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第三章 浦安境川

概要 
境川水辺空間整備―Cゾーン(1996~1998年)
発注者 千葉県葛南土木事務所/浦安市役所

 「境川は千葉県浦安市のほぼ中央を流れる、江戸川支流の一級河川である。浦安はかつて漁師町として栄えた町である。この境川にも幾膄(いくそう)もの船が浮かび、岸辺では川の水で洗濯や米を研ぐ姿さえ見られ、住民の生活に欠かせない川として活気に満ちあふれていた。しかしそのような賑わいのある一方で、三方を海と河川で囲まれたこの地域は、昔から洪水被害の恐怖に悩まされ続けてきた。さらに戦後になると地盤沈下問題が深刻化し、市街地内における排水施設、堤防、排水路などの水害対策がますます必要に迫られることとなる。そして昭和40年代には、垂直に立った鋼矢板の上にコンクリートが立ちあがる無機質な護岸へと整備された。そのほぼ同時期に浦安は漁業権放棄を余儀なくされるが、これらを背景として、次第に川からは漁船や人の姿が消えてゆき、ついには川は完全に街の裏側となってしまったのである。その後、地盤の不等沈下などにより護岸が破損し老朽化したために、護岸改修の必要性が生じた。境川水辺空間整備はその護岸改修にあたって、古き良き境川の風景を再び住民のもとに取り戻すことを目的とした整備事業である。」
参考文献より。
境川の護岸に煉瓦を使うことは、基本計画段階からあった。しかし、境川に煉瓦は関わりがなく「なぜ煉瓦なんだ」という議論が、事業を一時停止するまでの事態に陥った。計画全体の見直しということで再度検討会が編成された。(「境川下流部検討会(1995年)」委員長は天野光一)

03-01_浦安市周辺図

開催日  2012年7月4日(水)                                                                ファシリテーター 篠原 修

参加者
小野寺康 小野寺康都市設計事務所
南雲勝志 ナグモデザイン事務所
浅山茂樹 伊藤鉄工
三石傑  ヨシモトポール 
鈴木幸男 ヨシモトポール 
和田晃  ヨシモトポール 

仕事のきっかけ

篠原:境川水辺空間整備(以下、境川整備)は最初、アプルの中野さんが計画を担当し、境川の護岸が千葉県、近接する道路を浦安市がそれぞれ担当する、県と市の合同事業という形で進めていました。後に設計担当が小野寺さんとなり、途中から南雲さんが入ってきて、最後は設計が小野寺・南雲で、製造はヨシモトポールと伊藤鉄工でした。
そもそもの仕事の経緯を小野寺さん、お願いします。
小野寺 :最初は委員会形式で始まりました。篠原先生が委員長で、篠原先生からアプルの中野さんを指名していました。更に「担当に小野寺をつけろ」と言ってもらい、結構早い段階で境川整備に関わることが出来た記憶があります。
篠原 :皇居周辺事業をやった繋がりで中野さんを指名したのか、中野さん自身が浦安に住んでいたから、自ら営業していたのかは、はっきりとは覚えていませんが、基本設計はアプルがやっていたよね。
小野寺 :境川整備の計画担当をしていたのは、アプルを独立する直前の、1992(平成4)年のことで、計画段階が終わった時点で事務所を独立しました。独立して間もないころ、仕事がないので知り合いを回っていたうちのひとつが浦安市でした。本来なら、市役所の仕事をするためには、指名参加願いを先に出していなければならないのですが、当時は柔軟で後から指名参加願いを出して受理してもらい、浦安市で仕事が出来るようになりました。でも、まさか境川整備の設計が直に僕にくるとは思っていませんでした。

