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[CRYAMY全曲考察]#4

「#4」
2022年4月20日リリース。

#4

・はじめに

満を持してリリースされた1st full albumから約一年越しに発売された一枚であり、「CRYAMYの歴史の中でも重要な意味を持つナンバリングタイトル」と各所で称されている通り、「#シリーズ」四作目となる今作。
前作リリースツアーファイナルとその追加公演ワンマンでのライブでの発言からはっきりと見られたカワノさん自身の揺らぎや不穏な空気と、リリース後に公開された音楽雑誌でのカワノさんやメンバーのインタビューからもうかがえる通り、かなりの苦難を乗り越えてのリリースとなったことがうかがえます。

僕自身、CRYAMYは今後どうなってしまうのか、そして、今作がリリースされるまで、いったいどのような作品になるのか、と、変に緊張をしながらCDショップで今作を手にとって、自宅のPCで曲を取り込んで一曲目を再生しました。「マリア」から「待月」までの7曲30分弱、本当にこれまでにないほどに緊張しながら、息をのんで、歌詞カードを見ながら一曲一曲を聴いていきました。長くなってしまうと思いますが、なるべくその緊張や僕自身感じたことをこれ以降の考察で記していければ、と思っています。

ジャケットは緑と白を基調とした抽象的な写真になっています。ナンバリングタイトルのジャケットはこれまでどれも抽象的かつ、明確にテーマカラーが定められていますね。「#2」の赤、「#3」の黄色(黄金?)、そして「#4」は緑でしょうか。今作からタイトルの文字がしゃれた印象になっていて、これまでの特徴はとらえながらも非常に洗練された方向へとデザインが進歩しているように思われます。

CD全体を通してのテイストとしては、混乱を極めていたであろうと想像できるバンドの内情とは反して、今作は各楽曲がどれも4分以内にまとめられていて、構成もどれも王道の展開のコンパクトなポップソング集、という印象です。とはいえ、アレンジはどれも「新機軸」を思わせる発展を遂げていて新鮮なものが多いです。
「スカマ」のようなポストパンク的アプローチや「悲しいロック」のニューウェーブっぽいギターの旋律などはこれまでのCRYAMYらしいものを発展させたものもあるんですが、個人的には概して楽曲のヘビーさが増した印象です。今作でいうと「E.B.T.R」や「待月」のようなハードコアを思わせる楽曲の増加も見逃せません。

加えて忘れてはいけないのがそのサウンドの変化です。これまでのCRYAMYの過剰にノイジーで暴力的な音像、というイメージを更新する仕上がりになっています。これまでの特徴は残しつつも、楽器一つ一つのコンプ感は薄れ、音を加工して空間を埋めるというよりは、録音した音をそのまんま出しているような臨場感にあふれています。
特にドラムの音は非常に乾いていて生々しいです。ギターも概して輪郭を保ったまま歪んでいますね。ノイズや爆音ギターで埋め尽くされ歪んでいた以前よりもより余白があるようなミキシングがなされた作品だと言えるかもしれません。わかりやすく言うなら、よりシンプルになりました。逆を言えば、より歌が際立ったCDであるといえるでしょう。
カワノさん自身、今作を作成する際のコンセプトをいくつか挙げていましたが、僕がよく覚えているのがインスタライブで「とにかく生々しさを求めた」というようなことを言っていたことです。関連して、インタビューでは「ストゥージーズからfugaziへ」という発言もあって、「混とんとして暴力的なパンクからソリッドで有機的なパンクへの変遷」を目指しての発言なのかなぁと、個人的には納得しました。カワノさんなりの「生々しさ」の解釈が、今作のサウンドスケープへ反映されているのだと思います。

ただ、そことは真逆に歌詞は、より鋭利に、より過激に、より深くなっています。「#3」から抽象的な表現が減少した、と前回の記事で僕は分析していましたが、今作はより具体的で、かつ平然と残酷な表現を用いたり、ある事柄をはっきりと断言していたりと、インパクトはこれまでの作品と比べても歴代一と言っていいと思います。まともに聴いていると胸が痛んでくるほどです。サウンドに余裕と余白が生まれたからこそボーカルが聴き取りやすくなっているというのも一つの要素かもしれません。
個人的には、絶望を正確にとらえて安易に表現せず、希望も照れや恥ずかしさなくまっすぐに奏でてきたカワノさんの歌詞はこれまでと変わらず徹底されていますが、今作からそこに加わったと感じたのは、歌詞のベクトルが外に向いていようが内に向いていようがを問わず、カワノさん自身が抱いていると思われる「破滅願望」や「バンドや自分の人生を台無しにしてやろうという姿勢」です。随所に「終わり」や「破壊」、「死」などの要素を感じさせる言葉選びをしています。リリース前のライブでも感じ取れたカワノさん自身の揺らぎはここに集約され、また、作曲者本人の死生観や矜持を暗に明確にした詩のいくつかは、歌詞の面でも生々しくこちらに迫ってきます。

突如宣言された「第二期CRYAMY」の幕開けとして、または彼らの新たな代表作となっていくであろう今作は、間違いなくこのバンドの歴史でも重要な意味を持つ一枚になることが予感されます。それと同時に、今作で見られたサウンドや歌詞の変貌がよりはっきりとみられる作品になっていて、現在の日本語ロックのシーンにおいて孤高かつ異端のバンドであるCRYAMYが今後どのような進化を見せるのか、このシンプルなポップソング7曲がその起点ともなりうるものだと思っています。

1.マリア

「ヴァース」

「#4」の口火を切るのは速いテンポのとてつもなくシンプルなスリーコードパンクの「マリア」。イントロを挟まず歌から楽曲がスタートする構成はCRYAMYにしては非常に珍しいですね。
Aメロの中で静と動を繰り返す構造で揺さぶってくる展開の中で歌われているのは

