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黒歴史を抱え格闘家として生きてたぼくがビジネスで挑戦をする理由 - Vol.2 ヤンキー仲間と自由と責任

知られたくないので「封印してきた黒歴史」を今回、今の事業を行うまでの経緯、生い立ちから振り返えり書いてみる記事のVol2。

ビジネスのシステム・AI化に舵を切っておりますが、資金調達中のシードVC、すでにお付き合いあるエンジェル、これからエンジェルになってくれるであろう決済者の方々から、ストーリーやパーソナリティを知りたい要望。話すと意外と喜んでくれるので公開する決心をしました。

Summaryとしては以下で進行しています。

自分の土台や窮地の際の行動倫理原則は、これらが作ってくれたものだと認識することがあり、また根底の価値観としては結局幼少期から変わらないものもあります。

これらを紹介し、最終的には向かいたい世界への挑戦を宣言したいと思います。ご興味ある方は、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

今回は黒歴史のうちの一つの最も闇深いところ。単車と仲間と我が青春、やさぐれ仲間と一緒にいて気づいたこと。描いてみると意外と、今のビジネスのきっかけや今につながる価値観が散りばめられています。



少年、柔道に巡り合う

前回、上のVol1 まあまあ壮絶な家庭環境ということをお伝えしました。vs包丁が起こりうる家庭なので「強くなりたいなぁ」と漠然と憧れていたところから本日の話は始まります。

そんなこんなで、中学校で柔道をはじました。当時あまり食べてなかったので体重は中一でも30kg台の虚弱体質、貧弱野郎でした。

柔道部に入ると宣言したら、ガキ大将にバカにされました。中一の時は先輩に投げ飛ばされ宙に待ってる時間の方が長かったかもしれないレベル。

でも人徳者が多く、大好きな先輩たちでした。やっているうちに慣れてきて、家庭以外で珍しく楽しいことができた気がしました。

継続は力なり。中三では体重は60kgに対し、ベンチは60〜70くらいは上げれるようになり、県大会に出れるくらいにはなってきた感じでした。

学業の方はどうだったかというと

この頃、部活が楽しく、勉強はサボってた気がします。最小限で済ませよう、でもそれなりの点数取ろう、と意識してた記憶あります。

そのわりにはできた方な気はしていて、早稲田系とかは入れない(入るつもりもなかった)けど、中堅 〜偏差値が高めなところは合格範疇、くらいな偏差値でした。

柔道少年、意図せずヤンキー校入学

東京リベンジャーズ 集合絵 より


でも柔道がやりたくて、それが強い学校を選びました。結果、知らず知らずにヤンキー高校に入学してしまったのであります。ここが転機の一つです。

とにかく驚愕しました。例えばですが

  • クラスの1割は何かしらのギャングもしくは暴走族

  • 旧車が校庭を走る > 教師がそれを追いかける

  • 壁のスプレー書きが消される> 皆「黒板がきれいになった」的感覚  > またグラフティを描く > エンドレス3年間

最初はまじで後悔しました。こんな場所ってほんとにあるのか、と。

そしてヤンキーって何故か、当時イケメン多かったです。今と違い「ヤンキーかっこいい」風潮がまだ残る時代だったというのもあると思います。

柔道ストーリーの終幕、柔道なのに打撃戦

本能なんだろうね。

そのヤンキー学校の柔道部は、インターハイ選手も数人いて埼玉の中では常にベスト4くらいを占める位置の高校でした。

対して練習は非合理でした。一年生は人権がない典型的な昭和論。部活の更衣室とかにゴルフバットや木刀。それでのしばきが日常。

その中自分は、環境に適応できず、常に気分は落ち気味。今で言えばうつ病の類だと思います。ご飯食えなくなって、夜眠れず。試合エントリー66キロで、ちょい減量必要だった状態が、当日59kg。1週間で9kg痩せました。

