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現実的にはまずは自民党に訴える他にない

2023年8月31日 13時から、自民党本部7階で行われる交通安全対策特別委員会の会議に招かれた。
10分の持ち時間で被害者遺族としての意見を発言して欲しいとのリクエストであった。


7月に高速暴走•危険運転被害者の会に参加したが、私の自民党国会議員へのアプローチは、会とは別の、私個人の訴えである。

※高速暴走・危険運転被害者の会は、制御困難な高速度で走行して起きた事件について、「法の運用の見直しを図る」 ことを目的としており、法改正も視野に入れた訴えについては、一切目的としていない会であることを念のために記載しておく。(2023年12月時点)

※その後2024年1月に高速暴走・危険運転被害者の会は退会した。(法改正の動きに注力するため)



前回2023年4月5日の自民党本部での発言の持ち時間は5分であった。
その時の事は下記のnoteに書いた。


今回は前回と違い原稿を準備して出かけたが、会議では用意されたタブレット端末を操作しながら話せねばならなかった。
話し始めて2分くらいだろうか、不器用な私はタブレット端末の操作と原稿読み上げを同時に行うリズムを狂わせ、途中からは原稿を見ずに話さざるを得なくなった。

お世話になっている平沢勝栄議員がチラチラと私を見るのが分かって、変な内容の話しぶりになっていないかと焦りはしたが、大体準備した内容に沿って話が出来たはずだ。

今回もヒアリングのみで終わりだろうと、ある種の悲観的な予防線を張っていたが、会議は予想外に白熱し、この問題は与党自民党が動かねばダメだとベテラン議員の先生が口々に発言し始め、プロジェクトチームを立ち上げが急転直下で決まった。

どの程度この問題の検証を真剣に行って頂けるのか?
半信半疑な部分が無い訳ではない。
しかし、私が仕込み続けて来た事が、思ったより早く具体的に動き始めた。

娘が生き返る訳ではない。
取り返しがつく訳ではない。
だから、虚しさが無い訳ではない。

しかし、やはりこの事を座視するわけには行かないのである。

以下は準備していた原稿からの抜粋である。




私が今日ここでお話をさせて頂くのは、娘に起きた事、その両親である私達に起きた事の痛ましさを殊更に訴えたい訳ではありません。
今日、ここでお話したいのは、「こうした事が実際に起きています。」とその一つの具体的な事実から問題提起をさせて頂きたいと言うことです。

自民党の交通安全対策特別委員会提出資料より

警察は危険運転でやりたかった、しかし検察に押し返された。

ある若手の捜査員は我々夫婦の前で、泣きながら、この様な現実を変えられるのはご両親しかいないと悔しがりました。その方も幼い女の子の父親だと言う事でした。

では、ここで我々がどうする事もできないと諦めてしまえばどうなっていたか?この事件は淡々と過失犯で処理が進んでいた事は間違いありません。

過失犯であろうが、故意犯であろうが、娘は生き返る訳ではありません。

しかし、この様な形で娘の命を奪われて、それを過失犯だと言われる事など、到底納得できるはずもありません。

この様な悪質性をもって子供を殺されれば、親にとって被告を如何に厳罰に問うかは、絶対に負けるわけには行かない勝負です。

なぜ、検察は故意犯に問わないのだ?危険運転に問わないのだと、私は必死で抵抗しました。

何もしなかったら過失犯での起訴であった。
過失犯は故意犯より刑罰が軽い。
場合によっては執行猶予付きの判決が出る可能性もある。

何もしない訳には行かないから、私は必死になりました。
そして、そこに書いてある様な判決が出ました。

先ほども申し上げました通り、これは多くの事案のうちの一つの具体例です。

次のページに簡単なイメージを記載しました。

自民党の交通安全対策特別委員会提出資料より

本来であれば、より法定刑が重い故意犯である危険運転に問えたかもしれない、もっと重い刑を被告に課す事ができたかもしれない。
その様に悔しい思いをされている遺族が全国に沢山います。

遺族は思います。
警察が手抜きをしたのではないか?
検察が適当にしか検討していないのではないか?

この様な、不審と恨みの関係が図で示したような対立軸ではびこってしまうのです。

しかし、警察も検察も皆さん仕事でやっている事です。
現場は人間が実務をやっているのです。
警察、検察、裁判所、個人プレーが許される組織ではないでしょう。
組織で動いています。

警察が捜査し、検察が起訴し、裁判所が判断する。
被告弁護人も必死で争ってきます。
一人一人が何が正義と感じるか?
被害者の思いにどの様に答えるべきと考えるか?
それぞれの思いには幅がある事です。
だから、法律があり、各組織はその法律に照らして仕事をしている。
その結果、社会が公正妥当だと考える正義が守られる。
それがあるべき姿のはずです。

しかし、私自身が体験した事から考えると、現状はその様にワークしていないのではないかと思うのです。

その結果、遺族は悔しさにのたうち回り、現場で仕事をする人達もそれぞれに苦しい実務を強いられる。
そうした事が静かに放置されているのではないかと思うのです。

そこで、その事について包括的な検証が必要ではないか?
公正妥当な正義が実現していない実態があるのではないか?
こうした点検が必要ではないか?という問題提起をさせて頂きたいのです。

警察と被害者、検察と被害者という単一的な対立軸ではなく、それら全てを包む全体のバランスの検証が必要だと考えるわけです。

次のページに具体的なポイントを挙げさせて頂きました。

1.危険運転致死傷罪の創設(2001年)から20年超を経て、その現状(問題点)について然るべき再検証を行う必要があると考えます。
① 条文の表現が曖昧
「正常な運転が困難な状態」「進行を制御することが困難な高速度」「赤信号を殊更に無視」等
②  条文が曖昧だから立証が困難⇒捜査上(警察・検察)も困る⇒危険運転の適用漏れが多発⇒知見が溜まらない⇒士気が落ちる 悪循環
③  現状の点検⇒すり合わせ⇒磨き

2.氷山の一角にすらスポットが当たらない現状
①  交通事故は「全て」運が悪かった、悲劇に巻き込まれたと言うバイアス。
②  否認した者は許されて,自白した者だけが処罰されるという事が実際に起きている。
③  飲酒、故意の赤無視、一般道時速194㎞等で人を殺めても、あわよくば過失犯となり執行猶予にさえなる現実が放置されている。

*故意犯に問う事を訴えるカード(人・モノ・カネ)が揃う遺族は圧倒的に少ない。
人=支援者、弁護士等 モノ=科学的な証拠、報道による支援 カネ=報酬等
*人知れず泣いている人は少くないはず。

被害者遺族である私も行動しています。国会議員の先生方にも真剣に向き合って頂きたい。
①  現場(警察、検察)における好事例の共有拡散推進
②  法の矛盾への点検と考察⇒抜本的かつ現場の実務部隊目線での点検が不可欠



導入資料の一つ目はこの様な内容であった。
10分と言う制限時間の中で、8分ぐらいは使ってしまっただろう。
トータルでは12分前後話していたらしい。

さて、どうなるのか。
不安と期待は入り混じっている。


大分合同新聞2023年9月1日朝刊


そしてキックオフ。


12月19日

自民党PT提言提出に同席
松村国家公安委員長に面会

12月20日

小泉法務大臣に面会


岸田総理大臣に面会

整ったはず。


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