生ゴミを詰めたビニール袋の中身のような人間の生涯に

マリア

と、第一声から強烈な自己否定を持って楽曲の口火を切ります。冷静に読むとギャグみたいで笑ってしまうほどに乱暴で投げやりなセンスを持って書かれていますが、不思議なものでCRYAMYの楽曲、カワノさんの歌でこれを聴くと一気に重みが増します。
以前、CRYAMYのことを書いてらっしゃるあるブログの記事を読んでいてすごく納得した表現なのですが、「ボーカルに謎の説得力」という文言がありました。当時はまだ「crybaby」リリースぐらいのタイミングだったと記憶しているのですが、まだそこまでの数の楽曲を発表していない時期から(もちろんライブでの迫力など込みで、ですが。)妙に納得してしまったことを覚えています。
カワノさんってこういう自己否定のために用いるワードセンスが結構過激かつ独特な方だと思ってるんですけど、これって彼自身としては本気で心の底から言ってるのか、それともユーモアやギャグのつもりで言ってるのか、いったいどっちなんでしょうか…。すごく気になります。どっちも半々で言ってそうな気がしますね…。

しかし、そんな人生に対しても「キスをしてくれた」存在(マリア)がこの楽曲の主人公にもいた、ということを示すAメロを経てつづられるBメロでは

マリア あなたは世界で一番の詐欺師らしいけど

マリア

と、その存在を「偽善」「偽装」だと断じてしまっています。この前段階での「嘘を見抜く」という表現と、見破りながらもそれに「うなづく」という描写から、それすらも織り込んだうえで

愛してるよ あなたしかいないんだよ

マリア

と縋り付いています。この間、まだ三十秒足らずです。マジで詞の一つ一つに無駄がなく、そのどれもが強烈です…。速く、短く、簡潔、のパンクの三原則が守られたシンプルなロックナンバーにあるまじき詳細な描写力です。僕は一曲目の「マリア」が今作で一番好きな楽曲なのですが、同じ方も多いのではないでしょうか。しょっぱなからカワノさんの歌詞の次元が一つ上がったことをまざまざと見せつけられます。

「サビ」

だから精いっぱいの精一杯で私を助けて

マリア

カワノさん特有のシンプルかつ強烈なシャウティングを伴ったサビのメロディです。セオリー無視の破壊的なメロディも、CRYAMYの楽曲としてはもはや王道とすら思えますね。
そして、この歌詞とメロディの切実さは圧倒的です。音源ですら少し音程を外し気味な、泣き叫ぶような声色で歌われているカワノさんの歌声にも胸を打たれますし、ライブだとより喉を焼くようなささくれだったシャウトなんですけど、異常なまでに迫力があります。

そして個人的に非常に驚くべきは、「助けて」と明確に声に出している点です。カワノさんは先ほども述べたとおり、明るいことも暗いこともどちらも躱さず真っ向から歌いきる歌詞を書く力のある人ですが、自分自身が進んで何かに助けを求めたりする歌詞が出てくることって実はこれまでの楽曲で一個もありません。
この「マリア」という楽曲ではじめて「助けて」という表現がなされていることは、実は見逃せないポイントだと思っています。し、そんな楽曲を絶対何かの意図があって、一曲目に配置したことは明確です。
残念ながら音源ではその全貌はつかめなかったので、今作のツアー(僕は初日とファイナルにしか行けませんが。)で何か語られることを期待しています。
でも、そんなこと抜きに、このメロディの持つ圧倒的な迫力とか、何物も寄せ付けない深刻な叫びとか、この短くて速いきわめてシンプルな楽曲を名曲たらしめている要因はこのCDの中でも圧倒的な特筆点と言えると思っています。

「間奏~ヴァース2」

ブレイクを挟んで短い間奏とメロディが入ります。

安定と不変の両方を欲張った

マリア

こちらは楽曲中の「マリア」の正体をつかむことで解釈の仕方が分かれる部分かと思われます。カワノさんはインタビューにて、この「マリア」という楽曲のテーマとして「自己と音楽」というスタンスを語ってらっしゃいました。おそらく、「マリア」とはカワノさん自身が癒しを求めて摂取してきた音楽たちの偶像なのだと推測できます。
そして、インタビューでも言及されていましたが、「マリア」は転じて、「カワノさん自身が作り上げた音楽たち」というとらえ方もできます。「安定」と「普遍」を並べて、それをどちらも欲張った(しかしどちらも果たすことができなかった?)というこの歌詞は、「作曲における苦悩」を示しているとも取れます。
これまでの流れをくんで、過去の自分を演じることで「安定」をすれば「普遍」は失われるし、変化をしてでも「普遍」を描き切ろうとすれば今の「安定」は損なわれてしまう…、という、まさに彼らの「第一期」と「第二期」のせめぎあいを簡潔に示した一文だ、と個人的には解釈しました。
歌詞性も音楽性も徹底して貫かれたものがありますし、個人的にはCRYAMYのこの変化は歓迎すべきものなのですが、その中で生まれた葛藤も彼らの中にはあったのだろうと思います。冒頭で述べていますが、歌詞の面でより「終末感」をほのめかす語句が増えたのも、その葛藤や、最終的な開き直りからなのではないでしょうか。CRYAMYのキャリアが果たしてどこまで続くものなのか、そもそももう終わりが近いのか…すこし心配になるほどなんですが、その終わりの瞬間まで、僕は彼らの活動を追っていきたい、と今、改めて思いました…。

