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納骨はできません

事件が起きたのが2020年3月14日。
私が医者を押し切って退院したのが同年4月10日。
娘が死んでから初めての月命日と言うものを、自宅で妻と迎えた。
何をしたのか、全く記憶がない。
四十九日はどうする?お位牌は?お墓は?納骨は?
そんな事を混乱の中、妻と話し、その度に揉めに揉めたのは覚えている。

四十九日なんてどうでも良い。
位牌、そんなものはいらない。
墓?
納骨?出来るわけがない。

その様なしきたりを守らねばならないのではないかと生真面目に混乱する妻に、これらを吐き捨てる様に言い放ち、怒鳴り散らした記憶がある。

今も、お墓はどこにあるのか?と聞かれる事がある。
その度に、納骨はしていません。と答える。

リビングにある白い骨箱に入っている娘の骨を、娘だと思っている訳ではない。
そこに魂が居るとか、そんな事も思っていない。
しかし、納骨など、到底できない。

娘の部屋は3年経つ今も当時のままだ。
カレンダーも2020年のまま。
何一つ整理などできない。

どうして、納骨などできようか。
一度も法要の様な事もしていない。
娘の死をその様な儀式の流れに乗せたくない。

それだと成仏できないなどど言う人がいたら、「うるせえな、黙れ」と言うと思う。

お知り合いになった子を失ったご遺族の話を聞くと、多くのご遺族が子を納骨出来ていない。
納骨していても、自宅から見える場所にお墓があるとか、とにかく離れるわけには行かないという気持ちは皆さん一様に強い。

死別から20年以上を経て、たまに骨箱を開ける様になったと言う母親の話も聞く。

妻が遺骨ブレスレットを作ると言い、決死の思いで小さな骨箱を開けた事を覚えている。
ついに、私は娘の骨を正視する事は出来なかった。
妻は号泣しながら、ブレスレットにしてもらう骨を取り出していた。
傍目には骨と分からない、粉末の様になっていたのが、視界に入って来て目を背けたのを覚えている。

そのブレスレットは、妻と、妻の母と私の母の腕にある。




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