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[CRYAMY全曲考察]WASTAR

「WASTAR」
「#4」2022/4/20発売に収録。

はじめに

#4

4/20発売予定のCRYAMY一年ぶりの新譜、「#4」より「WASTAR」のMVが先行公開されました。まだ新譜の全貌はわかっていないのですが、先行公開されたのが「WASTAR」なのには個人的には納得でした。僕は「red album」のリリースツアーは、僕は初日、横浜、下北沢、渋谷の四か所に足を運んでいて、その間に下北沢SHELTERのアニバーサリーワンマンの方も、幸運にもチケットを手に入れて足を運んでいます。おそらくこのシェルターでのワンマンライブでお客さんへ初披露されたのではないでしょうか。その日からツアーファイナルの渋谷クアトロ、リキッドルームでのワンマンライブ、それ以降のライブでもかなりの確率で演奏されています。このことから、おそらくアルバムの中でも、カワノさんの中では核になる楽曲として作られたのではないか、と推測できます。

この楽曲について

先行公開されたMV。サムネイルがクールですね。楽曲のアウトロでフジタさんがギターを放り投げたシーンですね。こちらのビデオは先日のリキッドルームワンマンの様子を収録したもので構成されていますね。フロアのお客さんがCRYAMYの演奏とダブって映される演出が素晴らしいです。

タイトルの「WASTAR」はおそらく「WASTE」や「WASTER」からきています。「無駄」や「浪費」、「WASTER」は「きずもの」「出来損ない」、仰々しい言い回しだと「破壊者」という意味もありますね。
詳しくは後述していきますが、歌詞の中では「無駄な行為」「無意味な願い」とみなされた物事が登場します。また、何かを放棄したり、無理に縋り付くことをやめてしまう、あきらめのような描写も登場します。
そうやって精神の摩耗してしまった人々のことを「WASTER」と呼んでいるのではないでしょうか。そして、そんな題名の楽曲のコーラスラインでつづられる歌は、そんな人間のために歌うことを決意したカワノさんの身上を移すようで、あまりにも優しく響きます。
「WASTER」を「WASTAR」とつづり直した理由は、さまざま考えられるかと思うのですが、これだ!という確信のあるものは思いつかず…。もしかしたら正解が明かされる日がやってくるかもしれませんから、いずれ言及されるのを待とうと思います。

僕がこの楽曲を初めて聴いたのは先ほど書いた通り下北沢SHELTERのアニバーサリー公演です。一年以上ぶりのCRYAMYの単独公演でしたので楽しみに足を運んだのですが、その時のアンコールでこの曲は演奏されていました。
初めて聴いたとき、まず「久々にストレートなロックサウンドを鳴らしてきたな!」と驚きました。「red album」は再録した5曲以外の曲はどこかひねりを聴かせた楽曲が大部分を占めていましたし、同作からMVが作られた「HAVEN」は壮大なアレンジのミドルテンポのバラード調の曲でしたので、「#2」や「#3」に収録されているような疾走感のあるシンプルなロック然とした楽曲は久々に感じました。
そして、驚かされたのはそのメロディですね。MV解禁のタイミングでじっくり聞いて、改めて、CRYAMY史上、最もポップなメロディラインだと感じました。カワノさんの曲ってもちろんポップな側面もあるんですけど、それ以上にはみ出した感情的な叫びが先行していて、(悪い意味ではないですよ!)大衆に支持されるような聴き心地のいい歌声では決してないような気がするんですよね。ほとんどの楽曲でカワノさんはメロディをやけくそに絶叫していますし、美しく響かせるというよりは、叩きつけるように歌い叫ぶ楽曲が大部分だと思っています。だからこそ、「ここまでポップなメロディを作って歌えるのか!」という驚きと新鮮さがありました。
そのポップなメロディを持って、この楽曲の切実な歌詞がより説得力を増された状態で飛び込んできます。「#2」のラストナンバーである「ディスタンス」で「生まれてきてよかったことはない」「生きていてよかったことはない」と歌っていたカワノさんが、「君のために生きる」と言うに至った道のりを思うと、なんだか勝手に彼らの歩んできた歴史を思って胸が熱くなりますね…。