間奏後に再びBメロへ。ここで特筆すべきは、

今からお前にすべて打ち明けよう 俺の正体を
そしたら君とは長い間しばらくお別れだ

マリア

この歌詞。これ、読みようによっては、カワノさん自身のやっている音楽や歌詞すら一番で述べた「偽善」「偽装」だよ、とリスナーに言い切っているとも読めるんですね。おそらく長い時間をかけて、ともすれば自分を削って(自分を削る、という点においては、カワノさんを超える作曲家は数えるほどしかいないでしょう。それほどの作品を作られている作詞家だと思います。)をさらっと断言できるあたり、やはりカワノさんは正気ではないですし、異常な作曲家だと改めて突き付けられた気分です。
関連して、カワノさんは先日のリキッドルームワンマンでのMCで、「皆さんをだましてでも俺の楽曲で救う」と宣言されていました。これも本心から来たものなんでしょうし、そう宣言することで彼らの楽曲はより説得力を増してリスナーに突き刺さってくるのですが、果たしてこれを宣告する作曲者当人の心の中はどのようなものなんでしょうか。自分が身を削って出したものを、結局は「嘘だ」と言い切ってしまうということですから…。現地でライブを見たときは思わずしびれた一言でしたが、今作を聴いてから思い返すと、とても悲しい言葉だったのでは…と、今では思えてしまいます…。ここから続く歌詞でも「私とあなたは一人だった?」と、自らの音楽を「半身」であると形容するほどですし…。

「ラストサビ」

最後のサビをシャウトして、そこから接続してよりかすれた声でより激しいシャウトでの最後のメロディをつづります。この最後の歌詞はパンチラインの応酬で、

「死んでしまえ!」と言われたいよ
何もかも懸けて尽くしたって差し出せないならそこから飛び降りて
死んでしまえばいいよ
撞着の末に破滅を選びたいよ 死ね

マリア

と、投げやりでやけくそな音程で叫んで楽曲は終了します。再三述べてきましたが、カワノさん自身の音楽を放出する上でのスタンスと、同時に葛藤を示す悲しくも素晴らしい歌詞になっています。彼にとって音楽で「尽くす」ということは、「騙す」ということとひょっとしたら同義なのかもしれません。それをやり遂げることやその矛盾、苦しみや葛藤、あらゆるものを内包して叫ばれる「死ね」は強烈な意味と、ネガティブな言葉に反した異常な熱量、そしてどこか爽快感すら伴ってリスナーの胸を打ちます。

話はずれますが、カワノさんの歌詞って、暗かったり陰りのあるものだったりが大部分を占めているのですが、そこには「悲しみ」とか「後悔」はあれど、「悪意」が全く存在しないんですね。だからこそ、彼らの楽曲は確かに重く、鋭利ですけど、どこかに爽快感やポップさが宿るのではないか、と個人的に思っています。
もちろん、希望や優しさを伴った楽曲との対比構造が生まれることでそれを強く感じることはありますけど、曲単体で完結する感情をたどると、その「悪意」のなさが、一人の人間が一人で完結させた私小説のような意味合いを持って、一個の芸術として昇華されているからこそ、ポップスとして強度の高い楽曲になっているのかなぁと。

一曲目はシンプルかつ激しいパンクソングから幕を開けましたが、その楽曲のキャラクター以上にそこに込められた執念や情熱が凌駕した怪作となりました。何気に最近のCRYAMYにはありそうでなかったシンプルなエイトビートでのロックナンバーは、第二期の幕開けとされながらもどこか「#2」期の衝動的な楽曲を想起させるものですね。この手の激しい曲を求めていた方も多かったとは思いますので、音楽的にも待望のシンプルイズベストと言わんばかりの楽曲です。
もちろん、そうとは言っても、随所でリズム的な起伏を作っていたり、そもそもイントロを省いていたりと新鮮な仕上がりになっています。CRYAMYは基本的には同じような曲やヒットした曲を標榜した楽曲を出さず、どの曲も独立したコンセプトで作られたものが多いですが、こういうシンプルなロックナンバーはいくつあってもいいなぁ、と個人的には思いました。ライブでも盛り上がりますし。

2.スカマ

「イントロ」

鋭いギターカッティングから幕を開けて、不穏なベースラインとハミングでメロディをなぞるイントロへ。珍しいイントロの展開です。
この楽曲ではおそらくリード、サイドギター共にシングルコイルのギターを用いていて音が鋭いです。CRYAMYの特徴として両方のギターがハムバッカーの分厚く歪んだギターサウンドがあると思うのですが、それとは対極を行った音像で構成された楽曲ですね。
リズム面もつんのめったノリのいいダンスビートを基調としています。こちらも、テンポを問わずタメ気味の重たいエイトビートを主軸としたCRYAMYの特徴とは打って変わったものですね。
しかし、あまり違和感がないのはCRYAMY自体がポストパンク的素養を持った楽曲を得意としてこれまでリリースしてきたから、というものが大きいと思います。ギターリフや展開の仕方などはむしろ彼らの楽曲ではよくみられる王道な運びをしていると言っていいでしょうし。

「ヴァース」

この楽曲も歌詞が強烈で鋭利です。どちらかと言えば一曲目よりも暴力的で残酷なことを直接的に吐き捨てています。

君は頭がおかしいと思う カウンセリングにかかればいい

 スカマ

エッジの立ちまくったワードを非常に軽快なメロディラインに忍ばせて突き刺す構造をしています。この歌詞で述べられているのは所謂「メンヘラ」と呼ばれる人たちを装った「かまってちゃん」的な、浅ましい人間への強烈な批判と侮辱の感情でしょうか。最終節の

そんなに人をうなづかせたいなら無理やりに首をへし折ればいい

スカマ

は強烈な文言ながら、一曲目の「うなづき」と対比するように冷酷で辛辣。一曲目で何かを受け入れたりかみ砕く悲壮な姿を描いているからこその、それを簡単に済ませよう、快楽のために周りに強いようとする人間への強烈な憎しみと嘲りが垣間見えます。
対照的にメロディは非常に明るくてポップ。僕は歌詞を注視して聴く人間ですから、最初に聴いたときは正直げんなりしてしまったんですけど、そういうのを気にしない人が聴いたらシンプルにノリノリでライブ見てそうですね…。イントロの多声コーラスでの「ラララ」もとてつもなくポップですし。二極化したフロアの空気がとんでもないことになりそうです…。

