お笑い芸人という生き物の苦悩とジレンマ

こんにちは、僕は吉本興業でお笑い芸人として活動しています
コンビ名はシカゴ実業、芸名は山本プロ野球と言います
今年の4月から大阪から上京してきました
とても売れたいと思っています。とても売れたい、というのは
売れたい気持ちが強いという意味で、ものすごい勢いで売れたいというニュアンスではありません。ニュアンスは共有しておきたいので書きました
2008年にNSCという吉本の養成所に入り、2009年から芸人としてのキャリアが始まったので、現在2023年が芸歴15年目という事になります
15年お笑い芸人をやってきた事で沢山の芸人を見てきて、そして自分自身も芸人として感じる事や考える事があり
その生態を主観的にも客観的にも見てきた結果
芸人だからこそ今も尚抱える苦悩やジレンマがあり
そういった事を踏まえて
芸人という特殊な生物の実態を知ってもらえたらと思います。
芸人(僕)が芸人として芸人をリスペクトして、お笑いが好きでその業界で売れたいと思っていて、でも簡単では無く。大小の挫折を経験する中での感情やその都度感じては無理矢理乗り越えて来た過程を知ってもらえたらと思います

僕が芸人になり、初めて感じたジレンマは
ウケる事と面白い事と評価される事が全部似ている様で少しずつ違う事でした
お笑い芸人になるからにはもちろん人から笑いを取る事に長けているという謎の自信を持っているものです
それはクラスの人気者だった人もいれば、クラスの人気者を見て「あんなんは面白くない、ギャーギャー騒いでるだけ、俺の考えている事の方が面白い」と沸々と教室の端っこで考えてる人もいれば、ずっと引きこもりでラジオやテレビをずっと見聞きして、ハガキやメールを送り続けていた人もいます
お笑いを始めるに当たって必要な学歴も知識も経験も別に無く
それはつまり自分がどれくらい面白いかを知る指標も無いという事で
学生お笑いやMー1グランプリ、Mー1甲子園みたいなものはあれど
僕の様に一緒にお笑いをやる同級生がいなくて出場もしていなく
何となく自分が世界最強に面白いと思いながら目指した人も多い訳で
そういった様々な人が集まる養成所に入った時に
よっしゃ見てろよ、最強お笑い芸人の幕開けや!
とイキってネタを授業で披露するも、一つも笑いを取れないし先生にはこき下ろされるし同期で明らかに自分より面白い奴がいました。俺が最強お笑い芸人で一回目のネタ見せで「こんな天才おったんか!よっしゃ!君にレギュラー番組を与えよう!」となるはずだったのに・・・
甘く無いどころかゴーヤを口に捩じ込まれたくらい苦い経験を経て
なんとか自分なりにウケを取れる様になり、その度に序列を決めるお笑いバトルイベントや賞レースに参加をしますが
一切評価をされない日々が続きます

明らかにこの芸人よりもウケていたのに、とかあの芸人のネタの内容と比べてこっちの方が面白いだろ、とか。
そしてそれに伴い、すごくウケているけど全然売れていない人が山程いる現状にも気付きます
自分の自信のネタで100%ウケ切って肩で風切って歩いて帰ってきたら
その背中で自分の100%を遥かに凌駕する突風で肩を丸めさせられる事もしばしば
そしてその爆笑を取っている芸人も漏れなく売れていない
一体なんなんだこの世界は・・・面白いネタやってウケるってだけでは無いのか
と考え始めます
確かにウケる事にある程度上限はあるし、じゃあそれにどういう優劣をつけるのかって話にもなるし所謂売れるという事にはネタ以外も深く関わっているな
と芸歴を重ねると薄っすらと見えてきます

