誰かの当たり前になるということ。
年末は、和牛の解散。
最近は、プラスマイナスの解散。
そして、昨日、尼神インターの解散。
寂しい。
ファンとして寂しい。
好きな漫才師だった。
やっぱり寂しい。
寂しいし、ちょっと悔しい。
*
「さて、みなさん。」
で、関西ではお馴染みのラジオ番組「ありがとう浜村淳」。毎日放送、通称MBSで50年続いているレジェンド番組である。
半世紀もの間、月曜日から土曜日の早朝から生放送しているラジオ。メインパーソナリティの浜村淳は89歳、優しく愛嬌のある京都弁で浜村節を呼ばれる心地の良い調子を毎朝お茶の間に届けてくれる。
そんなレジェンド番組の平日放送が本日、幕を閉じた。(※土曜日は継続)
番組の終了、それすなわち当たり前の朝が変わる。
仕事場では、いつもMBSラジオが流れている。仕事を始めた20代の頃からラジオを聴くようになり、車内でも基本的にMBSを聴いている。
平日の朝、仕事場に着くと当たり前のように流れていた浜村さんの声。それがなくなる。
私のようなMBSラジオリスナーとしては、大事件である。
当たり前が変わっていく。
これは、10年前、「いいとも」がなくなったときとかぶる。
あのときも寂しかった。
お昼の当たり前がなくなったから。
けど、どうやら時代とは、そういうものなんだろうなとも思う。なんでも移り変わりなんだなぁ、と勝手にセンチメンタルな気持ちになる。
*
浜村さんの声、節、色。
優しい京都弁が好きだ。
当たり前に聞こえてくる声が好きだ。
人の当たり前を作る。
当たり前を届ける。
毎日、変わらずに淡々と。
「続ける」ってのは、1番地味かもしれない。
けど、1番難しい。
そして、尊い。
唯一無二になりうる。
最後の最後でも特別なことはせず、いつも通りに番組を終える浜村さん。引き際までイケメン。さすがレジェンドだなぁと思った。
淡々と、粛々と。
変わるところと変わらないところ。
変えるところと変えないところ。
長く続く。
誰かの当たり前になる。
35歳の若造が何言ってんねんって話です。
生意気なことを言うようですが、私も浜村さんみたいなカッコイイ仕事ができる歳の取り方、日々の過ごし方をせねばなぁと思いました。
浜村さん、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
・こぼれ話
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