「サビ」

誰もお前のことを大事になんてしないよ

スカマ

傷に塩を塗りたくるように追撃するかのごとくサビのラインの応酬。「お前のことを大事にしない」と断言して突き放します。
カワノさんって一見、苦しみを抱えている人に対する優しさを持った人のようですけど、多分一方で苦しみを「餌にする」人間には反対にとんでもない憎しみを抱えた人だと思うんですよね。日記でもライブでもそうですけど、カワノさんって公然と誰かを批判したり手ひどくディスったりすることってほとんどないんですけど、暗にそういう人を批判するような言動や歌詞を残していたりもします。この楽曲でようやくそういった側面がわかりやすく表出したのかなぁ…。エセの鬱ロッカーには成しえない真の自己否定とか真の真心が歌詞に映し出されているカワノさんの歌ですが、そんな彼と対岸にいる人間やそれを享受する人間のことはとことん突き刺している楽曲ですね…。
もしかしたら、そういう奴らと一緒にするな、そして、それを享受している人間に聴かせる歌はない、という意味もあるかもしれませんね。一曲目が「音楽について」を歌っているからこそ、そう感じるのかもしれません。

「間奏」

サビ後の間奏はイントロのフレーズを繰り返し、後半でリードギターのカッティングを混ぜたギターソロが入ります。CRYAMYの楽曲にはあまり見られてこなかったざらついたエッジの立った音像はここでの展開を映えさせるために選択されたのかもしれません。どんなに速い曲でもヘビーな印象のあるCRYAMYの楽曲と好対照な、軽快で焦燥感のあるギターソロですね。

「Cメロ」

お前のね 家族もね 友達もね 糞だね

スカマ

やりすぎなくらいぶちこんできます(笑)。ここまで言わなくても…ってほど言葉に力を込めてきますね。先ほど「悪意がない」とか書いといて矛盾しますけど、この楽曲に限っては悪意もあるんじゃないでしょうか…。本当にドロドロした憎しみを感じずにはいられないですね…。

都合よく人使って気持ちよくならないでね

スカマ

これがこの歌詞のもっとも伝えたい一言だと思います。自分の快楽のために悲しみや憂鬱を振りまいて人を操っている人間への強烈な屈辱。
CRYAMYはたしかに悲しみや憂鬱にフォーカスした楽曲が大部分を占めますが、決してそういったスタンスをとるバンドではないことはこれまでに綴られてきた楽曲群やライブでの姿からも明らかです。だからこそ、表層で深刻ぶった人間への嫌悪がものすごいのではないか、とこの歌詞を通して感じました。

「ラストサビ~アウトロ」

ブレイクとカッティングの後にタメを作って最後のサビへ流れ込みます。メロディもアウトロに近づくにつれて崩壊していって、最後はめちゃくちゃな音程のシャウトを繰り出してアウトロへ。最後に向けて疾走したあと、リードギターの乾いた音が反復されて楽曲は終了します。

エッジのきいたギターサウンドと不穏なベースライン、ダンスビートを基軸としたポストパンク的アプローチの疾走するロックナンバー。歌詞は批判性にあふれてはいますが決して知的だったり抽象的だったり、小ぎれいにまとめられておらず言いっぱなしのやけくそじみた世界観で、珍しい楽曲ながらなんともCRYAMYらしさにあふれた出来栄えです。
「#4」の楽曲は直近のライブで一度は披露されたものが多いのですが、この楽曲だけは自分が見た範囲だといまだに披露されていません。ライブではどのような印象に変わるのかも、非常に楽しみにしています。

3.E.B.T.R

カワノさんのインスタより、正式名称は「Everything But The Room」。「この部屋以外のすべて」という意味でしょうか。歌詞も今作の中では抽象度の高い一作ですね。
音像も最もノイジーで、ローチューニングな太いドラムの音と低く抑えられた話し声に近いカワノさんの色っぽい声が特徴的です。しかし、ノイジーとはいっても本作のサウンドの特徴としてあるギターサウンドの生っぽさから、これまでのようなホワイトノイズのような「シャー!」ノイズとは違って、重くけだるいパワーコードのディストーションがその主軸を担っています。

「イントロ」

重厚なドラムのビートとミュートされたディストーションギターで開幕。ドラムのスネアの音だけに何かしら深い残響をかけたエフェクトがかかっているんでしょうか?不思議な音です。ギターは歪み切って、フランジャーもかかっているよう。CRYAMYは空間系エフェクトを多用しないバンドなので、この深いフランジャーとコーラスの質感も珍しいです。

「Aメロ」

終始暗いトーンと重苦しいバッキングギターのサウンドで進みます。

肺で代謝していく 気楽に自分を責めた
毛穴からよだれが垂れていく

E.B.T.R

生々しい表現ですけど、詳細は分からないですね…。肺で代謝…ってタバコでしょうか?ていうかタバコじゃないとヤバい気がしますけど…。
あまり深くは言及しないですが、おそらく酩酊、トリップ状態での感覚を終始歌にしていると個人的には推測します。

「Bメロ」

ビートがシンプルに回帰して、キメを使ったためのきいたリズムへ。

寝小便の海 泳いだ夢
大体場の空気が読めない
情熱の失せた部屋で形を探りあった

E.B.T.R

示唆に富んだ歌詞です。投げやりになった若者の姿を端的に映していることはなんとなく読み取れますね。

「サビ」

いつも通り部屋を舞う煙が辛い
「死にてぇなぁ」と誰もが言うから

E.B.T.R

カワノさんの過去の日記をさかのぼると、以前は彼の住むマンションの一室によく人が出入りしていたことが読み取れます。部屋でも平気でタバコを吸っていた様子ですし、当時の彼の暮らしを反映させた一節なんでしょうか…。
とにかくこの楽曲は歌詞の解釈が難しいです。閉じられた空間での酩酊した若者の姿や、自己嫌悪とか自己否定が主題ではあると思うんですけど…。

