStrike1.6の衝撃
・Four Dimension
・LANパーティー最高!
・mixi
・RAZERのレビュー
・4dN
・就職と結婚と子育てと

という事で、前置きはこの辺で以下、本編です。

1.PCと洋ゲーとの出会い

1996年の春、中学2年の頃ですね。
姉が高専(情報科)に入学したのをきっかけに、我が家に初めてPCがやってきました。
15インチCRTで本体とモニタが一体になったタイプのPentium100MHzでATIのオンボードVRAM1MBでメインメモリ16MBのFMV君。
姉用と銘打たれたはずのPCでしたが、姉は情報科に入っておきながらPCが嫌い
という良く分からないプレイスタイルの持ち主でしたので、PCが私の玩具になるのは時間の問題なお話でした。
最初のほうは国産ゲームをのんびりプレイしているだけだったんですが、そのうちPCのハード側に興味が傾き
ASCII DOS/V ISSUEという雑誌を購読してPCのお勉強をしたりしてました。
お年玉でメインメモリを48MBに増設したり、HDDを3.2GBに増設したり、CanopusのTotal3D(Verite1000-L/VRAM4MB)を取り付けたりと
楽しいPC拡張ライフを送っておりました。

ところで話をそらしますが、このCanopusのTotal3Dというビデオカード
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/961119/total3d.htm
なかなか先進的な機能を搭載しておりまして。
液晶シャッター方式の3Dメガネなるものが付属していたんですよ。
1996年当時からすればかなり革新的かつ画期的で、3Dゲームが飛び出す画面でプレイできるという魔法のようなアイテムでした。
3Dメガネ対応ゲームにDescent IIという6DoFなシューティングゲームを楽しみましたね。
6DoFなゲーム、今は全然見ないですね…
例えるならForsakenみたいなゲームです。
あ、ForsakenといってもCounterStrikeのチータの話じゃないです。

すいません脱線しましたね。
いや、そもそもこの話、本線ってどこなんでしょう?

そうそう、このTotal3Dというビデオカードに
当時PCゲーム界隈で超話題の超人気となっていたQuakeが付属していたんです。
超人気といってもごくごく限定されたPCゲーム界隈でのお話で、
中学校に行ってもQuakeの話題ができる人間は存在しませんでした。
丁度中学2年生ということで、中二病真っ盛りだったこともあり、
周りは誰もプレイしてないけど超面白い(らしい)ゲームである
このQuakeを何としてもプレイしたかったんです。

が、このQuake、コマンドラインのMS-DOS上でしか動作しないという代物でして。
端的に申しますと、知識不足でインストールできなかったんですよ。
色々頑張ったんですが…なんか上手い事動かなくて…
そういった訳でQuakeにたどり着くのはもう少し先の話になってしまいました。

Quakeがプレイできなかった腹いせという訳じゃないんですが、
手ごろな容量のゲームを探した結果、見つけたのがWolfenstein3D(700KB程度)という
id Softwareが躍進するきっかけになったFPSの原点ともいえるような作品でした。

初めてプレイしたFPSはWolfenstein3Dです!って自己紹介できるのって割と強くないですか?

…強くないですか…そうですか。

このWolfenstein3Dは
シングルプレイしかできなくて、
3D描画ではなく、2Dのエセ3Dで
上下の視点移動が無い
という非常に原始的なFPSだったんですが、それは些末な問題でした。
一人称視点で
銃を構えて
敵を撃ち殺す。
これだけで充分刺激的なゲームだったと記憶しています。今でも。


2.ネットゲーとの出会い

199*年の当時は14.4kbps~56kbpsのダイヤルアップ接続でしたので、インターネットを楽しむにも
従量課金の電話料がかかるという鬼のようなシステムでしたし
ネットワーク回線でゲームをするという発想すら出てこない頃でした。
23時から翌朝7時までの間が、テレホタイムという電話料がかからずに
インターネットが楽しめる時間帯が楽しみで仕方ない時期でしたね。