境川の当初の基本計画 標準断面図

03-02_断面図

篠原 :もうアプルでやっていたしね。それは入札で決まったの?
小野寺 :いいえ、随意契約です。
篠原 :これは推測だけど、浦安市はアプルに頼んでいるけど、実際やっているのは小野寺さんだから、小野寺さんに頼もうということになったんだろうね。
小野寺: おそらくそういうことだったと思います。事業の内容は、老朽化している護岸を改修する千葉県の治水事業と、浦安市の修景事業だった。一つの事業を千葉県と浦安市が分けて担当していました。
基本計画のときは、篠原委員長によって一度計画がまとまっていて、そのタイミングで独立したので、僕が実施設計を担当することになりましたが、それから先はしばらく委員会がありませんでした。
篠原 :一時期、中断していたんだ。
小野寺 :ええ、後はもう実施でするか、という感じで、僕が図面を描いていました。
南雲 :中野さんが基本設計をしていたとき、僕がプロダクトデザインを手伝っていました。僕の記憶だと、中野さんの基本設計では、護岸は石積みでした。
小野寺: 詳しく説明すると、実施設計は間違いなく僕が受けていて、境川整備のCゾーンの設計をしていました。途中で中野さんから、上下流も含めた川全体の景観を見直そうという提案がありました。
篠原 :そこで僕に相談が来たんだね。
南雲 :篠原先生に、石積みか煉瓦かを決めてもらったんですよ。
篠原 :南雲さんは皇居周辺事業の繋がりで中野さんに呼ばれたのかな?
南雲 :そうだと思います。
篠原 :護岸の素材の候補は、輸入煉瓦と国産煉瓦と石がありました。石は荷重的に無理だという話を聞いたので煉瓦を選んだけど、煉瓦はどこでつくったの?
小野寺 :煉瓦はINAX(*1)と一緒につくりました。篠原先生に入っていただき、素材が決定したので、基本設計案をベースにもう一度考えることになりました。ただ、僕が別で描いていた照明柱と防護柵のデザインを見て、篠原先生が「こりゃ、ダメだよ」と言われました。
篠原 :あれは実際につくったんじゃなかった?
小野寺 :橋梁に一本つきました。
篠原 :そうそう。あれを見て、唖然としたよ。
小野寺 :今思うと恥ずかしいですが、あのときは一生懸命でした。ヨシモトポールにもお世話になりました。(笑) 
照明の灯具はデンマークのルイス・ポールセン(*2)のようなデザインの特注品をつくりました。


*1 INAX
1924四年に愛知県常滑市で設立された住宅設備機器メーカー。内外装タイルや煉瓦などを扱っている。現LIXILに統合された。

*2 ルイス・ポールセン
1874年にデンマークで設立された照明メーカー。


ソイルセラミックス

小野寺 :そのような経緯で、委員会で篠原先生から浦安市に対して「照明柱と防護柵は南雲さんにデザインをしてもらった方がよい」と意見してもらい、南雲さんと僕で基本設計を行い、監修を篠原先生がやるという形が出来ました。設計の段階が進むたびに、篠原先生に「防護柵のデザインはこれでいいでしょうか?」など、お伺いを立てながら進めていった。
篠原 :南雲さんは、中野さんに呼ばれたときには、デザインをしていたの?
南雲 :支柱の高さや灯具の形などを、ラフに描く程度でしたけど、デザインしていました。
篠原: 護岸は煉瓦で整備することになり、舗装はINAXが入っていたんだよね。INAXは最初から決まっていたの?
小野寺 :当時、国産の煉瓦でちゃんと焼ける所がなく、いわゆる赤いツルツルした煉瓦しかつくれる所がなかったのですが、INAXの部長から「イメージ通りの煉瓦をつくるから、担当させてくれないか」と申し入れがあった。
篠原 :常滑(とこなめ)市にINAXの煉瓦系特殊素材を扱う煉瓦工場「カメレン」社があって、小野寺さんと一緒に見に行ったのを覚えているよ。焼きむらと、焦げ目がつけられるのは、ここしか無いということだったね。
小野寺 :カメレン煉瓦という名前なのですが、イメージしていた通りの焼きむらと、素材感を持った煉瓦だったので、それを護岸に使うことになりました。当時、INAXはソイルセラミックスを始めたばかりで、ちょうどいいタイミングで、境川整備のプロジェクトに採用することが決定しました。その一部に、貝殻を入れようと提案したのは篠原先生でしたね。
浦安市の古い漁村では、地元でアサリをたくさん採っていたので、そのアサリの貝殻を道にジャリジャリと敷き詰めていました。そのイメージで、ソイルセラミックスに貝を入れようということになりましたよね。けれど、アサリを入れたら汚らしくなってしまったので、最終的にはホタテを入れることにしました。
篠原 :アサリは排水性がすごくいいから、素材としてはぴったりだったよね。その煉瓦の上を裸足で歩くとすごく気持ちがいいんだ。
小野寺 :そうですね。ソイルセラミックスはオートクレーブ方式という蒸気で蒸し上げる製造方法だったので、肌合いがやわらかくてやさしいです。