ともかくどっちがどっちより面白い
というすごく個人の趣味嗜好が関わる優劣をつけるに至って
それぞれがある程度好み以外の採点基準を設ける事はあるとして
それがネタの構成や、笑いの数、新しさ、表現力の上手さなどがあるのかと思います
※予想、あくまでも僕の
僕は一時期大阪の劇場のバトルイベントで
審査員票がすこぶる低くて負け続けるという期間がありました
ウケてもダメ、滑ったらもちろんダメ
でも僕からしたら自分がウケると思った面白いネタをするしか無く
結局点数が振るわず劇場メンバーから落ちてしまい
どうせこんな点数付ける奴と喋っても無駄だから、という信じられない理由でダメ出しにも一回も行きませんでした
今思えばそんなんしてたら嫌われてより点数付けてくれへんやろ、とも思いますが
若い時ってのは尖ってナンボだったんでそれは致し方無いと思ってもいます

面白いにも色々あるとも思います
新しい見たことが無い事を僕は面白いって思いますし
自分と感性が似ている事にも面白いと感じます
ただただ上手な漫才や演技力で見せる演劇っぽいコントをあまり面白いと感じません
でもそれを好きで面白いと感じるお客さんや芸人もいる訳で
自分が全く面白く無いと感じたネタが舞台で爆笑かっさらってる現場を何回も見ていますし、そのお客さんが自分のネタで笑ってくれる事もあり
すごい感度が高くて素敵だと思います
自分がお笑いを作る側に周り、そして演じる側にもなっている事で
人がやっているネタをあまり素直に見られなくなってしまっています
本当はお笑いが好きで、ネタを見るのが好きで、笑うのが好きだけど
こんなネタのテーマや切り口あるのか、こうなったら自分ならこんなボケを入れるな。
こういう展開いけるんちゃうか?この部分だけ切り取って自分のネタに・・・
といったいらん事を考えて集中出来ない事もしばしばあります
これもまたジレンマ

様々なネタに関する想いやジレンマがあり
自分だけでなく見に来て下さるお客さん、審査員の方々
全てを網羅するなんて不可能やろ
と思い、最終的に自分が満足する事をやりたい
と思ってネタを作ろうと思うんですが
芸歴を重ねたら重ねるだけ昔の様に振り切ったバカを出来なくなっている自分にも気付きます。何度も審査をされ、何度も落とされて来た負け犬根性がある程度ネタとしてまとまっている状態にしようとネタを修正してしまいます
その度に大人になったなあとか、一年目や二年目のあの子達の様なぶっ飛んだ事をもう思い付きもしないのかとか、そういった想いが錯綜します
どっちが良いかは分かりませんが
その過程にはとにかく変な事をやって、人がやらない事をやって、目立ってナンボでやって来て、その数だけ一切評価されない経験が
売れたいという気持ちが、芸歴と共に恩返ししたい人が増えたという事実が
その修正に至るなら自分としては正しいと思う様にしています

そういった経験や感情の変遷もあり
芸人を目指して入門した時からブレずに抱いているのは
売れたい
という目標
これはもうこんなざっくりしている目標を
芸人は全員一律で思っていて
この「売れる」という事自体にも個人差があり
これに関してもジレンマがまとわりついて来やがるんですね
芸人になる前、なると決めた時、最初の挫折を味わうまでは
当たり前の様にテレビで活躍している芸人より自分が面白いと思っていたので
一年目からテレビに出てすぐ活躍するもんだと思っていました
それは一年目の夏には絶対に無いと気付き
色んな現場を経た結果、自分はテレビで活躍するタイプじゃないのかも知れない
なんて思い出し
それは諦めでもあり、テレビに出る以外の「売れる」の道がある事も知れたからこその視野の広がりでもあると思います

しかし、長い間バイトをしながら
お笑いでもらえる給料とバイトの給料でちょっとだけマシな生活を送れる日々が続き
もうバイトを辞められたらそれで良いや
20万円30万円月収があれば充分
みたいな考えに陥った事もありました
決して簡単ではないけど、元々自分が最強お笑い芸人だと勘違いしていた時は
東京でごっついマンションに住んで室内で大型犬走らせてる夢見ながら寝ていたのに
芸歴を10年迎える頃にはそんな目標掲げて活動していて
それが夢とは言えない小さな目標であるのに
それにさえ手が届く気配も無い日常を過ごしている現状にヤキモキする日々を送り続けていたものです
やはり売れている芸人より売れていない芸人の方が多いので
周りには売れていない芸人だらけなのですが
そこで、お前は面白いからいつか売れる。お前の方があのネタが世に出たら一発やで!とか傷を舐め合い続け、これはもうおもろいとホンマに思ってるんかも定かではなく
傷を舐めてもらう為に嘘でも良いから傷を舐めてあげる
という互いを一切高め合わない人間関係が売れていない芸人間ではよく見かけられます