「Aメロ2」

粉を吹いちまうくらい肌を掻きむしってるのは
それより気持ちのいいことを知らないから

E.B.T.R

さらっとすごい歌詞ですね…。こういう現実的で直接的な歌詞が、不思議でサイケっぽい歌詞の世界すらも現実のものなのだ、と突き付けてくるようです。
ギターとベースの絡みもここはすっきりとしていますね。この後の展開でノイジーに爆発していきます。

「間奏」

クリーントーンのギターから一気に歪んで、けどリズムは相変わらず重く進みます。ギターソロの裏で裏返った声の絶叫がうっすら鳴っていますね。なにかのサンプリングなんでしょうか…。狂気的に間奏を彩ります。

「Cメロ~サビ~アウトロ」

治らない病気のせいなのか?
何にも興味が持てないのは
情熱の失せた部屋で形を探りあった
未来を弄りあった

E.B.T.R

ここの最後の一節までの流れが残酷極まりない世界で牙をむきます。「未来を弄る」って表現の生々しさと残酷さで胸が痛くなりました。もう引き返せないところまで人生を棒に振ってきたことを暗に示しています。
この歌詞の登場人物たちの身に起きた出来事(もしくはその後日談でしょうか?)は、歌詞の抽象性からはっきりとは読み取れませんが、相当に残酷な結末をたどったことがわかります。アウトロでも、

マイム マイム

E.B.T.R

と繰り返しながら(マイムマイムは豊穣を祈る言葉みたいです。)意味不明な言葉をカットアップで並べ、最後に

まつ毛の下のローズマリー

E.B.T.R

と終わります。

徹頭徹尾、重いリズムと抽象的で解釈のしがたい歌詞で進む楽曲です。歌われる詞の内容やアレンジのなされ方を含めて、今作で最もロウなテンションを持った楽曲でもあります。
終始楽曲を覆う重さに寄り添うように一定のテンションで静かに歌われ続けるボーカルの質感や詞の抽象的なワードチョイス、コーラスのきいたギターサウンドなど、明らかに楽曲中に漂う「ロウ」を体現しようと意識して作られたことが伝わってきます。解釈の難しい楽曲ですが、このEPの空気を引き締める意味で、しっかりと役割を負う一曲だと思います。

4.悲しいロック

個人的にこのEPのなかで一番のポップスだと思っています。それほどにこの楽曲の完成度はEPの中でもずば抜けているのではないでしょうか。
ギターの美しいアルペジオを主軸として淡々と進んでいくニューウェーブライクな作りの楽曲ですが、この手のキャラクターの楽曲を得意とするCRYAMYのキャリアの中でも出色の出来栄えとなっていると思っています。今作でのサウンドの志向が見事にはまった結果もたらされたギターのトーンは歴代でもトップクラスに美しく鳴り響いています。

「Aメロ~サビ~間奏」

おそらくthe policeの「Every Breath You Take」をオマージュしたと思われるアルペジオを基盤として楽曲は進行していきます。初めて聴いたときに「これは!」とすぐ気づきました。カワノさんのよく用いる名曲からインスピレーションを受けたフレーズ、歌詞をさりげなく配置する手法ですね。

この楽曲はニューウェーブというジャンルそのものを象徴するある意味金字塔的な作品で、日本語のロックではボウイやsyrup16gなど、多くのアーティストたちに敬意をもってオマージュされてきた楽曲です。

(参考)

余談ですが、友人が「たぶん「悲しいロック」は「ex人間」のオマージュだと思う!」と言っていたのですが、当の「ex.人間」がガッツリpoliceオマージュなのは有名な話で、果たしてCRYAMYがどちらを下敷きとしたのかははっきりとは断定できないんですけど、おそらく彼らもポリスを下書きに作ったのではないかと僕は推測します。

ヴァースの歌詞はこれぞCRYAMY、という淡々とした自己嫌悪の歌詞。

朝起きられない 頭下げれない 致命的に思いやりがない

悲しいロック

働いてない 政治興味ない 理由ないけど人に申し訳ない

悲しいロック

楽曲を通して貫かれるのはありふれたものへ届かない自分に対する憧憬と劣等感、そしてやるせなさ。解説する必要もないほどに素朴でストレートな語り口で、過剰な熱を帯びることなく自分を批判していきます。
あと、「政治興味ない」なんてわざわざ言わなくてもいいのに…とは思いましたけど、昨今ミュージシャンが政治について自分の意見を述べる風潮がありますけど、そこに対して何か思うことがあったりするんでしょうか。本当に興味がない、っていうよりは「何の意見もなくてすみませんね」と鼻で笑ってふてくされているカワノさんの顔が目に浮かびます。いつだったかの日記に投票なんか行かない、みたいなことを書いてたりしましたし…。

個人的には、

よく知らんけどIQとか低いと思うし
頭は足りていない

悲しいロック

身もふたもない言い回しですけど、ここ、カワノさんっぽくてなんだか安心しました(笑)。冗談っぽくて話し言葉っぽいこういう少し笑える歌詞は、カワノさんの書く歌詞の特徴なんですけど、こういう飾らないところを確認して、彼らは根本は何一つ変わらずいてくれているんだ、ということに気づけてすごくうれしかったですね…。