ソイルセラミックを使用したテラス

03-03_ソイルセラミックを使用したテラス

鋳鉄で失敗製品の山

篠原 :それで、照明柱と防護柵の話に入るけど、二人は相談していたの?
小野寺 :まず防護柵の原案が南雲さんから出て来たけど、その原案を見て、篠原先生が「細いなぁ! 」とおっしゃった。当時の常識では、防護柵のトップビームの外径はΦ50㎜とかΦ60㎜なんですが、これはΦ34㎜しかないんです。
篠原 :僕は後になって見せてもらったけど「こんな細いので大丈夫?」って言ったんだよ。そしたら「大丈夫です」って。
南雲 :対岸の人に、親しく声をかけられるような場所がいいなと思っていたので、ここには本来は防護柵が設置される必要はないと感じていました。なので、最初から出来るだけ、川面を遮らない細さがいいと思っていたんですよね。あとは握りやすさ。支柱をどうしようかと悩んでいましたが、トップビームも支柱も、シンプルなデザインだと、メーカーの既成品みたいになってしまうので、防護柵に関しては、支柱が勝負だと思っていました。それでトップビームのところだけを細くしたんです、きゅっと。それでも下の方がもっさりしているので、ナミナミテクスチャー(*3)を入れることにしました。

03-04_スケッチ1-2

03-05_フェンス2-2

上/歩道のスケッチ 下/防護柵のスケッチ

小野寺 :スケッチだとナミナミの線が、陰もあってすごく深く見えて、見たこともない形だと驚いたのを覚えています。つくれるかどうかより、気持ち悪いのではないかと思いましたが、南雲さんのデザインを信頼していたので何も言いませんでした。
南雲 :境川整備では、コンクリートボラードにナミナミテクスチャーを初めて入れました。防護柵の支柱は鋳鉄なんですよ。照明柱はアルミと鋼管のハイブリットにしました。これが後で大変なことになったのですが・・・。
浅山 :防護柵の支柱は鋳鉄ですが、南雲さんのデザインでは外径がΦ70㎜しかなくて「細くて出来ないので、Φ100㎜にしてください」と何度も頼みに行ったけど、ダメでした。それで、じゃあ挑戦しますと言ってはみたものの、何回も失敗を繰り返して、初回納入に間に合わず、小野寺さんにもう来なくていいと言われてしまいました。
南雲:鋳鉄としては、支柱の先端は細いから中空にならず、根元は太いので中空に出来るのですが、冷えるときのスピードが違い、歪んだり凹んだりしてしまいます。
浅山 :ガスがきれいに抜けなくて、肌がガサガサになってしまったりもします。それを何回も何回も挑戦して、やっときれいなものが出来ました。
篠原: 相当失敗した?
浅山 :失敗しましたね。失敗製品の山が出来ました。