そして初めてのネットゲーとの出会いは
ライフストームというブラウザのJavaアプレットで動作するMMO RPGでした。
凄いドライかつシビアなシステムで、
死ぬとアイテム全ロス、キャラも全ロス(レベル含め)という超シビアなゲームでした。
しかも当時の貧弱な回線ではたびたびフリーズを起こすため事故死が頻発するという。

それでもネットワーク上で多人数とゲームができるという体験は新鮮すぎてドハマりし
前述のテレホタイムを無視してプレイする暴挙を繰り返し
電話料が月額3万円を超えて親にめっちゃ怒られ、インターネット禁止令(2週間)を言い渡されるという経験をしました。
なんかアレですね。
親のクレカでソシャゲに課金して怒られるという現代っ子の経験を先取りしてますね。

3.従兄弟の教え

私の実家は石川県の金沢市(から北に50mほど離れた所)にありまして、そこから数百キロ離れた茨城県に
n才年上の従兄弟が2人おりました。
従兄弟は2人そろって昔からけっこうなゲーマーでして、遊びに行くたびに色んなゲームを教えてくれる良い先輩であり、ゲームの師匠みたいな存在でした。
その師匠たちの家に遊びに行ったときの話、ヤスオ君(OFF)は結構PCでゲームするんやっけ?みたいな話になりまして。
その当時はWolfensteinや苦労してインストールしたQuake、さらには元祖的なRTSであるAge of Empiresをシングルプレイでブイブイいわせていた頃になります。
そういえばブイブイ言わせるとか言いますがブイブイ言うたことって無いですね。
実生活において言いますかね?ブイブイって。
まずブイって言います?
海に浮かんでるブイか、ポケモンのイーブイか、ブイヤベースくらいのもんですよ。ブイって言葉を発するの。
それでいてブイブイはそれを2回重ねますからね。
そりゃもう天文学的確率ですよ。
それくらいのことをやっていたんですね。
Quakeでブイブイ言わせるってことは。

すいません話がそれました。

そんなブイブイ言わせてたPCゲームやってる?って聞かれたわけですから
そりゃもうPCゲー大好きです!!って答えますよね。

じゃあ一戦やってみようか?みたいな感じで。

結果ですか?
QuakeとAoE対戦したんですけどね。

そりゃもう凹ですよ凹

凹の凹。

ボコボコです。

ショートカットキーすら憶えていないし、ラッシュ戦術すら知らないAoEで勝てると思いますか?
キーボードとマウスではなく、キーボードだけでプレイするQuakeで勝てると思いますか?

そりゃもう気持ちがいいくらいにボコボコにされまして。
世界は広いし、シングルプレイってシングルプレイなんだぁ…
って気付いた1999年の夏でした。
ちなみに師匠たちのお名前(HN)はたしかmizuguさん(兄)とtomozuさん(弟)。
mizuguさんは敬虔なQuakerで、弟さんは熱心なUOerでした。
弟さんはUltimaOnlineのお陰で大学留年というフローも経験するくらいの熱心さでしたね。

お兄さんの方からは色々なFPSの格言を聞いておりまして、この頃から
「パッダー(PADでFPSする人)は糞」
と聞いておりますので、現代のAPEXにおけますPADプレイヤーをさげすむのはこの時代から続く伝統芸能的な事になります。