確かに強いですが、先輩に人徳者ゼロ。練習が辛いっていうより「ああ、好きだった柔道が僕の中で消えていく」、そんな感じです。

結果、アホみたいな「しばき」の最中、生まれた家庭環境が災いしたのか、功を奏したのか。反撃してしまいます。結果「柔道部なのに打撃戦」を展開。

相手90kgの関東大会中位くらいの選手、対し自分は66kgの新参だったのでガッツリやられました。しかしながら、相手も面食らってた模様。

翌日、腫れた目で退部届を職員室へ提出。クラスでは「お前、ボクサーんなったん?w」と笑われました。これにて僕の柔道ストーリーは早くも終幕となったのでした。

生きがいがなくなった間際に現れたヤンキー仲間


テレビアニメ『東京リベンジャーズ』ティザービジュアル(C)和久井健・講談社

その後、思わぬ事で僕に解放の鐘が鳴り響きます。

「生き甲斐なくなっちゃったなぁ」という虚無感と共に、部活もせず地元に帰りました。そうすると中学の友達がギャング もしくは暴走族に。普通はスルーするのでしょうが高校でDQN耐性がついてたのも後押し、遊び仲間の一員に。

当時、駅前特定の場所は「溜まり場」になっていて、そこに行けばだいたい誰かがいました。よって僕の高校生活はあまり家に帰らず遊ぶがエンドレスの3年間。

ちょうど親代わりの祖父母の家に帰らなくなったタイミングもそれを後押ししたと思います。当時家庭は冒頭のリンクの通りなので、本音、極力家に帰りたくなかったのもあります。

抑圧から解放、自由と仲間とバイクを手に入れた自分

そして夜な夜な走り出す。いつの間にか僕も彼らとと共にバイク乗ってました。とにかく遊ぶのが好きでした。

愛車は前半戦が黒のCB400。ハンドル絞り鬼目、RPM管カスタム。

画像拝借。このモリワキがRPM管だったイメージ。


後半は白のXJR400。モリワキショート菅、レザーシートのプチ3段、エバハンカスタム。空冷だったので、音最高でした。

同じく画像拝借、近しいカスタム。これにレザーシートのイメージ

とはいいつつ、しょうもない事で警察沙汰や家族に迷惑をかけるの嫌なので、ちゃんとマフラーはJMCA規制内、免許も取り、慎ましく開始した記憶。

ここから一気にタガが外れていったように思います。

とにかく、狂ったように遊んだ

後ろは今の嫁・・

画像は、もはやネタ画像になってしまった実話マッドマックスさんの取材。チャンプロードもどこかで紙面に乗った記憶あるけど、画像ありませんでした。

知らない人に説明しますと、この2雑誌は、現代で絶滅したヤンキーがよく見ていた定番誌です。「遊び」に関しては20代前半までは狂ったくらい遊んだと思います。上の写真は20歳前半だった記憶。で、そのまま結婚したイメージです。

以後は欲求を発散してしまったのか、普通の人より遊んでないと思います。

余談:集団戦とそのリアル

紅絹先輩が東京リベンジャーズとコラボしてたので、ホイホイされたポスター。羨ましい・・

格闘技で出会った人は特に、一番気になるのここなんじゃないですかね。私のイメージどヤンキーに持たれてると思うのですが、その辺の回答です。

結論、ほとんど武勇伝ないです。浅倉みくるは毎度一人でタイマンしてたらしいですが。自分の思春期の半年〜クオーターに一回程度の「集団イベント」くらいです。(時効だと思うのでカミングアウト)

「集団イベント」とは1 vs 1ではなく、大体はフクロ、もしくは不意打ちです。やられる側となることもありましたし、やる側になることもありました。

そんな感じで何回も「数集めの招集」きた気がしますが、「一人でやれよ」と思ってたのが当時の本音です。結局皆「単騎実行」するだけの担力はなく「数を揃えなければ何もできない」ことを理解。