*3 ナミナミテクスチャー
表面を波型に凹凸をつけて、素材感や質感を表現している。

コンクリートボラード

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ナミナミテクスチャーが施されている

03-07_コンクリートボラード


鋳(い)包(ぐる)みの照明柱

小野寺 :照明柱に関しては、鋼管の周りにアルミ鋳物を巻いて製作しています。
南雲 :砂型のときに鋼管を入れて、間にアルミ鋳物を流し入れるので、中の鋼管はそのまま残るんですよ。これはアルミ鋳物だけでもつんじゃない? と言ったら、アルミ鋳物だけではもたないから、中に鋼管を入れて鋳包み(*4)にするしかないと伊藤鉄工から言われました。
浅山 :結局、鋳包みの照明柱はもの凄く失敗しました。いろいろな方向にねじれたり、膨らんだり、20本中16本は失敗ですよ。その会社は潰れてしまいましたよ。
小野寺 :問題なのは建ってからでした。膨れ上がって破裂するくらい腐食してしまった。当時考えていた原因のひとつは、鉄とアルミの電位差、次に潮風、最後に犬の尿です。中の鋼管が外側のアルミを吹き飛ばすくらい腐食していました。
浅山 :実は、当時の資料を見返してみたら、なぜか芯ポールが耐候性鋼管(*5)になっているんですよ。メッキではなくて。
鈴木 :耐候性鋼管? それが悪さをしたんじゃない?
浅山 :私も、なぜ耐候性鋼管を使ったのかはわからないです。


*4 鋳包み
別部品を鋳型に入れ、溶湯を流し込んで本体に接着する方法。

*5 耐候性鋼管
鋼表面に安定錆を形成するように設計された低鉄合金鋼のこと。

篠原 :僕はそういう話は全然聞かされてないけど、そりゃ錆が出るよね。気が付かなかったなんて、ヨシモトポールはあまり関わっていなかったの?
三石 :中間業者のような立場でしたが、納入立ち会いなどでは現場に行っていました。腐食が原因で製品が取り替えになったときは伊藤鉄工の社長に会いに行きましたよ。
篠原 :今までで一番失敗が多かったんじゃないの?
浅山 :そうですね。取り替えは、まだ続いています。鋳包みの照明柱を全部で50本、3年に分けてすべて取り替えましたから。鋳包みの後に、メッキの芯ポールにアルミ鋳物を被せる飾り袴方式を採用しました。しかし、それも亀裂が入りダメになってしまいました。
鈴木 :アルミ鋳物は成分の中に2、3%不純物が入っているので、それで腐食がひどくなったのかな。
浅山 :それは他でもやっている製法ですが、境川整備だけダメになってしまうんですよ。
三石 :潮風とか、環境の問題が大きかったのかもしれないね。
浅山 :そう思います。
篠原 :じゃあ、大赤字だったんだね。
浅山 :ものすごい赤字でした。
小野寺 :当時、現場に行くと、浅山さんがヘルメットを被って作業をしている姿をよく見かけました。あるとき、とぼとぼと歩いているので声をかけると「また柱の取り替えです」と言っていたのを覚えています。

腐食したアルミ鋳物
照明柱の支柱下部は、内部でアルミ鋳物の腐食が進んでいる。

03-09_クレーム-1

南雲 :僕らにしてみると、伊藤鉄工に「これ以上は対応出来ない」と言われたら、結構辛かったですね。伊藤鉄工の社長が出てきて、調整して取り替えると言ってくれたのは助かりました。どのメーカーでもそこまでやってくれるわけではないので。
篠原 :取り替えると言ったって、原因がわからなくちゃ困るじゃない。異なった金属使うと具合悪いんじゃない?

鋳包みの照明柱
一体でデザインされている照明柱と防護柵。照明柱のデザインは水辺の雰囲気に合っている。

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浅山 :柱を建てる場所にもよると思いますけど、やっぱり異なる金属を使うのは、難しいんだと思います。成分分析までしましたが、最終的に何が悪かったかはわからなかったですね。
三石: 袴をはかせるというのは、通常どこでもやっていますからね。鋼管に強度をもたせて、アルミ鋳物を外観のカバーとして使用するというのはよくやる手法なんです。ただ、出来るだけ塗装をして異種金属が接する部分は絶縁状態にしておくというのも考え方としてはありますね。
和田 :私が担当だったのですが、最初柱が腐食してしまったときは、役所の人がもの凄く怒っていました。柱が腐食した理由として、鋳包みの芯ポールが腐食してダメだったと一回報告書をあげましたが、翌年、袴方式のめっき加工を施した芯ポールの方も腐食したので「話が違うじゃないか!」と浦安市の担当者にもの凄く怒られました。芯ポールとアルミ鋳物を固定するボルトにステンレス製のボルトを使っていたことも電位差による腐食原因のひとつだと考えられます。また、境川がきれいに整備されたことで、たくさんの人が犬をつれて散歩するようになり、犬が柱に尿をかけ、同じ所に毎日かけられたことも大きな要因だと思います。そういった様々な要因が重なって、アルミ鋳物が粉状に腐食してしまいました。
篠原 :ヨシモトポールは伊藤鉄工と以前からつき合っていたの?      鈴木 :横浜の商店街の照明柱とボラードをつくったときからですね。
三石 :でも、最初からきちっとつくったのは皇居周辺事業からです。鋳鉄の歩道照明柱をつくったときに黒錆安定処理を使いました。あれもたくさん失敗したなぁ。(笑)