淡々と述べられた自己否定、自己批判の先で、サビでは

やりなおしたい

悲しいロック

とひたすらに繰り返します。
syrup16gやtheピーズと出所を近くする社会に適応できなかった人間の叫びのような楽曲ですが、この2バンドとカワノさんの歌詞の大きな違いは、現状を受け入れてはいるものの、そこから生まれ変わりたいという願望があるかないか、だと思っています。
前者2バンドは割と自分の状況を受け入れたうえでの悲しみの吐露を歌詞に書きなぐっているタイプだと思うんですけど、カワノさんは受け入れるそぶりは見せつつも、そこから脱したい、生まれ変わりたい、という思いが歌詞にうつっている場合が多いです。まだ根本的には壊れていなくて、葛藤と公開にまみれて生きている、という点で、また違った哀愁を感じずにはいられないです。
自分自身のうだつのあがらなさを受け入れたうえでそれを淡々と悲しむことと、それを受け入れようと思いながらもまだ生まれ変わることへの執着を捨てきれずに生きていくこと、果たしてどちらが残酷な人生なんでしょうか…。CRYAMYがsyrup16gの系譜を継いでいるバンドであることは明らかですが、作曲者であるカワノさんにはまた違う地獄が待っているような気がします。
個人的には年齢も関係しているのかなぁ、と。syrup16gは作曲者の五十嵐隆さんがデビューを果たしたときにはすでに20代も後半に差し掛かっていましたし、theピーズのハルさんも長いキャリアを経てあの退廃的な歌詞を生み出す境地にまで至っていますし。カワノさんはまだ25歳なので、この二人ほど人生における諦観をまだ身に着けてはいないのかなぁと。
逆を言えば、今描かれている少し青臭く理想主義的な楽曲は今でしか書けない楽曲だと思いますし、25歳にして日本語ロックの孤高の存在である2バンドを引き合いに出されてしまうほどの尖った歌詞を残せていることがすごいことだと思いますが…。

二番までの展開を消化して、ギターソロへと移ります。ここのギターソロ、このEPの中でも群を抜いた完成度だと個人的には思います。音像も空間ごとパッケージングしたような、ぼやけてはいるんだけどリアリティのある響きで、楽曲にものすごくマッチしていますね。ここまで執拗に同じフレーズを奏でてきたフジタレイさんのギターが一気に牙をむく感じもカタルシスにあふれています。

「ラストサビ~アウトロ」

幸福じゃない? マジでやるせない?
そんなのみんなそうじゃない?

悲しいロック

カワノさんの歌詞に頻出のある事柄を断言する歌詞。このラインは強烈です。
おそらく現代の社会を生きる人みんなが抱えたことがあるであろう、「なんで俺だけ…。」っていう身勝手な感情を、「そんなのは誰だってそうだ。」と乱暴に言い切ってしまってるんですね。CRYAMYの音楽に慰めや希望を見出す方も多くいて、一方ではそういった楽曲を「きれいごとだ。」と断じる人もいるでしょうけど、決してそうとはならないのは、時にこうして厳しいことも平然と言い放ってしまうある種の残酷さが楽曲から垣間見えるからなんだと思います。たとえそれでリスナーが傷ついてしまったとしても。
僕はこのCDを聴いていて一番グサッときた部分でした。前職を辞めてしまったとき、まさに自分が悲劇の主人公だ、と思い込みに近い形で呪っていた過去の自分を痛めつけられた気分になったんですね。でも、それはある意味で痛いところを突かれたことにもなりますけど、気づきとしてもたらされた感情でもあるんだと感じています。

最後のサビは転調して、メロディも美しいファルセットを駆使して進行、最後はギターソロで終了。フレーズ、リズム、展開のどれもがミニマルな構成ながら、非常にドラマチックに締めくくられます。

今作の中でも個人的には楽曲としての完成度は群を抜いて高いと感じた一曲でした。ギターのサウンドは非常に高いクオリティで録音されていて、雑然として乾いた楽曲が大半を占める今作中では異端な湿度とやわらかさを持った一曲であることも関係しているのかもしれません。
ライブではすでに多く披露されているようです。余談ですが、この楽曲はカワノさんのデモ置き場でほぼアレンジのし上がった形で一時期載せられていたのですが、そこからかなりガラッと雰囲気が変わって今作に収録されていますね。

5.ALISA

昨年のライブからすでに多くの場で披露されてきた、今作の中でもライブに通う人の間では早期に存在が知られていた楽曲ですね。CRYAMYの得意とするミドルテンポのバラードナンバーであり、かつ、これまでの系譜からは少し外れた、より洋楽的なアレンジのなされた楽曲です。
この楽曲、各方面でめちゃくちゃ絶賛されていますね…。音楽雑誌でもこの楽曲にフォーカスして話が進められていたりもしてましたし。僕の周りだと、初めて聴いた友人が「新曲が本当にやばい」と少し興奮気味に話していたりもしました。
家族との関係を多く語ってこなかった、おそらく言葉にすることを避けてきたカワノさんが「母へ捧ぐ」と宣言してこの楽曲が披露された、というバックグラウンドもあって、今作の中でも一、二を争うほど彼の執念の込められた名曲です。

「イントロ~ヴァース」

イントロの展開はまんまOASISの名曲「LIVE FOREVER」ですね。フィードバックノイズからドラムのリズムが入るところまで、ほぼサンプリングと言っていいほどにオマージュされています。

カワノさんはライブや日記などで楽曲のオマージュ元を語ることがたまにありますが、OASISからのフィードバックが結構多いように思います。詳しくは覚えていないのですが、たしか「ディスタンス」のなにかもOASIS由来のものだ、と発言していたような…。「ALISA」でのこうしたオマージュは非常にわかりやすいですね。

あなたを悲しませたくないけどここを離れて神様に会いに行く

ALISA

自分が離れてしまうことで悲しませてしまう相手がいて、それでもそこを離れざるを得なかったもどかしさやつらさが描かれています。ここで述べられてる「神様」という表現は一曲目の「マリア」にかかってくるのではないかなぁと個人的には思います。大切な人の元を離れて、音楽を作る世界に生きることを歌っているのかなぁ。
その後に続く「まともじゃない」という、前曲に引き続いてかかってくる自己を否定する語句からも、一曲目で述べられた葛藤がここまで地続きで伸びていることを示しています。アルバムを通して作品とする意義を強く持っているカワノさんらしいつくりをしているなぁと感服しました。