また、この楽曲の歌詞の完成度はこれまでの楽曲と比べても頭一つ抜けたものがあると個人的には思っています。楽曲が展開していく中でパンチラインがひっきりなしに襲ってきます。記事の導入編にも書きましたが、CRYAMYの楽曲の歌詞は良くも悪くもナチュラルで、だからこそ初めて聴いた時のインパクトのようなものには欠けるものが多いような気がするのですが、この楽曲は初めて聴く人でもきっと嫌でも耳を奪われる強烈なワードの応酬で構成されています。
そして、初見の人間の耳を奪う楽曲であると同時に、これまで彼らを追い続けてきた人間が聴くとまた違った衝撃のある歌詞にもなっています。詳しくは後述しますが、過去の楽曲の歌詞とのリンクが特に見受けられる歌詞があったり、これまでの楽曲にもあった強烈なメッセージ性を損なうことなく、また違ったベクトルにも向いたエネルギーが内包されていますね。

あと、今楽曲からも感じられるかと思うんですが、カワノさん、なんだか人間が穏やかになりましたよね。昔から人間の実存を問うような歌詞を書く人でしたけど、「WASTAR」はそんなテーマを他者に強烈に叩きつける歌詞、というよりも、「俺はこう思う」とまっすぐに示し諭すような歌詞になっている気がします。
最新のインタビューでも言及されていたのですが、「#3」期の「世界」や「月面旅行」のような精神性に回帰した、ということなのかもしれませんね。この二曲も「WASTAR」と近いニュアンスの歌詞ですし、共通するのはカワノさんの中にある「正しさ」というものを鋭く見つめて、それを誰かに届けるという意志なんじゃないでしょうか。
また、ライブ中のたたずまいも、激しさや狂気性はそのままに、話し方や目線がマイルドになった気がします。昔は血走った眼でMCも怒鳴るように語ることが多かったんですけど、クアトロのツアーファイナルぐらいからでしょうか、淡々と自然なトーンで語る局面が増えていったように思います。

最後に、この楽曲について深く書いていくうえで書き残しておきたいライブでの印象的な発言を残しておきます。クアトロでのツアーファイナルでこの楽曲を演奏する前に、カワノさんが「これからのCRYAMYの楽曲と、悲しみの中だけではなく、喜びの中でも共にいよう」と告げました。これはこれまでのカワノさんでは考えられないほど踏み込んだ発言なんじゃないでしょうか。
カワノさんの描く楽曲はどうしても悲しみの感情や冷酷な視線は切っても離せない要素で、「WASTAR」においてもそれは色濃く刻まれているんですけど、それでも時には覚悟を持って愛や正義を歌ってきたのがカワノさんなんですね。これからはその「愛情」の部分によりフォーカスしてまっすぐに伝えていく、という宣言のように、この発言は感じられました。
これからも彼の楽曲からは悲しみや絶望が消えてしまうことはないのでしょうけれど、それでもこの心情の変化は、良くも悪くもCRYAMYの一つの歴史が終わったと同時に、始まったことを示すように感じられました。

楽曲考察

「イントロ」

美しい三連符アルペジオの響きから、バンドサウンドで激しいセクションになだれ込みます。リードギターのかき鳴らすフレーズはどことなくエモーショナルハードコアのバンドっぽい。MVのコメント欄にも海外の方が英語で「MINERALみたい!」ってコメントしてて腑に落ちました。

この楽曲でしょうか。確かに言われてみれば似ているような気がします。MINERALは90年代のエモをけん引した伝説的バンドですね。
CRYAMYについて書かれた他の方のブログで、MINERALやGET UP KIDSなど、90年代エモからの影響を指摘されている文章を読んだことがあります。カワノさんが日記やライブなどで言及されていたことがあったのでしょうか。

それにしてもこの曲、イントロの展開がものすごくきれいですね。頭と最後のフレーズが同じものに収束していく展開がクールです。CRYAMYの楽曲はイントロが長く、しっかり起伏のある展開を作っている楽曲が多いですが、この曲も例にもれず、そういった構造をしていますね。

「1番ヴァース」

あんまりいじめないで、って期待をしないで祈ることは
仕方ないし意味がないことはわかっているけど怖いから
私を慰めていた「完璧過ぎで理想過ぎ」が
ありえないしくだらないのまま諦められてしまったから