4.PlayOnline

(以下別の記事からコピペ)
出ました皆様お待ちかねPlayOnline(雑誌)!!
スクエニの提供しているネットワークサービスのPlayOnlineよりも前に創刊しているので、元祖PlayOnlineはこちらです。PlayOnlineといったら洋ゲー雑誌。これだけ憶えて帰ってください。
当時としては唯一と言って良いくらいの洋ゲーの詳細な情報が入手できる機会という事で、この雑誌の発売日を心待ちしていたPCゲーマーは多かったと思います。いや、思いたい。
雑誌の内容と言いますと、(今となっては)4gamerを初めとするPCゲームサイトで無料で入手できる情報が記載されているだけなのですが、当時はまだ4gamerすらない状態。gamewithなんて影も形もありません。
ファミ通に至っては本当にファミリーコンピューターに関する通信でしたからね。
本当に唯一の情報源でした。
そういえば、唯一の情報源ということで、妄信してしまう事もありました。
Falcon4.0というコンバットフライトシムがPlayOnline誌上では絶賛されているのに、自分には微妙に肌に合わなかったけどPlayOnlineでは絶賛されているんだから…
きっとやりこめば面白くなるはず!!という今では考えられない思考に至ることもありました。
Falcon4.0のために1万円以上するMSのサイドワインダー(フォースフィードバック付きのジョイスティック)を購入して、糞重い動作を改善するためにビデオカードやら何やらを新調して、オーバークロックに手を出して、、と色々と頑張ってみたんですが…
自分には結局Falcon4.0は合いませんでした。
離着陸すらできませんでした。
(コピペここまで)

コピペ元はさておき、PlayOnline(聖書)ですよ皆様。
当時日本にどれだけのPCゲーマーが居たかわかりませんが、今よりも本当に数が少なかったのは間違いないでしょう。
そんな中で、どんな地方の書店にもPCゲーマー向けの雑誌が置いてたっていうのは奇跡としか言いようが無いです。
兎に角このPlayOnlineが今後のPCゲームの福音書となり私たち数少ないPCゲーマーの行動指針となってくれました。
紙媒体と体験版CD-ROMだからこそ伝わる何かって多分あるんですよ。
今、復刊しても商業的に厳しいのは理解しているんですが

やっぱり紙って良いと思うんです。

PlayOnlineでありながらOfflineで伝わるナニカ。
ちょっと皮肉ですが素敵な感じがします。

5.ぁゃιぃわーるどと私

ちょっとPCゲームから離れたお話です。
twitterはおろか2chすらない時代のソーシャルコミュニティのお話。
といいましても、当時のオンラインなコミュニティと言えば、個人のWebサイトに設置されたBBS的な物や
パソ通から引き継がれたもの、そして大手アンダーグラウンド(笑)掲示板「あやしいわーるど」ぐらいのもんでした(大いなる偏見)。

まぁ、そんな感じで"あやしいわーるど"というコミュニティとの邂逅を果たした15歳の中学三年生の私です。
どうも。
2chのコピペである

358 :世界遺産:2006/08/14(月) 15:48:55 ID:O2Q5Lui70
中学時代のパソコンの授業でインターネットを使った時
みんなが自分の好きな漫画や野球のページを見てる時に
自分だけこれみよがしに2chにつないでAAとかを周りに見せてたこと
しかも「このページって何?」って聞かれた時に「ヤバイ奴らの集会所みたいなもん」とか答えたこと
さらに友達に2chへの行きかたを教えるためにヤフーで2chって検索させて
でてきたリンクをクリックして2chのトップページが表示された瞬間に
そいつの耳元で「Welcome to Underground」ってささやいたこと

を素でやってのけるくらいの痛い人間でした。大変申し訳なく思っております。
ちなみにあやしいわーるどに入り浸っていたのは1997~で、2chの発生は1999ですね。
しょうもない事でマウントをとってまいります。

ちなみに上記コピペ(テンプレ)のぁゃιぃわーるど版は

WareZ君へ 投稿者:KKC 投稿日:1月27日(月)19時22分18秒
wareZ君、”ワレズ”には笑わせてもらったよ。
しかし、私は君のような馬鹿にはきて欲しくない。
だから教えてやろう。だが二度とここにくるな。
WareZ isn't soft.
WareZ is name of bad copy soft.
Do you understand?
You never come here.
あまりに簡単すぎる英語で書きました。
これで分かるかな?
馬鹿だからわかんないかもね
You is a big fool man.
Hahahaha.