ここに足突っ込むと本当に終わりで
毎年毎年何百何千という芸人が新たに入ってきて
毎年毎年色んな賞レースでチャンピオンが生まれ
様々な賞レースで芸歴制限が設定されます
俺らは面白いのになあ
と舐めてもらった自分の傷口が致死量の出血をしている事に気付いたってもう無理で
そこから這い上がる努力をする事はもう出来ないんです
これは客観的に見るジレンマです
あの人は何故面白いのに努力をしないんだろう
自分をプレゼンして面白い事を誇示しないんだろう
もっと色んな人に見られる活動をしたら良いのに
そんな事を思ってはその人がよく分からん地域に土着する芸人になったり
謎の社長に飼われていく姿を横目に
ああはならない。と心に深く刻んでいくのでした

やはり「売れる」という事は大衆的である事なんじゃないか
って思う時と
「売れる」って事は希少性がある事だから、すごく好きな人を作る事が大事なんじゃないかって思う時があり
一時期は自分の感性を剥き出しにして、見た目から自分のこんなんが好きを出していった結果
ロン毛にヒゲという姿になって
僕の好きに共鳴してくれる人を発掘出来ないものか
と思いましたが
それを2年くらい続けたある日先輩に
お前のその見た目はなんか意味あんのか?
とバシっと言われてヒゲを剃って散髪をしました
芸人とは自分が社長であり広告塔であり商品であり、ネタは名刺であり商品であり武器でもあります
僕は社長としては結構ブレるもんですが、ネタはブレない様にと思っています
なので自分のネタが最も広く知られ、多くの人に良いと思ってもらえる為に
という事を考えて今はやっています

ここでお笑いに魂をどれだけ売るか、という話が出てきます
ある先輩は元々シュッとしている男前でしたが
笑いを取る為に太って角刈りにしています
これは分かりやすくお笑いに魂を捧げています
こういう人は本当にすごいと思います。面白いが何よりも大事で
面白い=カッコいい
という芸人の思想の最たる物だと思います
キモいキャラを引き立てる為にわざと髪をダラっと伸ばしたり、チャラいキャラの為に髪の毛を派手にしたりするのもそうだと思います
こういう事の何が良いって言うと
プライドが無い、という事が一目で分かるからです
この人は「笑かす」というよりも「笑ってもらう」という認識でやっているな
という事が見ている側からしたら受け取れるので
より笑い易いんですね、やっぱり言い方悪いですけど上から目線で見れる人の方が笑い易いんで、良い意味で人からナメられるルックスに自己プロデュースしている人は
本当にすごい

ほなお前もやればええやん、って思う人がいると思うんですけど
僕はお笑い芸人になったらモテると思って入ってきています
モテるというのは沢山の女性から素敵と思われて好意を抱かれるという意味です
僕は自分のルックスが結構好きなので、普通に顔がカッコいいと思われたいです
髪型や服装もちゃんとやりたいです。お笑い良い影響が無く、初めて会う芸人からもどこイジって良いか分からないと思われる事を加味しても
そこまでお笑いに魂を売るという事が出来ません
つまり僕はプライドがバチバチにあるという事です
10kg太って三つ編みにしたら売れるよ
と未来を全て見える神に枕元で言われても
やるか!カッコ悪い!と一蹴してしまう程にはプライドがあります
マッチングアプリをやった時も職業の欄に「芸人」とは書かずに
「エンターテイメント」という謎のジャンルを選び
年収も200万円未満というマジの数字を選び、自分の顔は丸出しにする
という情報で戦っていました
芸人だからモテるも良いし、芸人と知らない人が人間として興味を持ってくれて後々好きになってくれるのなら尚嬉しい
そういう人間なのです