03-10_フラワーバスケット

03-11_階段の手すりとボラード

上/四段ビームの防護柵 下/手摺りとボラード

篠原 :じゃあ、2社とも南雲さんに出会って、いいことなかったんじゃない? (笑)
三石 :最初は失敗が多くて悩みましたが、徐々に技術力が上がっていったというのは事実です。
小野寺: 図面を見ると、南雲さんのデザインは限界ギリギリか、さらにその上をいくんですよね。だから、出来るかどうかはチャレンジしないとわからない。もしかすると出来るかも、という所を突いてくるんですよ。
一同 :そうそう!
南雲: 鋳物でどこまで出来るか、挑戦して欲しかったんですよ。メーカーが最初から「出来ます」と言うレベルではつまらないですからね。
浅山 :今まで、こういう風に言う人はいなかったのです。例えば、鋳物屋さんの常識で、外径はΦ100㎜くらいが限界だと決めつけている訳ですよ。だから職人さんも限界以上のものをつくりたがらない風潮がありました。
篠原: 何度もつくり直したと聞いたけど、南雲さんは工場に見に行っていたの?
南雲 :もちろん行きましたよ。ただ、腐食がひどくてやり直しになってからは、ほとんど行っていません。鋳包み製法でやれるとあれだけ主張したのだから、やり直すしかないでしょう、と突き放しました。
小野寺 :照明柱以外でも防護柵も直していますよね。最初は三段ビームで下段があいているデザインでした。僕は南雲さんに「このデザインだけは、止めたほうがいい」と言ったんだよね。
篠原 :下の方があいていると怖い感じがするから? 
南雲 :子供が落ちるんじゃないかと問題になりました。「大丈夫ですよ」って言っていたんですが、あるとき「落ちた!」と電話がありました。
犬が落ちたんですよ、犬が。浦安市役所の人から、犬の飼い主にものすごい剣幕で怒られたと連絡がありました。

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防護柵のトップビームのディテール
トップビームは握りやすいΦ34㎜。支柱はトップビームの接合部に合わせて細くなるシンプルなデザイン。

小野寺 :それで、地面からコの字型の補助柵を立てて、プランターをビームの上から吊るしました。でもプランターをステンレスでつくっているものだから、すぐ花が枯れてしまった。また、今度は補助柵と防護柵の支柱の隙間から子供が落ちそうだと苦情が入った。それで最終的には四段ビームに替えました。
篠原 :デザインの話に戻るけど、最初から防護柵の支柱はトップビームの上に出ないように考えたの?
南雲 :考えていました。トップビームを触ったまま、ずっと歩いて行ってもいいように。
篠原 :こういう防護柵はつくるのが大変なの?
南雲 :鋳鉄で一体型でつくりますから、大変は大変ですよ。
浅山 :それに、トップビームと鋳鉄を、段差なく見せるのに苦労しました。防護柵の支柱は先端の部分がT字になっているので、鋳物としては脱型するのが大変でした。さらに、トップビームと支柱の間にピンが入っていて、ボルト留めをして、設置する作業がすごく大変でした。
南雲: 直線部とコーナー部では形が違うので、木型で差し替えられるようにすればいいと思っていたけど、それが結構大変だったね。
浅山 :エンドタイプ、コーナータイプ、連続タイプの三種類をつくって、上だけを交換出来るようにしてありました。

