見出し画像

【印刷立会いレポ】ギャラリーロイユ様 不思議の国のアリス

“and what is the use of a book,” thought Alice,
“without pictures or conversation?”
「絵も会話もない本なんて、いったいどこがおもしろいのかしらね」

「不思議の国のアリス」

これは「不思議の国のアリス」の冒頭の一節。
主人公のアリスが字ばかりの本を見た時に呟いた一言です。

本が書かれた1865年当時の子供向けのお伽話は「いい子にしていないとこんなひどい目にあってしまうよ」というような教育的な側面を併せ持ったものが多く、純粋に子供を楽しませるという目的だけで書かれたわけでは無かったようです。

作者のルイス・キャロルは、お伽話がそのような教訓主義に偏る当時の風潮を良しとしていませんでした。
そんな時代背景の中で生まれた不思議の国のアリスは、数多の尖った個性を持つキャラクターが彩る独創的な内容とともに、初期の児童書において挿し絵が効果的に活用された例として評価されています。

物語の読み手は紡がれた言葉によって未知の世界に引き込まれる。
進んだ先で挿し絵と出会い、イメージは大きく膨らんで未知の世界には大きな空が作られる。
読み手はその空で空想の旅をするべく自由に離陸していく。
挿絵はその為に。
作者のルイスキャロルはきっとそんな風に考えていたのではないかと思います。

神戸にあるギャラリーロイユ様で6月1日からグループ展、Dreams of ALICE《アリスの夢》が開催されます。展示販売される書籍の印刷立会いに、ギャラリーロイユの大月様がお越しくださいました。

今回印刷する「不思議の国のアリス」の主役は挿絵。
造形大の講師をしながら切り絵作家として活躍される横山夢さんが描く鉛筆画が40点以上載っています。横山さんが描くアリスに関しては10年くらい前に一度、簡易な本にまとめたことはあったそうです。しかしながら「いつかちゃんとした本にしたいね」というお話を当時されていたそうで、この印刷立会いはその10年越しの思いを形にする機会となりました。

設計はダブルトーン。塗り重ねられた黒鉛が示す、中間からシャドウに比重を置いたローキーな再現に優れます。ダブルトーンにすることで画像的に濃いところを、「濃いところ」と「とても濃いところ」の2軸で扱うことにより、深い階調と、本番印刷時に刷り濃度で調整する余地を残すことができるのが強みです。

特に不思議の国のアリスは必ずしも明るいだけの話ではないというか、タイトル通りの不思議さ、言い換えると
ある種の歪さや不気味さが漂うようなお話ですので、軽い印象に仕上がるのは避けるような意識で製版に取り組みました。

本文の印刷は順調に進みましたが、表紙の色味を決める立会いが今回のポイントとなりました。
最終的な仕上がり時には、書籍の耐久性向上と防汚を目的としたベルベットPP加工が入ります。この加工が色調判断の難易度を上げていました。印刷物にポリプロピレンの透明な膜が貼られることで光の屈折の具合が変化し、加工前と加工後では色の見え方が変わってしまうからです。

一般的には1割ほど「濃く」なって見えます。つまり印刷時に目標の色がPPで濃く見えてしまうことを考慮して、逆に1割ほど「薄く」しておく必要があります。この1割というのも、とてもざっくりとした表現でしかなく、PP加工による色の変化は色相や濃度によっても異なります。

左側がPP前、右側がPP後。i1で参考値を割り出して検証

不確定要素を伴ったまま色を決めるというのは、海図や羅針盤も持たずに当てもなく航海するようなものです。ここで思考を放棄して

「どれくらいの見栄えになるのかは分からないので、出たなりでいきましょう」

と言えればとても簡単ですが、それはPDの発言ではありません。
正解の色が見えにくいなら、見えにくいなりに方向性の根拠、色の海を進むための海図と羅針盤になりうるものを元に、正解の色味を推測する必要があります。今回はそれをi1 PRO2に担ってもらいました。

i1 PRO2はアメリカのX-Rite社の測色専用機器です。
校正段階でベルベットPPのテストをした刷本があったので、PP前とPP後を比較測色することで、どの色がどれくらい変わるかシュミレートしました。今回の場合を具体的なCMYK値で表すとC7% M1% Y2% K4%くらい上がるだろう、といった具合です。

どのくらい色が濃くなるかの予想を立てたのち、その分を差し引いた値を色のゴールとして設定して印刷時のOKとしました。このあたりはニュアンス共有と説明が必要になってくる難しいところなので、印刷立会いに来ていただけて本当に良かったと思っています。

今回のアリスの本文は、翻訳家であり評論家でもある山形浩生さんが著作権フリーで公開している翻訳が使用されていますが、オリジナリティがありつつも大変親しみやすくまとめられています。

不思議の国のアリスは1865年に初版が出版されて以来、多くの人に愛されながら160年の歳月をかけて47ヶ国語に翻訳されてきました。作家さんが不思議の国のアリスをテーマに作品を作るとき、各々の世界観と得意分野で「翻訳」した様々なアリスと私たちは接することができます。それは必ずしも文章とは限らない、物語を別の形で味わえる素晴らしい営みです。

ギャラリーロイユさんと横山夢さんの思いで実現したアリスの本の出版、そのお手伝いができたことを大変嬉しく思います。
この度は印刷立会いにお越し下さりありがとうございました。

(PD:田中友野)


作品はこちらからご覧いただけます。

展覧会情報
Dreams of ALICE《アリスの夢》

***

不思議の国のアリス

サイズ:B5変形 257*168
頁数:136頁
表紙:マットポスト四六判180k 2/0
本文:b7ナチュラル四六判79k 2/2
見返し:ハーフエアアッシュ四六判90k
製本:PUR無線綴じ製本 雁垂れ表紙
加工:表紙ベルベットPP 表1に白箔押し

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?