きょうは出産予定日
2023年12月6日。今日は出産予定日でした。
持病の全身性エリテマトーデスは妊娠と相性が悪く、妊娠するには主治医の許可が必要でした。2021年12月に診断されて、一年ちょっとかかりましたが病状が安定し、お薬の量が減り、2023年1月に妊娠の許可がでました。
妊娠がわかったのは4月。母子健康手帳をもらったのは5月末。職場に報告したのは6月中旬。
わたしは産婦人科ではわりと優秀で、まったくつわりがなく日々が過ぎ、クリニックでも大学病院でも「つわりがない?日頃の行いがいいね!」と言われていい気分になっていました。エコーのたびにお腹の子が元気に動いているのが確認でき、このまま大きくなっていくんだろうな〜と楽観的に過ごしていました。
7月頭、妊娠5か月の戌の日にたまたま妊婦健診が重なったので、夫と神社に安産祈願をしに行ってから妊婦健診に行きました。安産祈願の最中は咳が出て止まらなくなってしまうのではないかと心配でしたが、なんとか持ち堪えました。
実は6月の後半からずっと咳が止まらない(眠れないくらい)、喉が痛いなどの症状が続いていて、病院に2回かかったけど風邪だと言われていました。眠れなかった日の翌日は頭痛がひどいので仕事を休んだり、土日を寝て過ごしても全然よくならない、わたし史上もっとも体調の悪い日々でした。産科の医師にそれを話してからお腹をエコーで見てもらったところ、お腹の子の心臓が止まっていることがわかりました。いつも明るい産科の先生の、手が止まり、楽しげなお話がやみ、まっすぐにこちらを見て「山田さん」「赤ちゃんの心臓が動いていません」。忘れられないシーンです。最初は全然ピンとこなくて、蘇生できるのかな?などと思っていました。心臓が動いていないとは亡くなってしまったということを意味するようです。その時は17週でしたが、頭の大きさ的に16週で亡くなったようだね、と言われました。そこからバタバタとお産に向けての段取りが組まれました。
3〜4日の入院で普通のお産のように分娩するらしいのですが、翌日入院か、1週間後の入院か、どっちがいいか聞かれて、仕事のことや企画している地元の夏祭りのことを考えて「1週間後で」と言ったら産科の先生に「この状況で仕事できます?」と言われて、夫にも止められ、結局翌日入院することになりました。たしかに冷静に考えたら、死んでしまった子を腹に留めたまま1週間いつものように過ごすって、とんでもないかも。(じゃあなんで選択肢に出してくるのや。)
入院が決まったので職場に電話。それまではちゃんと泣いてはいなかったのですが「妊婦健診に来たら、子が亡くなっていることがわかって・・・」と職場のボスに話したところなぜか号泣してしまいました。帰りの車でも夫とたくさん泣きました。
翌日、1年半ぶりの入院。妊婦食の量の多さにびっくり。前の入院は腎臓病食だったからめっちゃ少なかったのでした。1日目と2日目で子宮口を広げる処置をされました。
3日目、分娩の日。夫が朝早くから来てくれて、一緒に分娩室に入りました。9:13陣痛をつける薬を投入されました。スタッフはいなくなり、いつ始まるかわからない陣痛をのんびりお話しながら待っていたら、少し体勢を変えようとしたときに股から温泉が湧き出てきて、びっくりしてナースコールしました。陣痛を感じる間もなく9:57、そのまま子は産まれ出ました。17cm/103g/性別不詳の子でした。(陣痛はなかったけど、子が出たあとの胎盤取り出しが普通にとても痛かったです。)病院のスタッフが口々に「おめでとうございます」「がんばりましたね」と言ってくれます。子は、動いたりはしないけど、とってもピンク色であまり死を感じさせないビジュアルでした。正直子と対面するのはこわかったけど(看護師さんのメモにも「児に対する恐怖心あり」と書かれていた笑)、夫と一緒だから大丈夫でした。一人じゃないってとてもでかいです。
かわるがわるいろんな看護師さんが病室に来ますが、みんな揃いも揃って「おめでとうございます」と言います。無事にお産が済んでおめでとうというような意味なのだと思いますが、わたしはいい感じにその言葉に流されて「おめでたいことなんだ!」って思わされた感じがあって、悲しい雰囲気になることなく退院に至りました。もし仮に「ご愁傷様でした」と言われていたら、悲しいことなんだな・・・という思いを新たにしてしまいそうです。家族を亡くして悲嘆する人に対するケアをグリーフケアというそうですが、これにとても救われた気がしています。さらに、入院中の4日間夫が毎日来てくれた(入院付き添い、お見舞い、立ち会い出産、退院付き添い)ので、精神的にとても助かりました。こんなにありがたいことはないです。
退院の時、スタッフのみなさんがお見送りをしてくれました。その時に医師にいつから仕事に行っていいか聞いたところ「満12週以降の出産は8週間の産後休暇をとらないといけないことが法律で決まっています」と教えてくれました。あやうく2週間くらいで復帰してしまうところでした。
子の火葬には、夫方のご家族も遠方から駆けつけてくださいました。まだこの世に生まれてもいないのに、大人9人に見守られながら空に還るって、すごいじゃん!子!と思いました。わたしの地区の斎場の焼く人は火力調整が上手と聞いていましたが、うわさどおり、骨がきれいに残りました。斎場の人が「この仕事を27年やっているけど、この週数の胎児の骨がこんなに残るのは初めてです」と言ってくれてうれしかったです。みんなで骨拾いに熱中しました。なんかこういうささやかな“うれしい”がやたらあるのは、子からのプレゼントなのかなと思ってしまいます。
そんなこんなで子のいない産後休暇を過ごして、9月に仕事に復帰しました。もうそれから3か月も経って、自分が妊娠していたことがまぼろしのようです。色々な検査の結果明らかな原因はなく、不運な死産ということらしいので、前向きに進んでいきたいと思います。
そろそろ人生も次のステージに入ります。
この件に関する夫のnote
https://note.com/hunt_motto/n/n876a6b1cf527?sub_rt=share_pw
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