でしょうか。

今でいうところのネットのインフルエンサー的な人達と絡んだり、
元祖滝沢ガレソみたいな感じの炎上案件に首を突っ込んだりしながら
新たなるコミュニティの人達と一緒にゲームをやったりしていました。
negit@kuのY〇ssyさんの存在もここで知った感じです。
Y〇ssyさんは渋谷系からの古参、私はRebirthからの新参です。

ネットなんて結局大して今と変わりません。
中身の人間が大して変わんないから当然ですよね。

6.Ragnarok Online

あやしいわーるどに入り浸りながら、またMMO RPGに手を出しました。
RagnarokOnlineという韓国のMMOです。
元祖MMOのUltimaOnlineとは全然違い超マイルドなMMOです。
とっても日本人好み。
デスペナルティは1%のEXPロス、アイテムドロップは無しでPK禁止
モンスターの横殴りはノーマナー。
なんだったらBOSSモンスターでさえ横から殴れば2chで晒されるくらいに秩序を重んじる素晴らしいMMO RPGでした。
βテストのchaosサーバーからプレイしていたのですが、
BOSSモンスターを横から殴ってMVPをかっさらった腹いせに
2chで晒されてチーター扱いを受けるとか
ソードアートオンラインのキリトさんに先んじた経験をここでも体験させて頂きまして。
2chなんて糞食らえっていう私の中の価値観はここで固まった次第です。

7.Return to Castle Wolfenstein

Ragnarok Onlineをやりながらも、洋ゲーはキッチリ遊んでいました。
FPSに限らず、PlayOnlineに掲載されているような洋ゲーは一通り。
MicroSoftのサイドワインダーというフォースフィードバックなジョイスティックやハンドルコントローラーを購入したりして、コンバットフライト系やらレースゲームやら色々と。
でも何だかんだFPSが一番楽しくて性に合っていましたね。
nVidiaのRIVA128を使っていた時代は初代Unrealの超綺麗なグラフィックに驚いたり
3dfxのVooDoo2をSLIで使っていた時代はQuake2をGLIDEで描画して超綺麗なグラフィックに驚いたり
Half-Lifeがリリースされたときは、いやゲームはグラフィックの綺麗さだけじゃないって驚いたり
thief:the dark projectがリリースされたときは、撃ち合うだけがFPSじゃないって驚いたり
一通りは驚いてきました。

そういえば、PlayOnlineに影響されて個人のWebサイトでレビュー的な物を書いたりしていましたね。
そんなん誰が読むねん…
いや本当に、誰が読んだんでしょうね?
ワンチャンス誰も読んでない可能性があります。

…ここで供養しておきましょう。
R.I.P.

画像1

そうそう、それでReturn to Castle Wolfenstein(以下RtCW)との出会いですね。
2001年(19歳)の時、高専4年で研究室に配属された頃のお話です。
当時あんまり仲は良くなかったクラスメイトのS君(NEK所属XelFiN君)がFPSをやってるという話を聞きます。

ほーん、いや俺の方がやってるし。なんだったらWolfenstein3Dからやってるし。

という浅はかなマウントを心の中でとりつつも、話を聞いてみるとRtCWというFPSが今熱いらしい。
FPSのマルチプレイといえばHalf-LifeのMODであるTeam Fortress Classicくらいしかまともにやったことは無かったんですが、そんなマルチのFPSってそこまで面白いんか?
というのが正直な感想でした。
いや、Team Fortress Classicは非常に優れたFPSなのは認めるところではあったんですが、マルチで遊ぶのはMMOのほうが面白いでしょ?というのが当時の価値観でして。

また脇道にそれます。Team Fortress Classicでは野良鯖で遊んでただけなんですが、ずっとエンジニアでセントリーガンを育てる仕事をしていました。
TFCのセントリーガン、良いですよね。
賢いですよね。
可愛いですよね。
セントリーガンのぬいぐるみとかあったら買いますね。
それくらいTeam Fortress Classicのセントリーガンをずっとスパナで殴り続けていました。

画像2

すいません脇道から戻ります。
Wolfenstein3Dから数々のFPSをシングルプレイでクリアしてきた、という圧倒的な自信と経験を引っ提げてRtCWに参入したんですが…

なんか圧倒的にKillがとれないんですよね。

シングルプレイならNPC相手に圧倒的なプレイスキルで∞に近いK/Dを叩き出してきたのに。
謎です。
何で殺せない。
おかしい。
バグかな?