なんかウダウダ言うてるけど、お笑いに本気で取り組んでいないって事?
と思われるかも知れない
これもまたジレンマであり僕が抱えてきた苦悩にも繋がります
僕は見た目的にあまりイジられず、イジってもらえてる人を羨んできました
ある程度先輩になり、人をイジったり自分からじゃれる事を覚えてきてからは
別にイジられる人もいればイジる人もいて
でも本当はイジられたい
でもイジられる努力って変な見た目になる事で、それって芸人としてはすごいけど
自分のカッコいいとはズレる
こんな感じで10数年やってきて、いざイジられたら上手く反応も出来ないし
イジられの人ってのは相当な覚悟で挑んでるんか
それならイジられなくても生き残れる術を身に付けるしか無いだろう
なんて思いました
僕が今メインで活動している場所は舞台で
舞台上には自分一人ではありません、人がイジられたりイジったりする現場には沢山の芸人がいます
そのそれぞれが色んな思想を抱えて、それぞれが売れたい道を歩んで目指しています
どうなっても誰かが助けてくれるという意識を持ってからは
みんなが同じである必要は無い、という当たり前の事に気付き楽になったもんです
いつか相方に「カッコつけんなや」と言われて、それがウケたら意味が出て来る
みたいなもんかなあと思います

そういった事や
自分の生い立ちを考えた時に
本当に普通の人間やなあ、と思います
芸人ってのは変な人が本当に多い、本当に多過ぎる
その変な人が「変な普通」を当たり前みたいに話しているのを見て
面白いと同時に自分は本当に普通だ、何やこれと思います
ある程度裕福な家庭で育って、高校出てお笑い初めて
ギャンブルにのめり込む事もなければ大きな修羅場を経験する事も無い
不良でも無いし太っても痩せても無い。身長も高くも低くも無い
あまりにも普通、そりゃこんな普通の奴やからピンクと青の三つ編みにして体重120kgにしてラッパ吹く芸風にしたら売れるよ
と言われたって出来ない
普通の人生を歩んできた人間の経験上そんな事をするという発想が無い
特別変な思想も無いしぶっ飛んだ発想の人を見たら、すごいなあと思う
そういう普通コンプレックスを常々感じ続けていて
その度に
いやでも芸人は変な奴だらけやから、普通の奴で残る奴には需要が絶対にあるはず
普通の奴は辞めまくるから。途方も無い売れるまでの手順とクリアしないといけないハードルの多さと高さを見た時に
普通の感覚なら辞めて就職した方が良いってなります

じゃあお前は普通ちゃうやんけ
みたいな事になりますけど、いや普通やねん
普通やからこそ自分が普通である事に向き合った結果
普通で続ける事しか出来ない、変な奴を装う茨の道を選べない辺り滅茶苦茶に普通の奴。ぶっ飛んでる人間ならとっくの昔に三つ編みにして膝まで伸ばして常にドラ持ち歩いてますよ
本当に自分が普通であるという事を身にしみるのが
遅刻に関して
僕は遅刻を絶対にしたくないのですが
芸人って遅刻する奴がめっちゃいます
朝弱い人が多く、朝からの仕事やったり深夜までの仕事やったり飲んだりが多いので
遅刻はどこかで誰かがしています
打ち合わせやリハーサルには来ない人もいます
でも僕は自分が家を出る2時間前くらいには起きておきたいという
非常に普通の考えで、集合時間の15分前くらいには到着していたいという人間なのです
これは親の影響でもあるとは思いますが
芸人として15年過ごして芸人と触れ合ってきてもブレません
僕は相方がよく遅刻をするタイプなので、その度に腹が立つのですが
芸人は自分も遅刻をする生き物だからあまり重く考える人がいません
なのでここでマジギレしたら、遅刻くらいでそんなに?出番には間に合ったのに
みたいな事になり、普通であるべき自分が異常者になってしまう
という変な理屈を自分で考えて激しく怒る事も出来ずしばらく悶々とする日々を過ごす
くらいには普通で