WASTAR

冒頭の歌詞ですが、しょっぱなから胸が苦しくなります…。この楽曲は強烈なインパクトを持った歌詞の応酬だと書きましたが、この第一声からそれがわかっていただけるのではないでしょうか。
カワノさんの書く歌詞には冷酷な目線で描かれた悲しい出来事やカワノさん自身を否定する言葉が多く登場しますが、この歌詞でもわかる通り、カワノさんはそんな事象を歌にこそすれど、絶対的に歓迎していないんですね。彼はエセの鬱ロッカーたちには成しえないほど鋭い歌詞を書く人であると同時に、そんな奴らがファッション的、サブカル的に消費するために持ち出す悲しみに本気で胸を痛めています。
そして、それと同時にそこから逃れる術を探ったり、または、それを慰めるべく耽溺したり(インタビューでも、音楽は悲しみに耽溺するものでもある、とおっしゃられてたりもしてましたので、この表現を使いました)もするのですが、その果ての結果として、これまでの抵抗を「仕方ない」「意味がない」と、断言し吐き捨てて、恐怖の中で生きていくことを選んでいるんですね。同時に、掲げてきた「完璧で理想的」な世界が、時に諦められてしまったことも示し、それでも生きていくことも歌う。これまでの楽曲を聴いてきたうえで深く読みほどくと、この行為はとてつもなく悲壮であり、一方で心の摩耗した人間は誰しもにリンクするものにもなっています。

また、この曲は前作に当たる「red album」収録の「完璧な国」と関連付けることでまた違った感想を得ることができます。詳しくは「red album」の項目で詳しく述べたいのですが、「red album」は「完璧な国」で提示された理想的な世界のありようを実現できずに敗れ去った人間の物語、とみることができるのではないでしょうか。ライブ会場で販売されている「CRYAMY新聞」のディスコグラフィーからもそれが読み取れるかと思います。
「完璧な国」で歌われる「優しい人間が泣くことのない救いのある国を願っている、そんな自分を信じてくれ」と歌ったカワノさんですが、最後には「テリトリアル」で、そんなことは決して「簡単には言えない」まま傷ついていき、最後は消えない痛みを負ってアルバムの物語を終わらせています。その痛みというものの正体を、あえてうまく説明された歌があるとみなすのならば、それが「WASTAR」なのではないでしょうか。
理想を追求して世界と対峙する中で、傷つき、阻まれ、時にはその姿を謗られ、その理想すら否定される…。そうやって摩耗した心のままで世界と対峙していかなくてはならなくなった人たちのなれの果てと、それでも続く人生を歌うのが「WASTAR」なんじゃないでしょうか。

普通の空の下 普通の風の中
普通の顔して歩いてただ悲しくなる
でも思い出せるのがあなたのことで嬉しい

WASTAR

そして、後半の歌詞です。個人的に唸ってしまったのは、前半で述べたような悲しい状況にありながら、それを「普通」と言い切ってしまうことなんですね。すごくさりげないことなんですけど、こういうさりげないところにカワノさん特有の深刻さが見え隠れしています…。
そして同時に、ここの歌詞では、カワノさん、内心じゃ絶対にそんな世の中は普通じゃないと思ってそうなところも含めて、皮肉っぽいですね。どれだけ傷ついてもカワノさんの中の理想はぶれていないことはこの後の歌詞を見たり、ライブでの姿勢を見るに明らかですから。世の中を生きる、他人に無関心で、時に人を平気で傷つける冷酷な人間を、「普通」と言い切ることで見放したような冷たさを放っています。
そしてヴァースの最終節で、それでも人が生きていく理由が示されます。「世界」の項目で書きましたが、カワノさんの描く「人間賛歌」の根幹にあるものは「人は人に救われ、生かされている」ことであったり、「誰しもが誰かを生かす理由になりえる」というものだとおもいます。
どんなに悲しい日々であっても、胸に浮かぶ大切な人や愛する誰かのことが、たとえ出来損ないになってしまった人間でも生きる理由になって、また明日を迎えることができる。僕は単純に、そんな世界は正しいと思えますし、この歌を聴いて素直に胸を打たれる自分は間違っていないと思っています。

あと個人的にすごい安心するのが、カワノさんってこういう曲を書くけれど、「そんな大切な人おらんわい!」みたいな人に対して、ライブではかなり強い言葉で「俺がいるぞ!俺はお前のために歌うぞ!」って口に出してくれることなんですよね。僕は親とも関係が悪いですし、恋人もいませんけど、たぶんそれがなかったら、「でも自分はそんな人もいない孤独な人間だし…。」って、なんか見放された気持ちになったかもしれないなぁと漠然と思います。
ですから、大事な人がいる人はその人に思いをはせてこの曲を重ねるでしょうけど、そんな人がいない人のことはカワノさんが引き受けてくれると宣言してくれることはとても頼もしいですし、恥ずかしい表現かもしれませんが、自分が彼から親愛の感情を注いでもらえていることが嬉しくて、この曲に自分とCRYAMYの姿を重ねられるんですね。
きっと同じ気持ちの方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。そして、この曲に限らず、楽曲中の「あなた」に自分を重ねることができる歌を書いてくれるカワノさんを僕は尊敬しています。

