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英語ができること。

自分はそこそこ英語ができる。自慢ではなく事実として普通の日本人よりはだいぶできる。具体的にはそんなに考えなくても大体のことを英語で言えるし割りと複雑な内容も理解できる。今回はそんな状態に至った秘訣を話したいと思う。

そこまでたどり着けるまでに紆余曲折あったが、まず一番最初のきっかけとして、英語習得を拗らせていた母親に中学校から英語の教科書を丸暗記させられてたことがあった。ただし一言一句違わず、アメリカのアクセントで…

そんな風に(狂気的に)勉強していたので、そこそこ英語の授業でも目立ってたし、周りの同級生の日本人アクセントを小馬鹿にしている学生であった。音楽を聞くときも英語の発音重視で日本語アクセントの英語で歌うアーティストは軽蔑の対象だった。(なんと性格悪いのだろう)

最初は教科書のCDの音声を真似るだけであったが色んな英語の教材や音楽を聞いてより現地っぽく寄せていき、高校くらいになると親よりも発音が良くなって、英語の発音にますます自信が出てきた。ただし発音だけ。(しかも今から思うと母音の発音がまだまだ未熟…)

そんな発音厨な自分であったが所詮は教科書英語。実践的な英語は全然できなかった。だから学校の帰国子女の同級生に対して常にコンプレックスを抱えてたし、ALTの先生とは全く口を利かなかった。今から思えば本当にペラッペラ()のプライドである。

そんな自意識から大学では英語を本当に話せるようになろうとした。やたら意識の高いポカホンタス系に片足を突っ込み、帰国子女と留学生向けの英語の授業群を取ってみたり、英語のサークルに参加して色んな人に英語でボコられる日々を過ごしていた。文字通り一日中英語漬けの生活だった。(今更ながらどんだけMなのかと、本当に健気で泣きそうになる…)

どんなに発音が良くても、言いたいことが何もいえなければ意味がない。そんな基本的なことを思い知らされて、無事大学4年をかけて発音厨から脱することができた。
しかしそんな経験を経て出来上がったのはそこそこ英語は話せるものの自分の英語力に絶望を抱いている自分であった。

大学初期は将来は英語を使って世界を股にかけて働きたいとか壮大なことを思っていたはずなのに、すっかり英語への自信を無くして臨んだ就活では「自分の英語力なんて…」と最早「英語」など一切話題には出さず、ガクチカもそれ以外の話題で適当に取り繕っていた。もちろん就活の軸も英語とは関係のない突貫で作った大手病のようなもの…(そんななので拾ってくれる会社もあまりなかったのはまた別の話)

そんなこんなでたまたま真面目な性格をアピールした結果、超がつくほどのゴリゴリの日系企業に入る。
そして今、全く仕事で英語を使わないまま社会人9年目を迎えている。

英語習得から見た自分の人生を語ってみたが、我ながら本当に残念な生き物である。

ただ1つ、英語から距離をおいて9年経ったが、多分今が一番英語に対してニュートラルに接することができていると思っている。

発音厨だった中高時代、劣等感全開のポカホンタスだった大学時代を経て、英語との距離を置き、ようやく、旅行客に最近道を聞かれてまごつかずに普通に返せたりとか、案外そんな悪くないじゃんと自分の英語力をありのまま見ることができるようになった。

私は今そこそこ英語が使える。
自分の英語力に対するセルフイメージがようやく固まった気がした。

等身大の自分を見ることは難しい。
近すぎると客観的に見ることができなくなる。
そんなありきたりな結論になってしまうけれど、とりあえずそれが自分が英語習得から得た教訓だった。まだまだ黒歴史として消化しきれてないので自意識が漏れ出てしまうけれど今はまだそれでいいと思っている。


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