ここでRtCWを辞めてたら良かったんですが、
まぁ楽しいんですよRtCW。
FPSはKill出来てなんぼっていうのは昔から普遍の摂理であることは間違いないんです。
でもRtCWが凄かったのはKill出来なくても楽しいってことなんですよ。
凄い。
凄いよくできたゲームでした。

ここからRtCW談義で長くなるので読み飛ばしを推奨しておきます。
RtCWというゲームは4つのクラス(ソルジャー、ルーテナント、エンジニア、メディック)によって
使える武器やスキルが違うんですが、クラスごとの役割が非常に明確に分かれていました。


■クラス紹介
・ソルジャー
ソルジャーは重火器が持てるクラスで、
一撃必殺のロケットランチャーであるパンツァーファウストや
圧倒的な弾幕を張り巡らせるガトリングガンのヴェノム
敵も味方もまとめて燃やし尽くすフレイムスロワー
攻めの起点になるクラスです。

・ルーテナント
戦うのに必須となる弾薬(AMMO PACK)を各クラスに配ったり、
広範囲にわたる空爆を要請する通称"空爆缶"を投げたりします。
元祖空爆は多分このRtCWのルーテナントです。
弾切れの心配がないので、AIMが強い人がこのクラスを好んだイメージです。

・エンジニア
戦闘能力はほかの3クラスより劣るんですが、
ダイナマイトの設置という唯一無二の非常に、ひじょーーに大切なお仕事があります。
最終ゴールがダイナマイトによるオブジェクトの破壊というマップもあり、
そこまで無事にエンジニアを連れていく事が連帯感を生み出す要因にもなっていました。

・メディック
出ましたRtCW名物のメディック。
私の愛用していたクラスです。
愛用していたので忖度して長々書きます。
今でこそ当たり前のシステムですが、当時としては画期的な"ダウン"システムを採用していました。
HPが0になってもダウン状態となり、メディックの注射一本刺さればその場で復活できるという素晴らしいシステム。
なので、敵のHPを0にしてもダウンするだけなので、確実にとどめを刺す必要が出てきたという事でもあります。
現代FPSではAPEXやPUBGなどの「確殺をいれる」の始祖ですね。
この頃は確殺という言葉ではなく、「GIBする」「粉らせる」と言っていました。
蘇生不可能になるエフェクトで肉体が粉々の肉片(gib)に砕け散ることが由来です。
すいません、話がそれました。
あとは蘇生以外では1PACKでHPが20回復するメディパックを配ったり、
自身はHPが自動回復したりします。
非常に高い治癒/蘇生能力がある一方で初期弾薬数が少なく、すぐに弾切れを起こします。
なので弾配りが出来るルーテナントさんのケツに引っ付いて行動するのが基本的な動きになります。
否が応でも協力しないと戦えないし、協力し合うこと自体が非常に自然かつ簡単にできるように設計されていた本当に素晴らしいゲームなんですよRtCWというのは!!

すいません少々熱くなってしまいました。

話を戻すとKillが取れなくても楽しいゲームだったのは、その優れたゲームデザインのおかげだった…という事なんですが、Killが取れなかった理由は別にあります。

当時はマウスではなくトラックボールを使ってたんですね。
MicroSoft信者だったのでMSのインテリマウストラックボール。
いやマウスなの?ドラックボールなの?どっちなんだい!
そんな入力デバイスを使ってFPSを!?
パパパパッドでFPS!?の比じゃないですね。
ボールコロコロさせながらFPSをやる人間にFPSにおける人権はありませんでした。
これに気付くのに1年は費やしたと思います。


すいません、中途半端ですがいったんここまで。
まだまだ続きます。

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