「サビ」

「君のために生きる」という君のためにできる限り

WASTAR

この一行で書きたいことが多すぎます!一つずつ書き記していきたいと思います。

まず、「君のために生きる」という強烈なワードです。恥ずかしいぐらいにまっすぐな言葉ですし、カワノさんはどの楽曲でも丸裸の率直な意思表示や決意を述べた歌詞が登場しますけど、「自分自身が生きる」というワードについては(他社の生を願う歌詞は数あれど。)明確に避けられてきたような気がします。それがこうしてまっすぐに歌われた事実は衝撃的なのではないでしょうか。
同時に、これまでCRYAMYを聴いてきた方々が一様に連想するのは「ディスタンス」の印象的な歌詞ではないでしょうか。「生まれてきても、生きてきても、よかったと思ったことはない」と断言される、CRYAMY初期を代表するアンセムの一つですが、そんな状況を乗り越えたかのように、「WASTAR」の歌詞は響きます。
しかし、僕個人としては、カワノさんは全然、自己否定を乗り越えてはいないと思うんですよね。ワンマンライブでの「俺の歌から悲しみが消えることはない」という過去を引きずって生きていくことの表明のような言葉がありましたし(その後に演奏されたのが「テリトリアル」だったのもなんだか示唆的でした。)、最新の「音楽と人」でのインタビューでは、他人と(過剰なまでに)しっかり一線を引くことを語ったり、冒頭からあっけらかんと「夢叶えました」発言も飛び出すなどと、ぶっちゃける話のシリアス具合は以前より増してる気がしますし、続く発言で「不干渉」とか「一線を引く行為」がもたらした「君のために生きる」という歌詞であることがうかがえます。(この辺詳しく掘ってほしかったな…。)
この辺りを考察するのは難しいですけど、しいて言うならカワノさんは自分の正義や理想を誰かと共有したり、認めてもらうことをあきらめたからこそ、開き直って自分に素直に、かつて先をつづることをあきらめた(こちらもインタビュー中での発言でしたが、カワノさん自身が「#3浮いてる」と発言していたのにちょっと驚きましたね…。むしろスタンダードな一枚だと思ってました。)「#3」の頃のように、理想や正義を朗々と歌い上げ掲げて、世界に対峙するような歌を歌えるようになったのかなと。
これまでも鋭さや残酷さを振りかざす歌を数多く書いてらっしゃる方ですけど、本来の彼の人間性はむしろこの楽曲に見受けられるような温かい人柄なんでしょうね。そんな姿がこれからは少しずつ多く見られていくんでしょうか。

あと、これはあくまでリスナーの側により過ぎた的な解釈になってしまうかもしれないのですが、カワノさんってこれまでのバンド活動で大いに満たされたのかもしれないなぁということです。
インタビューでの発言にもありましたけど、バンド活動における夢の大半をかなえてしまって、満足したからこそ、これまでの歌詞のように自己否定や悲哀の色の強い楽曲だけではない側面を出せるようになったのかなぁと。そしてそれは人気の上昇やリスナーの数が増えたこと、なによりお客さんとのつながりを実感できるような環境になってきたことに起因するのかな、と僕は感じました。
もちろん、先ほど書いたように彼の悲しみが消えることはないでしょうし、ライブで演奏されている「#4」収録予定の「マリア」のような鋭く過激な歌詞の楽曲もありますから、カワノさん自身のドライで冷酷に世界を見つめる視点というものは変わらず、新たな方向に楽曲のベクトルが切れるようになった喜ばしい変化だと僕は受け止めています。ひょっとしたら過去の身もふたもない絶望、みたいな歌を彼らに求める人は寂しく感じる変化かもしれませんが、僕は今まさに変わろうともがいている彼らのことも応援したいと思っています。
なにより、カワノさんのそういう素晴らしい変化に、僕たちCRYAMYのリスナーの存在があるとするならば、自意識過剰かもしれませんが、少しは彼に恩返しのようなものができたのかもしれない、とうれしくも思えますね。