あまり好きにはなれませんでした。高校デビューが16歳だとしたら、その馬鹿らしさに、17歳くらいにはすでに暴力的なものと一線置いてたように思います。

尚、可愛い補導とかはありますが、犯罪歴、薬物歴、反社履歴ないので安心してください

極力回避してた一番の理由は、前途のように家庭が散々だったから。またバイオレンスかと。せっかく得た精神的な自由なので楽しいことしたかったです。

遊ぶうちに気づく、生まれながらに負う「同じ傷」

「その傷」はまるでマイキーの「黒い衝動」の如く心を塗りつぶす。
東京リベンジャーズ(C)和久井健・講談社

さて、ここからが今回のお話の核心かなと思います。結局、僕らは巡り会うべくして巡り合った仲間ということに遊ぶうちに気づきます。

抑圧から解放された僕は、前途のように、とにかく仲間と遊ぶのが好きでした。

例えば、バイクで走って、事故って血まみれになって、それでも笑って。ナンパして、 誰かの家が溜まり場になっていて、家には帰らず朝まで飲んで。

本当、よく笑いました。気丈に振る舞う皆。その反面、気づいたことが一つありました。

その「傷」とは同じような家庭環境、満たされないココロ

この仲間たちは共通点がありました。具体的には「親」が以下の3パターンです。

  1. 子供に興味がない(ネグレクト、裕福だけどサイコパスなど)

  2. 片親

  3. 家庭内暴力

共通点としては、みんな多分親に余裕がなかったか、愛がなかったか。自分のみがそうかと思ったらそうじゃなかった。

きっかけは結論、生まれて一番身近にある人の接し方や愛情の可視化や言語化のなさです。その環境化にある子供の「飢えの衝動」が思春期モラトリアムにて、どうしようもない荒れを産む。これを精神的な抑圧に対する「闘争・逃走」反応というそうです。

参考の一つにケーキの切れない非行少年たちという本があります。

刑務所の中にいる少年の厚生を専門とした方の経験が綴ってある本

全く、同じことが述べられていました。興味があれば面白いので読んでみるといいかもしれません。

同じもの同士が集うことで自らを、仲間を救った

STAND BY ME。こんな感じだったかな。
東京リベンジャーズ(C)和久井健・講談社

もう一つの気づきとしては「必然的にコミュニティは生成された」ということです。同じバックグラウンドを持つ同士が、外部で、お互いがお互いを支え合う居場所。コミュニティの本懐とはそこなのでしょう。

それも「考えて作る」でなくて「本能的にできる」。でないとみんな壊れてしまう。仲間の誰に伝えることもなかったけど僕はそう解釈しながら彼らと遊んでた気はします。

僕自身も当時「コミュニティ」は心の支えでした。しかしどこか悲しみも含んでいました。以後は許されない、もう戻れないんだ、とは心のどこかで理解してた気はします。

彼らは「バブルの価値観」の間接的な犠牲者

彼らの親は総じてこんな感じ

続いて半確信的に感じていたのは「彼らの親」も日本失われた30年における文化の犠牲者な気がしてなりませんでした。そして「彼ら」は間接的な犠牲者です。

高度経済成長期の日本は一つの会社で働き続けることが美徳。例えば、ルールを遵守するものは正義。和を乱すは敵。大学に行けた人は、高学歴高収入=偉い=正解。それ以外は負け組。

というステレオタイプが常識だったと思います。

余裕がない親

そんなのに疲れている親は多そうでした。自らの意見は殺され、自尊心が育まれる環境でない。また過度の労働時間も影響していると思います。

彼らの親も、自分の親も、やりたくてネグレクトや家庭内暴力しているわけではないのでした。

全員に共通してるのは「余裕がない」のです。よって子供に目を向けれない。その次世代に思考や文化に影響を与えてしまう。結果、子供の荒れを生むという経緯ですね。

誰かがもう少し、優しくしていれば

ブラックラグーン第3巻にこんな名場面があります。

狂ってしまって殺人を繰り返す双子たち「ヘンゼルとグレーテル」がいました。双子達が殺人鬼になってしまった理由、それは幼児期からポルノ屋に預けられ性の捌け口となっていた為。