ここで芸人が
〇〇さんも昔よく遅刻してたらしいよ
とか
〇〇さんもパチンコめっちゃやってるよ
とか
なんか知らんけど売れてる人を引き合いに出して
だから自分がそういう状態であっても売れるという事に関してネガティブな情報では無い。という感じの免罪符を掲げてくる場合があるのですが
お前と〇〇さんは実力に差がある
としか思えず
僕としてはその人と同じ轍を進む事がどれだけ大変なんか分かってんのか?
と思ってしまいます
そういったクズを売りにしている芸人は少なくは無く
僕としてはそれホンマにおもろいか?とどうしても思ってしまう。普通過ぎて
仕事に何時間遅刻した。という事を笑い話にするには
辛い想いをした当事者のメンタルケア必要ちゃうか?
って思ってしまう、これはかなりピュアやと自分でも思います
これの成れの果てがネットのクレーマーではあるんやろうな
と思えるのは
頭では、そんな失敗を笑い話に出来るのが芸人の良さで
遅れて来て何を言うかな?を楽しめばそれはそれでプラスになる
という事が分かっているからなんですが
いやそれにしてもちゃんと来いよ。借金すなよ。と思います

しかしこのクズ芸人には需要があり
クズ芸人の大体がめっちゃ面白い奴です
クズ漫談は聞いていて面白いし、自分の普通の思想を飛び越えて笑かされます
クズはクズである自分を受け入れて武器にしている場合
本当に強いんです。これもまたプライドが無いから
簡単に土下座して金を借りようとしてくる奴は、ウケるなら何でもやるでしょう
金を1万円借りる為に土下座出来るんですから
こうなった時に
僕は人間としてまともなのは僕で、真面目に生きているのは僕なのに
芸人とは不真面目だったり人に迷惑を掛ける人の方が取り上げられて
その実態を客観的に見て面白いと思われる事の方が多い
これはキツい!!!自分が自分として生きている限り、どうしようも無い奴に素の状態で勝てる気がしない。
こんな事を思わせてくるクズ芸人が僕にとって自分が普通であるコンプレックスを抱かせる理由の多くを占めています
相方が遅刻をした時、僕はイライラするし腹も立ちます
遅れて来た相方に他の芸人は一斉にイジります、何なら人気者です
舞台を何とか飛ばさず終えた後にも相方がずっとイジられて
僕は横で「禁酒な」と罰を与え、彼が今までにしてきた遅刻やその後にやらかした事などを話します
この時に僕は相方のクズ失敗エピソードを話します
そうなると相方はより一層「コイツは何やっても良い奴」となり、イジられます

いや、なんか遅刻した事でコンビとしてプラスなってるやん
相方は周囲の芸人から接し易いと思われ
僕は相方のエピソードを喋るきっかけをもらえた
なんやこれ?でも相方がもう笑顔で遅刻をしてから間に合うまでの漫談をしている事に素直に笑えない自分もいる
このジレンマ、本当に最新のジレンマで
ここに向き合って克服して笑える様になった時が僕が本当に芸人として一皮剥ける時なのかも知れない
なんて思いました
なら相方には粗相をしてもらう方が良いのか?
いや遅刻をする奴なんて出番絶対自分なら減らすよな
なんて新たなジレンマも登場します
ジレンマってなんやねんどっかいってくれ
ただ思う事は、自分の感情を優先すると面白いを取り零すという事
僕が怒りに任せて相方を怒鳴りつけていたらきっとイジられなかったでしょう
その時点で怒りをぶつけなかった自分は昔からしたら成長しているんだと思います
2年前くらいに相方が遅刻した時には
ナメてんのか殺すぞ
と開口一番耳元で言ったものです
そんな事を言った所で、その後の仕事でベストパフォーマンスが出来るわけが無いし
そうなれば余計腹が立つし
説教したって萎縮するだろうし。なんて思うんですよ

いやいやいやいやいや
ちゃんとしている人が損している様にしか感じられない
どう考えても損している気がする
相方のエピソードを語る
相方に話が振られる
相方が話す
お前どないやねーーーん
へへぇ
おもろいやっちゃなあ
いやでも遅刻は人に迷惑かけるんで良くない、と僕
いや真面目やなあ
・・・
ちょっと待ってくれ。変な奴にまみれている芸人界で、僕が普通であるが故の正しいを主張したらディズニーランドで「ミッキーはランドにもシーにもいるよな」みたいな事を言った雰囲気になるやないか!
ちょっと待ってくれ
という事は、芸人界ではある程度のクズ要素を積んでいる事が普通であり
特にクズでは無い人間こそが特異である、そうそうだから僕は普通であるし変える様な事でも無いしそれを正当化して
なんならよりちゃんと生きられる様にしてきているけど
これに希少価値無いんか・・・?

