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早川町の山村留学ときめ細やかな教育

山梨県早川町の教育長である佐野正昭さん(注1)に早川町で行っている山村留学と教育についてお話を伺いました。(担当:近藤)

教育長になった経緯

私ね、民間の会社に3年間いたんですよ。3年間、測量会社にいていろんなところを測量して。町の中を測量したり山の中を測量したりしてました。自分が長男と言うこともあってうちを見なきゃいけないということもあってね、家には親父もお袋もいるし、それで昭和50年かな、早川町役場に入りました。測量会社に勤めていたから建設課が主だったですよね。

建設課に8年間携わったんですけど、町長に山梨大学に行って社会教育主事の資格とって来いって言われまして。社会教育主事の資格を取ったらその次の年から教育委員会に行けって言われてね、それから教育委員会に3年間いて、また帰ってきて企画とか観光とかいろんなことやったんですけどね、そしたらまた教育委員会にもどれといって、若いときに6年間教育委員会に携わりました。教育長になったのは、たまたま私が教育委員会に携わっている期間が長かったっていうこともあり、町長が推薦してくれたと思います。

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早川町の山村留学

小学校が2校あるんですけど、普通は少ない人数だと統合して一緒にやっていくっていうところだと思うんですけど。早川町は人口と関わりがあってですね、南の方はよかったんですけど北のほうは人口がだんだん減っていっちゃって。それで統合するかしないかっていう問題になったとき、統合すると北の方に子育て世代が住まなくなっちゃうからと言って、議会なども一つになって学校は残そうとなりました。そこでどうすればいいかなってなったときに、平成13年に山村留学を取り入れようってことになりました。

早川町の山村留学の特徴早川町が山村留学を実施するとき、南アルプスの芦安村でも山村留学をやっていて、そこは子供だけを受け入れてやっていたんですよね。で、聞いてみるとなかなかうまく行かないと。悩みを持ってくる子が一人で来た場合相談するところがなかったりするので、子供だけで来たならばダメになっちゃうことがあるんですよね。そういうことを考えて、早川町は親子留学にしようってなったんですよ。親子で一緒に早川町に来てもらって、住んでもらって、義務教育が終わるまでいていただこうじゃないかって。

その時も山村留学については教育委員会が担当していたんですけど、力を入れていなかったというと語弊があるんですけど、徐々に徐々に子供の数が減っていっちゃって、平成24年には早川北小学校の地元の子供が5,6人になってしまうという危機的な状況だったんですよね。そうしたところ、ある北小の子供の親が子供に南小にいくかと聞いたそうなんですが、僕は北小学校が好きだからぜひここで卒業したいといって。そこで親が立ち上がって、「北っ子応援団」を立ち上げたんですよ。それで当時の教育委員会も本腰を入れて、自分たちだけでやっていたらダメだってなって連絡協議会を作りました。

そればっかりじゃあ難しいと、それまで給食費を半額にしていたのを無償にしようとなって。本当は給食費は取らなきゃいけないんだけど、できるかどうか調べたら愛知県でやっているところがあって。それでうちでもやろうと。それとこっちに来て子育てにお金がかかるじゃないかと、給食費だけでなく年間8万円かかるという義務教育費も無償にしましょうと。修学旅行費からスケート教室、学校の教材なども町で買ってあげようとなったのも平成24年でしたね。この効果もあって、平成22年、23年は山村留学利用者が0だったのが、24年に5組に増えてそれから徐々に増えてきました。(注1)

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山村留学を受け入れるときの対応

山村留学でくる人たちっていうのはね、田舎が好きって人だけじゃないんです。中には大きな学校で学校に行けなくなっちゃったっていう子供がいれば、向こうでいじめにあったっていう子供もいます。そう言ったときにインターネットを見て、じゃあうちの子は小さい学校ならやっていけるかなって言って探すんですよね。そうすると早川町がヒットするみたいです。

それで早川町受け入れ体制としましては、絶対に一回で決めないでくださいということにしています。なぜかっていうと早川町にはいいところもあれば悪いところもあります。そういうとこをよく見て納得したら早川町へきてくださいって言っています。そうした中で私は校長先生と面会してもらっています。で、この学校ならこの子を受け入れられますよ、っていう子を受け入れています。この子なら指導すれば学校に来れるようになるという確信を持って受け入れています。1年間2回から3回、多いときは6回来て決めてもらってた家族もいます。

そして年に3回ぐらい山村留学連絡協議会ってのを開いて、役場や北っ子応援団なども交えて、お互いこういうことをやっていますっていうのを報告して、同じ方向を向いて、じゃあこういうことをやってみたらどうですかってそんな意見を交わして山村留学を応援しています。

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山村留学の影響と効果

引きこもりだった子供が演劇等で主人公になってね、舞台の前で発表したんだけど、そしたらお父さんお母さんが涙を流しながらウチの子がこんなにできると思わなかったって、早川に来てよかったですって私に言ってくださって。そのとき私はあぁ山村留学してよかったなと思いました。

早川の子だけじゃなく、他所の子も早川町のきめ細かな教育を受けて、いずれその子たちは地元に帰るのかもしれないですが、自分のところに帰ったときに自分が早川町で教育を受けてきたということを少しでも思い出してもらえればありがたいですね。

学校では今はもう地元の子供が少なくて山村留学の方が多いんだよね。やっぱり地元の子供からしたら他所から来た子供は刺激的で、こういう考え方もあるんだなって学ぶところもあると思います。峡南地域で交通と防犯の弁論大会があって、早川町はいつも最優秀賞を取るんです。山村留学で来た子が発表するんですが、こっちの田舎の子供が考える発表じゃないんですよ。都会の子が考える発表なんです。子供たちにとってもそういう刺激はあると思います。

早川に合わず帰ってしまったのは、私が知っているのは2家族ですね。6年間でね。1年留学でいいです、決めたなら1年は必ずいてくださいって言っています。最初は1年って言っていた子が3年間いたり小学校から中学校までの義務教育が終わるまでいたっていう子もいたし。やめた家族もいたと思うんですけど、子供たちとの考えが合わなかったとか先生との関わりがうまくなかったっていうこともありました。最初から1年間居させてくださいと言って帰った人もいました。それでも早川町で勉強してもらったことはいいと思いますけどね。だから受け入れに関しては1年はいてくださいっていうことでやっています。

どのような子供に来て欲しいか

田舎と言ってもすごい田舎ですから、何かどうかあるからここへ来るんだよっていうところはあると思うんだよ。ここで受け入れなきゃどこで受け入れるんだって。大きな学校に馴染めない、先生との関わりやいじめがあったとかいう子供が、人も少なくてここなら馴染んでできるんじゃないかって。早川町でできる最大限の努力をしてこの子は受け入れられますよっていうことを判断しています。

(注1) インタビューは2020年10月に実施しました。佐野さんは2021年3月までで教育長の任期を終えられました。

(注2) 早川町の山村留学利用者数

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