余談ですが、今作の楽曲群の特徴として、Bメロのようなブリッジを作らずにサビに突入する楽曲が多いことが挙げられますね。先ほどこの楽曲を「洋楽的」といった理由もここにあったりします。
これまでの「ギロチン」や「誰そ彼」、「月面旅行」といった彼らのバラードナンバーは、歌謡曲的な、少しずつサビに向けて盛り上がっていくという構造の、ドラマチックでカタルシスに富んだ構成をとってきてはいるんですが、「ALISA」はそれと真逆で、流れるように進行していきます。

「サビ」

私が拒んだあの人とずっと暮らしていたかったけど
ありふれた日々に帰してしまう

ALISA

ライブやインタビューで語られている通り、この楽曲はカワノさんの母を思って描かれた歌詞になっています。ここで歌われる登場人物は彼の母であると考えると、カワノさん自身いったいどんな生い立ちを送ってきたのかは断片的にしかわからないんですが、カワノさんがその母のことを拒んでここまでやってきたことがわかります。
そして、その母との決別を、「ありふれた日々に帰してしまう」と表していることから、カワノさんは自分の今の現状ややっていることを「ありふれた暮らし」とはとらえていないんですね。もっと踏み込むと、決して充実した日々、楽しい日々だとは見なしていない、という証拠というか…。

はたからみているとCRYAMYの活動は活動規模も拡大して順調そのものという風に移りますし、今作のような素晴らしい作品もリリースしましたし、カワノさん自身、ライブで「俺たちは恵まれている」と発言してはいるんですけど、内心ではバンド…音楽に身をやつした結果の人生を、後悔や苦痛を含んで見つめていることが伝わってきます。
カワノさんの日々の記録やインタビューなどからも読み取れる通り、彼の音楽を作る過程は身を削り苦痛を伴ったうえで行われていることがわかります。様々感じることはあるんでしょうけれど、その苦しみを生む根幹というものの一つとして、若くして決別した肉親への思いが強くあるんじゃないでしょうか。
僕も家庭環境がお世辞にもいいとは言えない中で生まれ育ちましたし、逃げるように実家を離れて進学した身です。今でも親に対しては苦手意識があります。これに近いとは言わないですが、肉親に抱えてしまったゆがんだ重いって、成長して大人になってからも心に暗いものを残してしまうんですよね…。

「ヴァース2~サビ」

時々優しく背中を撫でながらありえない綺麗事で慰めてくれた
信じてないけど嬉しかったよ さよなら 悲しいけどここまでだよ

ALISA

強烈な一節。かつてあった暖かな交流を描写しています。
個人的に感じたのは、きれいごとを「信じていないけど嬉しかった」と述べているカワノさん自身の価値観の顕現です。「世界」でも「優しさ」に対して「報われず、救われないけど、忘れない」と言い切っているカワノさんの価値観は「優しさ自体に意味がなくても大事なのだ」というものだと思います。次の曲の「WASTAR」にもつながる、彼の思いの根幹をなす思考ではないでしょうか。

「Cメロ~アウトロ」

誰も傷つけない人なんているんだろうか
そういう奴はきっと俺のこと見下してるんだろうな
生まれたときには俺だって祝福されたはずだ
なのになんだ この手は 冷たい 心も冷たい ここにいちゃいけない

ALISA

この歌詞をライブで聴いて、僕は泣いてしまいました。きっと同じ思いを抱えている人の心の柔らかい部分を鋭く突きさす一説になっているんじゃないかと思っています。
この一節にカワノさんの人間的や弱さやもろさが大いに表れていると思っています。「人に見下されること」を想像して恐れる姿、冷たい人間になってしまった自分が祝福されて生まれてきてしまったことへのやるせなさ、「誰も傷つけない」人を想像してしまうちょっと夢見がちなところ…。やはりこの楽曲は今作の中でも頭一つ抜けた執念や情熱を宿していると感じますし、最も生々しくカワノさんの人間性が出ている一曲だともいえると思います。

アウトロで一気に歪んだギターソロが入り、長尺で駆け抜けていきます。現代音楽ではあまり推奨されない長いギターソロを入れるのもCRYAMYの特徴ですね。間奏も含めると曲の中でかなりの割合でギターがフィーチャーされていることがわかります。

「ラスト」

薬飲み忘れないように ご飯はちゃんと食べるんだよ
亀の水槽はこまめに洗って綺麗にしていてね
変な男につかまるなよ お金は大切にしてね
くだらない話ばっかで本当にごめんね

ALISA

私信のような歌詞でこの楽曲は終了します。ライブだとここのアコースティックギターの弾き語りを省いて、カワノさんの独唱にアレンジされていますね。カワノさんの歌い方も感情が音源よりこもっていて、なんならこもり過ぎて狂気的に感じるほどです。ライブではぜひ注目してみてください。

アルバムの前半と後半をつなぐ重要な一曲で、かつ、最も作曲者個人の心情と人間性が出た一曲だと思います。カワノさんのメッセージ性の強い楽曲や人間の実存をえぐる楽曲も好きなんですが、たまにあるカワノさん自身のことを強く感じさせるこのような楽曲も今後聞いてみたいなぁと思ったりしますね。それを自分の人生と重ね合わせることで救われる人も、僕を含め、多くいらっしゃると思います。

