「選択的夫婦別姓」を選択できたから敢えて同姓にして何者にもならない選択をした。
もうずっと前から「選択的夫婦別姓」が論議されているけれど、"選択的"だと言っているにも関わらず、なぜこうも決断が下されないのか全くもって理解ができない。理解できなさすぎて私は考えるのをやめた。「カーズは考えることをやめた」
…オタクだからこういう引用をやりがちである。さて、強制力を持つ現行の「夫婦同姓」だが、例外として「国際結婚」においては、もうずっと昔から"夫婦別姓"である。
夫婦別姓を望む人・同姓を望む人、色々いていいと思う。しかし繰り返すが国際結婚においては"夫婦別姓が基本"なのである。
国際結婚をし夫婦同姓にしたい場合は(※今回は日本人が外国人配偶者の姓に変えたい場合とする)婚姻書類提出から6ヶ月以内だと、管轄の役所で書面を一枚準備すると改姓が認められる。6ヶ月をすぎると簡易裁判所(だったかな)に必要書類を提出すれば、そこでも改姓が認められる。認められない場合もあるが、大抵は認められるらしい。
さらに、国際結婚だったら、名字を繋げて新しい名字を作る(名乗る)こともできる。例えば、田中花子さんがSmithさんと結婚し、「スミス・田中花子」もしくは「スミス田中・花子」または「田中スミス・花子」など。
要は名字と名前が2つに分かれてさえいればOKということなのだ。何それ楽しい。なんなら夫婦で新しい名字を作れる制度なんかあっても楽しいよね!
とまあ、だいぶ話がズレたが、要は、強制的な夫婦同姓しばりで苦しんでいる人が行動を起こし、それでもなお国に認められない一方で、国際結婚はある意味「選択的夫婦別姓」が国によって認められていると言えるところがポイントなのだ。
ちょっと話は逸れるが、"日本語"とは便利なもので、ひらがな・カタカナ・漢字とバラエティーに富んでいる。外来語は往往にして"カタカナ"にて表記されるため、国語(日本語)が外来語によって侵食されるのを阻止できる。しかし、例えばヨーロッパなどはどうだろうか。同じラテン由来の言語であり、その多くの国はアルファベットを使用している。つまりフランス語⇄英語などミックスされやすく、自国語が他国の言語に侵食されやすくなってしまうのだ。ちなみに"tion"で終わる英単語はフランス語が語源らしい。語源が同じ言語だとどちらが正しいのかわかりづらくなることもあるだろうし、陸続きなので日本よりもその辺は深刻だろう。
夫婦同姓はあくまで日本人同士の結婚を基本としている。逆を言うと、国際結婚が夫婦別姓を基本としている理由は「外国の苗字を流入させないため」なのだ。きっとそうなのだ。
ただし、国際結婚においての夫婦同姓は、日本の戸籍上では、厳密には同じ名字にはなれない。外国人配偶者の名字に変えたとしても、すべてカタカナで表記されるため、Smithさんと結婚しても、あくまで"スミス"さんになるだけなのである。※漢字圏(台湾や中国)は除く
ちなみに私は国際結婚をしたクチの人間だ。上記を踏まえると、「夫婦別姓」だと思う人がほとんどだろう。YES、だがNOである。
色々と考えた末、私は配偶者の姓に変えた。
改姓を悩んだ理由は旧姓に愛着があるから、とか、そういうのではなかった。まず第一に、仕事だ。当時フリーランスだったため改姓でお役所仕事が煩雑になる恐れがあるのではないか、とか。そもそも改姓によって様々なめんどくさい手続きが発生する。別姓が許されている婚姻形態なのにわざわざ変える理由とは。底なし沼である。どっちでもいいからどうでもいいのだが。
改姓について数ヶ月は考えた。6ヶ月が経とうとした頃に、変えた。
変えた今でも仕事も病院や役所以外はプライベートでも旧姓を通している。同姓にしても、別姓を名乗ることができる。ラッキーだった。しかしこれを「ラッキーだった」と自分ひとりの問題として良いのだろうか。
同じ「国」という括りの中で、一方ではできていることが一方ではできないという事は「解せぬ」以外の何者でもない。
改姓した時、友人には「結婚式もやってないし、まあ後悔するにしても変えてみないとわかんないから変えた」とか、それっぽいことを言っていたけれど、本心はきっと「一見どっちがどっちかわからない、何者にも属さない2つの人格を持ちたかった」のではないのだろうか。そこに確固たる理屈が通ってなくとも、私は"選択"できる限りの選択をした。できたのだ。独りよがりだろうがなんだろうが関係ない。それでいいのだ。
これこそが「選択の権利」だと思う。
別姓でも同姓でも、異性婚でも同性婚でも、選択する権利を与えて欲しい。
話はそれからだ。
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