戦いに決着がつく間際、主人公のロックはそれを知り、涙し激怒します。それに対してベニーはクールに助言をしました。

「誰か」が少し優しくすればこうはならなかった。だから、この話はここでお終いなんだ
ブラックラグーン3巻 双子編 終盤

子供達においても上に同様です。親が1日5分でも子供と目を合わせようと思いやれば、子供達はこうはならなかった。

そんな親達も、誰かの救いが必要だったのでしょう。本来、親自身が気づくべきなのでしょうが、個の努力では無理なのではと思いました。認識力と精神的な余裕、という観点で。

果たして、誰か彼らに手を差し伸べたのでしょうか?  

そのだれか、は国なのか、勤めてる会社なのか、隣人なのかはわかりません。判るのは、何かしら仕組みで救う必要があるのではと個人的には感じていました。

ヤンキー活動で理解したこと、今に生きてること

さて最後に。今どう生きているかまとめます。描いていて、以外と繋がっていました。

1:(継続)メタ認知 - 判断へ

黄昏るマイキー 東京リベンジャーズ(C)和久井健・講談社

これは家庭環境と祖父母に育てられたVol1からの引き続きの思考だと思います。周りの「空気感」に左右されない思考だったとは思います。

企業でもいえますが、特定の意思決定や鼓舞をする時、理由を提示しアクションします。それに人は共感します。乱闘前もそうでした。

しかしながらそれは正しいか?結果どうなるか? との思考はいつもあった気がします。例えば、中世キリスト教は「天動説」唱えていました。

異端審問会の絵

ガリレオ・ガリレイが、天動説を斥け、地動説を支持し宗教裁判にかけられ、異端誓絶を強要された後、「それでも地球は動いている」と呟いたのは有名な話かと思います。「地動説」をさらに複数回唱えたジョルダーノはキリスト教に火炙りで処刑されました。

ケースは違えど、「そんなわけないやろ」と思いながら、集団の中で自分だけ俯瞰して行動しし被弾しなかったのは多かったかもしれません。僕は中世ヨーロッパでは真っ先に処刑されている人間かと思います。

2:かもしれない想像力と現在バイアスに陥らない危険回避

上の、回避能力はこの頃から備わっていたように思います。言い方を変えると教習所で教わる「かもしれない運転」と全く一緒ですね。

例えばモメゴトでも「一線越え」も何人か。対して自分は非参加、同日回避などありました。チキンで笑われました。

皆共通してたのは「現状はどう推察できるか、それを踏まえた上、この行動したら以後どうなるか」という基本的な思考ができないもんなんだな、とは常々感じていました。

人は現在が平気だと、以後も平気と思う心理的バイアスがあるそうです。これを「現在バイアス」と言います。

引用:https://it-counselor.net/psychology-terms/present-bias#toc1

ビジネスの中では特にそれが多い印象があり、生きている気はします。

例えば、基幹システムとか、ビジネスチャットのメリット全く活用できていない仕事の進め方、昭和から引き継ぐ業界文化。でも先延ばし。

「当たり前」すぎて気づかないらしいですが、ふと違和感を感じてしまう。

この業界は、会社は堕ちる、この部署潰れる、この会社は上がっていく、などふと予期した推察が現実になったことは一定数あります。だから自分の身の振り方はこうしよう、と。

でも発言当時って誰も信じてくれず「異端審問会」みたいになるんですよね。なぜなら「現在バイアス」があるので。

3:自由/権限/責任は対 - 筋を通さない人は訪れる大精算

自由を実行するものほど、責任は必要だということを理解しました。

極端な例ですが、刑務所行きを理解してそれでもなお実行するか、何も理解せず刑務所行きかの2パターンに分かれました。

前提、どちらも結論ダメな奴ですが、こと後者はとことん救えませんでした。(すぐ出てきてしまいますので刑法もうちょっと重くした方がいいと思います)