社内の評判

篠原 :伊藤鉄工での、南雲さんに対する社内の評判はどうだったの?
浅山 :私はしょっちゅう社長の部屋に呼ばれて「どうなっているんだ?」と聞かれました。いちいち木型検査だとか、原寸図を持ってこいなどと言われているのは、手間をかけすぎだと思われていたと思います。今は手間とは思わないですが、当初は大変でした。
篠原 :昔の三石さんみたいに、浅山さんは会社では浮いた存在だったの?
浅山 :社内では、なんであんな失敗ばかり、という目で見られていました。
篠原 :サラリーマンは、上司に認められないと苦しいよね。
三石 :でも、伊藤鉄工の社長は景観事業を認めていましたから、比較的良かったかもしれないです。
南雲 :かかる手間と利益を考えると難しいって思っていたんじゃないかな。
篠原 :会社とすれば、それはそうだろうね。
浅山 :でも今思えば、大変なことにチャレンジし続けたから、今の伊藤鉄工があると思います。簡単なものばかりやっていたら、レベルも上がらなかったでしょうし。検査の方法や、図面の描き方なども勉強させてもらいました。
篠原 :昔から南雲さんは、自分のデザインを確認するために工場に行っていたの?
南雲 :かなり行ってました。自分で現物を確認しないと、良いか悪いかわからないですから。
小野寺 :アプルではそこまでやってなかったので、僕はそういうやり方を、南雲さんに教えてもらいました。
篠原 :土木の仕事の多くは輪切りになっていて、計画に関わる人は計画だけをして、設計をする人は製作の段階になったら、図面を渡して終わりといった具合に、途切れ途切れになってしまう。
南雲 :実際、実施図面を描いても、つくっているうちに「もうちょっと細い方がよかった」と思うことがあるんですよね。

市民の反応

篠原 :ところで、境川整備は何年くらいかかりましたか? 5年?
小野寺 :境川整備はずっと続いていまして、護岸はまだ終わっていません。今まで私たちが関わったプロジェクトのなかで、一番長いのが境川整備です。
篠原 :浦安市や千葉県の人とのエピソードはある? 照明柱や防護柵を取り替えるという話のときはどうだった?
小野寺 :取り替えるときは、設計が悪いという話はされませんでした。防護柵に関しては、最初に市民から「落ちそうな気がして怖い」と浦安市に通報があり「以前から苦情も出てましたし、デザインの変更をします」と伝えました。浦安市の職員からは、委員会でデザインを決めて承認していることもあり、設計者が悪いという話は一切なかったですね。
篠原 :そういう意味じゃ紳士的だね。照明柱が腐食したときの話は?
小野寺 :これも市民から通報があって、浦安市の職員からこちらに連絡がありましたが、メーカー責任という形になりました。

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アルミ鋳物のチェーン付きボラード
境川整備の後、川辺でカヌー大会などのイベントが開催されるようになるなど、地元の人の行動が変化している。

浅山 :浦安市には、三石さんと伊藤鉄工の社長が謝りに行きました。
小野寺 :前代未聞だったので、伊藤鉄工の社長と一緒に、たくさんの関係者に会いに行きましたよ。「どうするんだ?」と聞かれて「直します」と伊藤鉄工の社長が直接伝えてくれたのでなんとかなりました。
篠原 :市民の評判って聞いたことがある?私が、「事後評価」ということを言い出した最初の例が境川整備で「川が整備されて住んでいる人の行動はどう変わったか」ということを卒業論文で研究してもらった。散歩や通勤のルートが変わったなど、日常行動が本当に変わっているんですよ。川沿いを歩くようになったんです。また、川辺でイベントも随分やるようになったね。
小野寺 :整備後に境川祭りというのもやるようになりましたよね。あと、カヌー大会もここでやるようになりました。