6.WASTAR

詳しくは個別記事にて。今作のリードトラックにして、CRYAMY史上最も強度の高いメロディで奏でられる、彼らの新たな代表曲となる一曲だと思っています。
前の曲の「ALISA」は愛する人の姿、それを捨てた自分の姿と、そんな自分を呪う姿勢を描いた歌詞でした。そこから続く「WASTAR」は一転して、過去への思いを振り切って今を生き、目の前の人間に対して尽くすという思いを具現化しています。
「音楽と人」でのインタビューでも言及されていましたが、カワノさんいわく、「#3」はこれまでのキャリアの中で浮いた作品だったけど、今作でその視点に戻ってきた、心象風景が下りてきた、というようなことをおっしゃっていました。その証拠として「WASTAR」の歌詞には、「#3」で一瞬だけ見られた、内省と自傷の空間を食い破って外界に牙をむき始めた姿が、今のCRYAMYをフィルターとして色濃く映っています。
アレンジとしても王道のロックナンバーながら、確実に発展を遂げたバンドの姿を映す優れた一曲です。特にメロディが素晴らしいですね。次元の一つ上がったような、優れたポップメロディと鋭い言葉が楽曲を通して彩っています。
余談ですが、大阪の野外フェスで先日CRYAMYを友人と見に行ってきました。ラスト二曲の流れが「WASTAR」からの「世界」だったのですが、この二曲の流れを見るだけでこの日に価値があった、と言えるほどの圧巻の演奏でした。
最近のCRYAMYはヤバい、とカワノさんが頻繁に口に出していますが、本当にそうだと思います。本当に恐ろしいほどに鋭い目つきをした四人が、これまでの殻を食い破って、目前の人間に対して歌を叩きつけるという強烈な覚悟が伝わってきました。それは少し怖いほどに迫力と勢いを持っていて、かつて衝動と怒りを無鉄砲に振り回すばかりだった彼らの姿から完全に生まれ変わっていると言えると思います。
以前と比べてライブでの空気は鋭くなり、言葉数の減ったカワノさんですが、最後のMCで「痛みを抱えた人間のために歌い、痛みを消すために歌う」と宣言していらっしゃいました。今後、そんな歌がより多くの人に届いて、彼の歌で多くの人が明日を迎えられる日が来ることを、僕はこの日確信しました。

6.待月

今作のフィナーレを飾る楽曲です。重厚なリズムとノイジーなギターで進む楽曲で、新鮮なリズムパターンと無軌道に吐き捨てられるメロディと絶叫はカワノさんが日記で言うように「ハードコア」ライクな仕上がりです。激しく速いハードコアというより、重く、タイトな、エモやポストハードコアというべきでしょうか。
カワノさんがインタビューでfugaziの名前を挙げていたのも、この曲に意味があるように思えます。


リードギターのサウンドも、ファズでしょうか、独特です。詰まったような丸みを帯びた音をしていて、これまでの激しさを振りまいてきたフジタさんのギターとはまた一味違った、哀愁やはかなさを激しいサウンドに落とし込んだトーンで楽曲通して進んでいきます。

優しいあなた

待月

最後の楽曲にして、カワノさんが「#3」で歌い、挫折し、その挫折をもって「red album」を完成させて、今作で再びたどり着いた、人間の姿を「優しい人」の姿を通して描いています。
この楽曲は今作中で最もシンプルな歌詞が綴られていますが、相反してそこに内包された感情は非常に複雑であることが読み取れます。ギターソロを挟んで、

万能じゃないけど神だよ 信じていないけど愛してるよ
一つになれないけど抱くよ ウザいけど欲しがられたいよ

待月

このようにこれまでの楽曲でつづられてきたカワノさんの美学をまとめて集約したような歌詞に続いていきます。どのセンテンスもこれまでの楽曲から回収されたような構造になっていて、この楽曲がこのCDにこめられた思いの総括であることがはっきりと示されていますね。
カワノさん自身、これまでも書いてきましたが、理想主義者的な側面があり、それを臆せず楽曲に落とし込んで、ライブで人に語るスタンスをずっとくずしていませんが、一方で、その中で感じる揺らぎや矛盾に対する不安や恐怖もこの歌詞には込められていると感じました。矛盾も臆さず綴る覚悟を持って、この作品を完成させようという強い思いを感じます。

強いけど壊してもいいよ 弱いけど庇わなくていいよ
かけがえのないものなんてないけど 君はそうだよ

待月

この作品に収録された曲はすべて、どこかに他者の姿を見出しているように見えます。「悲しいロック」のような自己への念を込めた曲でさえ、最後には他人の心情に対して鋭い問いかけを投げかけているように、「#4」という作品が徹底して自己を超えた他人の先になにかを見出そうとして格闘した末に生み出されていることは疑いようのない事実です。その対峙してきたすべての人たち、そしてCRYAMYを聴くすべての人に対しての、カワノさんの意志表示でもあり、最後の一節とサビの歌詞で目の前の人のあるべき姿すらも断言して見せる。
悲しみも撞着も悲哀も含んだ作品ですが、最後には愛を持って完遂されたこの「#4」という作品は、確かにこれまでの彼らの歴史の中で重要な一枚足りえるものになっていくんだと思います。

アウトロはギターソロとともにカワノさんの強烈な絶叫が続きます。絶叫する声にはディレイがかかっていて、まるで何個も声が折り重なっていくように絶叫が襲い、ギターもけたましくうなりを上げていきます。
最後は2つのギターの美しい旋律が絡み合って楽曲は終了します。激しくもはかない、ラストを飾るにふさわしいドラマチックな一曲でした。

・おわりに

以上で「#4」の全曲考察は終わりです。長い時間をかけてしまいましたが、毎日少しずつ、思っていることを言語化していきました。
アルバムリリースを経て、最初のリリースとなった、「CRYAMY第二期」の出発としての一枚ですが、その重圧をものともせず、金字塔となるべき一枚がリリースされたのではないでしょうか。今作で見られたサウンドの進化や歌詞の深化、そのどれもが今後彼らのたどる道のりの出発点としてこの上ない指標になる、そんな一枚だと思います。

本作のリリースに伴って行われるツアーは全国ワンマン公演となっています。第二期を迎えた彼らの始まりともいえるツアーを、僕も楽しみに待ちたいと思っています。

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