私を想い返したら割とネタ帳②
どうも!寒暖差が凄いですが、みなさんお元気ですか?
私は普通の主婦でSEVENTEENヲタクやってます。(何の報告)
この話は、私がわたしを俯瞰して想い返して、書き綴っていくだけなので特にオチなど全くないです。
ただ自分自身で、こんなに頑張ってきた自分が世界で1番大好きで大切だ!と全力で言う為の理由探しがしたい、ヲタクの戯言なので…。
小学生になったら母は変わるのかな…?
物心がついた頃から、母から言われ続けていた事がある。
「お前のせいでわたしのお腹に傷がついた。」
「お前はブスだから、自分で食べていけるように手に職をつけるか資格を取っておけ。」
お腹に傷がついたのは私を出産する時に、酷い妊娠中毒症で血圧が200を超え私の心音も弱くなってたので、主治医の判断により全身麻酔で帝王切開で出産した為の傷だった。
そんなこんなで産まれた私はというと、仮死状態であり持ち直しても2歳までもたないだろう。と父と祖父母に宣告があったようだ。
………初めての我が子である娘、初孫の子が2歳まで生きられるか分からない。
ならば、生命がある限り出来る事や身体や体力を気遣い、育てていこうと考えてくれたのだろう。
術後の母が落ち着いてから、その話をしたと父から聞いている。
申し訳ないほど全く記憶にないが、祖父母は離乳食の頃になると、海外から取り寄せたベビーフードやおやつ、お洋服をガンガン持って来てたらしい。
でも…母はそれが気に入らなかったようだ。なぜかは知らんけど。
小学生になったら私はわたしが分からなくなった
2歳まで生きられるか分からないと言われた私は、期待をことごとく裏切り、超健康優良児として小学生になるまで成長した。
その時、喜びで泣いていた祖父の顔は今でも忘れられない。
そして、小学生になった私が漠然と考えた事は「どんな事をすれば一人でも生きていけるのか?」だった。
お母さんのお腹を傷付けてまで、生まれてきたブスな私が出来る事って一体なんだろう。
私自身の夢を探しているようで、どうしたら親の機嫌を損ねない選択ができるか。
そして全てを含めて、一人で生きる為に食いっぱぐれない資格は?お仕事は?なんだろう。
とりあえずお勉強しなきゃ……どうしようもない。
でも学年が上がるたびに目標が定まらない私は、堪らなく怖かった。
テストで75点以下を取れば、髪の毛を鷲掴みにされ家中引きずり回されたあげくフルボッコで、謝り続けても終わらず、その間違えた箇所をやり直して答えがなぜそうなるのか説明出来るまで食事はさせて貰えない。
それでも母に褒めて認めてもらいたかった
でも小学5年生の頃、私はとても太っていた。
もう明らかな肥満児なので同級生から「ブーリン、Rinブー(名前+ブー)、ブタちゃん」等々、さんざんネタにされていて。
けれどその時、私はもう自分が分からなかったから、笑ってヘラヘラやり過ごしたらいいや。反論して居場所がなくなったら、ココ以外に私の居場所はないから。
家に帰っても居場所がなかったから。
そうして、わたしをどんどん擦り減らした。
子供は素直だからこそ残酷だから親の前でも容赦ない。
母が居てもお構いなしに、その名で呼んでくる。
いつものようにヘラヘラ笑ってやり過ごす私を見て、母はとても苛立った顔をしていた。
その名を呼んだ子達に対してではなく、私に対して。
あぁ…本当の居場所はどこにもないんだ。と子供心に覚悟した瞬間だった。
わたしの本当の気持ちを私自身が一番分からないのに、家族や友達、ましてや他人に伝えられるわけがない。
そうしてその場の空気を壊さずやり過ごすだけになっていた。
………学校でも家でも。
想い返して、つらつら書いて長くなっちゃったけど。
今ならもっと辛くても、キツくても少しはわたしの気持ちを言える…と思う。
でもネタ帳なんて言ってるけど、あの頃を想い返したらやっぱりチクチクするのは否めない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?