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逆縁

自身が小2ぐらいの頃だったか、祖父が眠る墓に出かけ、普段は仏壇で2本しか焚く事ができない線香を墓石の前で二束まとめてボンボン焚く様子に、ワクワクしたのを記憶している。
墓参りの締めは墓石にビールをかける事であった。
たまに孫代表としてビールかけの役目を許された。
普段はさわれないビール缶を握り、思う存分墓石のてっぺんからビールをかける。
墓石にビールの泡がしみて行く様を、今も覚えている。

「じいちゃんも喜びなすっとろう。」

祖母や親せきの大人などに笑顔を向けられ、子供心に得意満面になっていた。
その時は本当にじいちゃんは喜んでいると思っていた。

父方の祖父、母方の曾祖母、母方の祖父、母方の祖母、4人の葬式に出た。
4人の遺体を見た。

次に見た遺体が娘だった。

ICUで車椅子に乗る練習をして出た葬式。
動いているモノ、人、何もかもが無機質な風景の中に、娘の棺はあった。

その後は、いわゆる仏事の一切を拒否した。
そうした決まり事の流れに一切乗せようとしない居心地の悪さを露骨に醸し出す私の親に対して、有無を言わせない様にした。
そして、その類の話を私の前でする事はご法度となった。

カウンセリングの際に精神科医に記念日反応の事を教わり、それはこうした事に遭ってしまった全ての方が経験する事ですと、暗に心の準備を促された。

今日娘は15歳になった。

体内時計はあるのだと思った。
日付が変わった頃、表現できない気持ちに襲われた。
妻の前では泣きたくないので、自室にこもった。

ボーっと仕事机にある娘の写真を見て、無造作に置いてある腕時計を見たら、日付が13に変わっていた。

子を失った親が、SNSなどにバースデーケーキの写真をのせる。
これは極めて自然な行為である。
そう、今はわかる。

勝手な想像だが、「お誕生日おめでとう」と言って欲しいわけではない気がする。
忘れないで欲しい、とも少し違う。

子供の誕生日が来た、だからケーキを買って、誕生日を祝う。

そうしたいし、それが自然だと感じるからする。

そういう事なのではないかと思う。
何か、意味付けをされる事は拒みたい。
自分自身も意味がよく分かっていないからだ。

記念日反応とやらは起きる。

なぜ誕生日に本人がいないのか、なぜあの時助けてやれなかったのか、なぜあの時間にあの場にいさせたのか。

日付が変わっても何も変わらない。
現実は何も変わらない。

逆縁とはそういうものではないか。



雑な感じですがこれが我が家のスタンダードでした



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