見出し画像

これまでの歴史 Vol.2

明治、大正、昭和と3つの時代を渡り、時は平成へ。この頃にみられた圧倒的な技術革新は、社会のしくみや仕事のあり方を大きく変えました。それらを受けて山田写真製版所がどのように変化、そして変革し、今に続いているのか1990年以降のあゆみを振り返ります。

DTP化の波 1990年(平成2年)~1999年(平成11年)ごろ

製版現場でもっとも大事な仕事道具はフィルムとカッターナイフでした。
バラバラに点在する文字情報や写真フィルムを、指示書通りに切り貼りしてレイアウトしていきます。デジタルスキャナによって画像処理は一部電子化されていましたが、版づくりに関しては、まだまだ人海戦術でのアナログ作業が一般的でした。

その製版業界における「普通」が大きく揺らぐ事件が起きます。
DTP(デスクトップ・パブリッシング)の登場です。

それまで多数の人員をかけて、人力で行なっていた製版作業が、パソコン一台の画面上で行えるようになりました。この変化は緩やかなものではなく、たった数年のうちに劇的に変化してしまうような勢いでした。もちろん弊社にとっても大きな転換点ではありましたが、元々新技術や新鋭の機械に対して探求し続ける姿勢を惜しまない風土があったため、いち早くDTP化にも対応し、業界全体を覆した逆境を乗り切ることができました。

2003年、北陸初となる菊全10色両面兼用印刷機を導入

最高の版で最高の印刷を 2000年(平成12年)以降

2000年代に入ってからはドイツのハイデルベルグ社製の印刷機を導入し、印刷製本事業への拡大に着手。ここにデザイン制作、製版、印刷、製本と自社内で全て完結できる生産体制が整いました。
2003年(平成15年)には北陸で初めてとなる菊全10色両面印刷機も導入しています。

製版業一本の頃は、完成物を見ることはできなかったので、できあがった製品を手に取る喜びは大きいものでした。後発となる印刷製本現場の苦労は絶えませんでしたが、その甲斐もあって、今では印刷に関する賞を毎年頂けるような印刷会社に成長することができました。

印刷物を単なる情報伝達媒体の向こう側、印刷「作品」への昇華を目指して挑戦を続ける方々がいらっしゃいます。その想いをカタチにするためには「最高の版で最高の印刷」を行うことが必要不可欠です。

山田写真製版所は2021年(令和3年)に創業100周年を迎えました。
これからも長年培ってきた製版技術を大切にしながら、印刷を考える全ての人に寄り添い、共に歩み続けていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?