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『世間体第一主義の環境』、『言ってはいけないという思い込み』、『言っても無駄』の絶望を開放へ。
28歳の時、自ら両腕の内側を切った。
幼い頃から家では、我慢とバランスをとる役をしていた。
耐えて当たり前、人に合わせて当たり前で、自分の限界にも鈍くなっていた。
それは私のベースとなり、職場でも支配的な人、クセのある人を引き寄せた。
自己肯定感は根っこから失っていたので、嫌だと意思表示など出来るはずもなく、どんな理不尽なことをされても、扱いを受けても、自分が悪いんだ、ダメなんだと募るのは罪悪感
『はじめから強い人なんていない・・・』
とかっていうCMあったけど‥‥
『はじめから弱い人こそいない』
んじゃないかな。
弱くさせられたんだ。
弱いと思い込まされたんだ。
『自分のために真剣に集中して取り組んではいけない』という思い込みに気づいた・・・。そして気づけば変えられる。
機能不全家族で育ったことが根っこにあり、歪んだ思い込みをたくさん持ってしまっていた。
情報を集め、自らの経験と照らし合わせるなどして、ポツリポツリと解除を進めている。
先日も、呼吸と連動させるストレッチをしていた時のこと。
私にとって、重大な思い込みの気づきがあった。
それは、
『やりたいこと(目標)に向かって、真剣に集中して取り組んではいけない。』
というもの。
そもそも、何でそんな思い込
のびのびは金。キチンとは銀。
昔々、権利教育を受けていた頃のこと。
ある年の校内書き初め大会。
常に金賞を取っていた、いつもと勝手が違った。
筆の運びに縮こまってしまうというか。
書けども書けども、もの足りない。
これまでになく手本を確認し、周りがどんどん帰っていく中で、焦りは加速されながら、粘った。
結果は銀賞。
のびのびは『金』 キチンとは『銀』
今や周知の常識ほどのメッセージ。
今一度、書き残しておこう。
毒親の元、毒環境の中で育った。---私が悪いんじゃない。自分を責めないで。よく頑張った。ありがとう、私。もう、人の分まで背負わない!---
いわゆる毒親の元で育ち、生きてきた。
親の言動に苦しみながら、それなのに、そんな親に対してより、責めるのは自分自身だった。
どんなに理不尽なことをされても、結果、罪悪感に襲われる。
私の自己肯定感は、6歳の時、母親(毒親)との間で起きた出来事により最低になり、根のないグラグラの挿し木状態になっていたから。
30歳の時、あるキッカケを境に、なんとか自分を取り戻そうと準備し始め、今までの流れに逆らうよ