望ましい仕組み

篠原 :仕事の発端はゼネコンからだと思うけど、照明柱もそうだったの?
三石 :照明柱は、ゼネコンからの発注工事ですね。
篠原 :相変わらず、照明柱とかは直接役所から発注ってことにはならないのね。
三石 :なりません。落札したゼネコンからメーカーが請けます。
小野寺 :直接頼めれば安くすむのにね。
鈴木 :一時、我々も入札の参加願いを出しましたが、呼ばれないんですね。
篠原 :工事になると、発注者はゼネコンに出して、ゼネコンが灯具メーカーに出したりして、実際製品を納めるのはそういう系列になっちゃっているんだ。
三石 :照明柱の場合はそういうことが多いですね。
小野寺 :南雲さんとしては、ものづくりをするチームを想定して、設計図を描いて、役所に提出しますよね。それは設計図なので、メーカー図じゃないわけですよ。その図面を基に、どのメーカーがつくってもいいわけです。でも、そうすると上手く出来ませんよ、ということを発注者に説明して、納得してもらわなければならないのが、毎回大変なんです。
三石 :それが一番重要なんですね。それがないとメーカーが図面を描いたり、試作品をつくったりしても、徒労なんです。
篠原 :ヨーロッパではどうしているんだろうな。
小野寺 :ヨーロッパでは、マスターアーキテクト型が多いようですね。 
篠原 :施工や製作も指定出来るのか。前にレンゾ・ピアノ(*6)の事務所で働いている人に聞いたら、事務所にメーカーが頻繁に来ているという話を聞いた。なんで日本はそうならないんだろう。
小野寺 :土木は、標準製品というものが基本になっているので、平等という建前がありますから。
篠原 :どこでも出来る図面にしなきゃいけないなんて進歩がないな。
小野寺 :しかも、CADデータで納品と決まっているから、メーカーの図面がデータで流れて、結構出来ちゃったりするんですよ。あとは担当者が同等品と言ってしまうとそれで通ってしまう。
南雲 :ものをつくるときの、成功したり失敗したりを繰り返しながら得ていく「ものをつくる楽しみ」が、こういう体制からは育たない。世界レベルに技術を高めていくという視点でいけば、努力した連中が報われるような仕組みが必要だと思いますね。
篠原 :設計者のために、エンジニアアーキテクト協会(*7)を立ち上げたけど、メーカーの人にも入ってもらう必要があるよね。本当は設計者とメーカーが一緒にやった方がいいんだよ。


*6 レンゾ・ピアノ(1937年~)
イタリアを代表する建築家。インテリアから公共建築まで幅広く手がけている。フランスのポンピドゥー・センターや関西国際空港などが有名。

*7 エンジニアアーキテクト協会
これまでの土木設計の枠組みから脱却した景観・デザインの精鋭的プロ集団。2010年設立。


小野寺 :今日の話を聞くと、本当にそう思いますね。設計者だけでなく、メーカーと組んでやらないと、新しい良いものは出来ないんだから。
鈴木 :南雲さんがデザインするものは、難しいものばかりだから、やりますと手を上げるメーカーはあまりいない。その辺では、私たちはありがたいです。
篠原 :業界のなかで恨まれてない? いつもつるんでやっているとか。(笑)
鈴木 :時々、関係を勘ぐられたりしますけどね。
篠原 :最後に、境川整備の教訓はなんですかね?
三石 :鋳物の技術が上がったという所です。細くしたり、鋼材とアルミを一緒にしてみたり、鋳物自体の精度が上がったし、逆に鋳物を使ってはいけない部分も学べた。
南雲 :鋳物の可能性の幅が広がりました。
篠原 :そうか、鋳物のデザインと製作の進歩だったのか。確か伊藤鉄工は、防護柵の標準品としてカタログもつくっていたよね? でも、なかなか普及しなかったでしょう。
浅山 :当初は時代に合わなかったのか、売れませんでした。10数年経ってようやく売れるようになりました。
小野寺 :僕らも使いますよ。最近は、標準品が条件になっている現場も多いので。
篠原 :良い標準品をつくるのもメーカーの役割だよね。

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ジョイント金具
伊藤鉄工の標準品(ヒューマニックランドスケープ)としてデザインされた。

参考文献
「景観整備に関する事業の事後評価についての研究~浦安・境川をケーススタディとして」景観・デザイン研究講演集 No.01  2005年12月
安仁屋宗太・福井恒明・篠原修

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