そらそうか
普通にちゃんと生きている人がいる、という事はもちろん前提であり
それが普通である事は共通認識であるから
別にそいつがこの場に存在していなくたって
自分がクズ要素を抱えている人だったとしても
別のクズがイジられている時は、お前おかしいやろ!ちゃんとしろや!
と言えるし言って良い
そうなった時にイジられているクズが
あんたやってこの間1時間遅刻して土下座しとったやないか!
今それ言うなやー!
って事か・・・
どないなってんねん、改めて思う芸人という人種
だからこそ面白い、本当に面白い。いつか辞めるという選択肢が無いのは
このとんでもない世界で普通として生き抜いて勝ち切る
という事を達成したいし、もういつかどっかで自分もクズに染まってしまうかも知れないけどそれはそれえエエか
とも思うから

理解をしようとすればする程芸人は理解出来ない
売れたいけど努力しない人もいるし
努力しているのに面白く無い人もいて、真面目過ぎて面白い人もいたら
クズの一言で全て逆転したりもするし
一般社会でも普通に生きていけそうな奴もいれば
芸人じゃなかったら野垂れ死にしてるやろうな、って奴もいて
その個体個体がそれぞれ各々が芸人として思想を抱えてどうして売れるかを日々考えて暮らしていて
どれもが正解であり、どれも間違っている可能性がある
顔がカッコいいからモテる芸人もいれば
ネタが面白いから太っていてもブスでもチケットが即完する人もいて
舞台で何回爆笑取っても賞レースでは勝てなかったりテレビに引っ掛からなかったり
デビューからずっと同じスタイルを続けて15年目にMー1優勝する人もいれば
一年目からレギュラー番組をもらう人もいる
Youtubeで稼いでる人もいればTikTokで有名な賞レース一回戦落ちの奴人だっている
道が沢山あるからこそ、何かをやっていたいしネタだけに集中したいという想いもある
それぞれが目指す「売れる」という事にそれぞれがそれぞれのやり方で向かっている
芸歴を重ねて色んな尖りが丸くなっていく人もいる、でも丸くなったのではなく
丸く見せているだけで鋭い棘を隠している人もいる

どれだけ経験しても
それぞれ違った方が良いし、こんな奴はいない。という何者かになりたい
でもそう思っている時点でかなり普通
そんなジレンマを抱えるのは僕が芸人だからでしょう
こういうエッセイを書いている今も
これ面白いか?芸人として正しいか?痛い奴やと思われへんか?いやでもこういう事を書く事自体が自分が好きな事であり
自分は人間味であり考えている事をそのまま出す事を面白いと考えているから、こういう自分の思想を出すという事は間違いじゃ無い
みたいな事を考えてい書いています
バックスペースの長押しを何回も経て、添削をして
書いてはみたものの
どないやろか?が絶えない。面白いってのは結局他者からの評価だし
誰かが面白いって言ったから、で評価やウケ方が変わる世界で生きている身分で
分かる奴だけが分かれば良いとは到底思えない小心者なので
目に見える評価が続ける活力にもこれからの自信にもなるし力にもなります
だからこそエゴサーチをするけど
すれば、良い評価がある時も悪い評価がある時も何の評価も無い時があり
それはそれでまたジレンマ。
きっと芸人続けている内はジレンマからは逃れられないんでしょうし
もうジレンマ中毒なのかも知れないです
自分の中で収めている不条理が人に見つかればそれはもうイジり代ですから
きっとジレンマの数だけ芸人には魅力がある。と思うしか無いんだよなあ

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