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人間どうしのままならなさを一文で表す

「人が持つ悩みのほとんどは人間に起因している」と誰かが言っていて、ああ、確かにそうだ。と納得した記憶があるけど、それの上手い例えが見つからずヤキモキしていた頃に、とてもわかりやすい説明を実体験の中から手に入れた。

配偶者とよく喧嘩をする。私は自ら怒ることがあまり無いというか怒り方(感情の出し方)が分からないので、自分から率先して怒るような事があまりないが、配偶者の言っていることがあまりにも理不尽な場合は言い返すことで喧嘩に発展することが多い。

文字に起こすとくだらなすぎて悲しくなってくるが、とある日、カトラリー(スプーンとかフォークを収納する引き出し)のスプーンを入れる場所に私が箸を入れてしまっていた時のことだ。

引き出しを開けた配偶者が、「なぜスプーンのところに箸が入っているのか」と聞いてきた。

チ●ポジがずれて気持ちが悪い、とか、ブラが上に上がって気持ちが悪い、とかであれば、やはり定位置に収めてあげるのが筋だろう。しかし相手は無機質な物体である。

納豆とごはんを別々の容器に盛っていようが、一度腹の中に入ってしまえばもろとも一緒くたとなり胃液で溶かされる。どうでもいいことだと思ってしまうのだ。

なので「そんな些細な事どうでもいいやん。誰が死ぬわけでもなし」。

と鼻クソを穿りながら返すのだが、配偶者曰く「そう、些細な事なんだよ、些細で取るに足らない事だと思っているならなぜできない」と意見するのだ。ぶへえ。

人間どうしのままならなさはコレに凝縮されている気がしてならない。

自分が思っているように人は動かない。

だから私はあまり他人に期待をしない。是か非かはわからないが。

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