対して前者の「ガチ」は報連相できる人が多いです。なぜならば筋を破ったらば粛清の結末の為、課せられた責任を全うする必要があるからです。後者の約束を軽んじたり、バックれたりする人は「信頼の大精算」となるのを横目で見ていました。

結果は身に余る自由を謳歌したが故の、当然の責任なんですけどね。その覚悟がない奴が多かったです。例外なくいつの日かそうなります。

現在でも自由に対する責任は大事にしている気がします。昔こういう環境にいた人の方もビジネスマンで成り上がっているの一定数いる印象です。この責任を全うしようとするメンタルも一因としてあるんじゃないですかね。

尚、VCが確約しているのに直前のバックれって結構多いんですよね。友人経由ですでに3つ、自らも直近1つ経験しています。特にシードVCは軽んじてる印象。聞く限り複数人から恨まれてる人も。

しかしながら過去の自分の経験と照らし合わせると「大精算」がくる気はしています。現代の半グレはフィリピンやシンガポールから指示して、ハニートラップ、探偵、盗聴器など、なんでもやりますからね。

ガキの遊びじゃないんだから、洒落にならない結末になると思うけどな、とは思ってます。あるいはすでに水面化で起きているかもしれませんね。

4:共感できる仲間との場所、第二の繋がりは人を救う

そして一番繋がっているのはここかと思います。

東京リベンジャーズ(C)和久井健・講談社

まだ「やさぐれリアルコミュニティ」があった時代だったのは幸いだと考えています。抑圧を発散できたので。それがなければ僕が取った行動は逃走でしょう。

それとは別に、部活を辞めても、地元警察署の夜にやる柔道会には参加してました。よってやさぐれとも、警官とも仲良しという不思議な感じ。30代の先輩も多く、何かあれば相談できる関係もありました。

このように常に居場所は探してた気がします。そう行動していた背景は、価値観など一回フラグ付されてしまえば取れませんし、自分がいる場所が違えば全部判断基準は違うためです。

例えば、ネグレクト家庭、例えば学校、例えば部活、例えばヤンキー。全部評価は違います。以後の仕事でも同じく。会社間の文化や評価軸は全く違い、同じことをしても片方で絶賛され、片方ではボロクソ評価ということはよくある。

これらの経験からわかることは万人に共感されるなど無理なのですよ。裏を返せば縛られる必要はないということです。たとえそれが自分の家庭でも。

統括するならば、お互いに感謝し、感謝される、適した場所に身を置けばよし。よって「場所を変える」ないしは「共感する者のみで空間を作り出す」ことが自分も他人も救うと考えていました。

今でもそう考えています。この辺は今の法人のDark、及びExperienceの源泉です。さしづめ「居場所など自分で作ってしまえ」というイメージでしょうか。

ささやかに終わるヤンキー生活

その後何事もなくドロップアウトしました。

専門学校にいくと「ヤンキーってダサい、かっこわるい」というごく一般的な価値観を理解。かつ後述の格闘技にて18歳くらいにはデビューしていました。

時間の密度は上がっていました。結果、彼らとの会話が合わなくなってきたので自然と接点は消えていきました。

こう見ると結論ヤンキーになりきれてないですね。さしづめ闇夜と夕焼けが入り混じる「黄昏時」から闇を俯瞰していたイメージでしょうか。片足突っ込んだくらい?

我が家の前、田園風景

黄昏時から引き戻したのは、前途のじいちゃんばあちゃんの愛があるからでしょう。

対してそれがあったから今があるのも事実。飲み会でオール後の朝焼け、田んぼの前で語った皆、元気にしてるかな。今でも時々思い返します。

以上、ヤンキー活動と仲間から得たことでした。次回、VO3:格闘技で得たものへと続きます。よろしくお願い致します。




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