そしてもう一つ。この歌詞の構造の巧みさについてです。
一見この歌詞はカワノさん自身が「君のために生きる」と宣言する歌のように聴こえますし、事実、カワノさんはこの曲を歌う前に「お前のために歌う」と宣言されていましたけど、歌詞の切り方や、カワノさんが過去にインスタグラムに挙げていたこの楽曲の歌詞の草案での歌詞のつづり方を見ると、また違った解釈が可能です。
その解釈というのは、カワノさんは「「君のために生きる」と告げてくれた誰かのために、できる限り生きていく」と歌っている、というものです。というのも、カワノさんのインスタグラムに乗せられていた「WASTAR」の歌詞は、「「君のために生きる」と言う君 のためにできる限り」と、一見不自然な切られ方をされているんですね。
この楽曲は再三述べているようにカワノさんの決意を表明し、理想を掲げて世界と対峙することを宣言する楽曲だと解釈していますが、その真の意味は「自分を救ってくれた誰かに真摯に尽くす」ことを歌っているような意味とも受け取れなくはありません。っていうか受け取れると思います。
そしてこの解釈は、カワノさん式人間賛歌にみられる、ある人間の側から一方向的に誰かを思いやって実存を肯定する歌詞とはまた違って、今度は彼が誰かから受けた真心に対して、また真心で接する歌詞という、似ているようでまた違う新しい歌詞世界を構築していることも示しています。これが実は僕の思う大きな変化(というより進化!)ですね。
「人間が互いを生かしあう世界」は「世界」や「まほろば」の歌詞でも触れられていますが、「世界」が愛情を与えることを賛美する歌詞で、「まほろば」の歌詞が受け取った愛情を描く歌詞だとするのならば、「WASTAR」はその両方…双方向的な愛情の伝達を、実に簡潔で、かつ巧みに描いた歌詞構造になっているんですね。

このように、非常にまっすぐで素朴な一節ながら、二つの解釈が共存する(どちらかではなくて、共存です。)強烈で素晴らしい歌詞をサビの一節に持ってこれていることから、カワノさんの優れた作詞能力がまた一つ上のレベルを志向して消化されたことがわかります。そして言わずもがな、メロディがめっちゃいいですね…。ポップで、かつ美しい…。

そして何も変えられず暮れちまっても
当たり前に愛してるよ

WASTAR

カワノさんって、人が人のために尽くす行為の尊さや美しさをよく歌詞で描く人ですけど、不思議なほどにそれがもたらす結果について言及する歌詞ってなかったんですよね。その気持ちや心の美しさを賛美すること歌うことが多くて、その結果は驚くほど問わない、みたいな。
この歌詞にその思想の一端が出ている気がします。君のために生きて、その結果「何も変えられ」なくてもかまわない、と、この曲で初めてはっきりと書いてるんですね。たとえそれが何の意味もなくても、それでも愛してる、と。
これは「red album」にも関連してくるんですけど、「red album」の楽曲は概して、誰かとの交流が悲劇的結末を迎えてしまうことがほとんどです。誰かに尽くしたり、思いを持って接することが何か役割を果たし、必ずしも報われるとは限らない…ということを示しているとも取れます。
この過去の楽曲群の悲劇を踏まえながらも、「いや、それでも俺はあの人たちのことを愛しているよ」と告げるようなこの歌詞は、カワノさんの人間に対する基本的なスタンスを示していますし、同時に、彼自身が「CRYAMY第一期完結」を唐突に宣言した直後に発表される楽曲の歌詞でその思いの一端をより踏み込んで描いたことは、実は大きなことなんじゃないでしょうか。
…でもカワノさんは、矛盾するようですけど、多分自分のする行為に限っては、何もできなかったときに責めてほしい、ってタイプだと思うんですよね…。「red album」なんかはその悲劇的結末を迎えた自分自身を強く責め立てる歌詞が多いですし、「音楽と人」でのインタビューでは「マリア」の歌詞を引き合いに出して「何も成し遂げられなかった場合は自分を刺してほしい」といったことまで言ってるわけですし…。
僕らリスナーは、彼らに限らず音楽家の織り成す楽曲から多くの感情や感覚を受け取ってきました。たとえそれで日常の生きづらさが解消しなくても、人生を劇的に好転させなくても、決して何も成し遂げられていないなんて思ってほしくはないんですね。僕らはそんな彼らのことを当たり前に愛しています。そしてきっと、彼らも僕らのことを、これからも当たり前に愛してくれるんだと思います。信じています。

楽曲のアンサンブル的なことですと、疾走感のあるビートがサビでハーフイートになって一気に重たくなりますね。CRYAMYにはこれまでこういった展開ってなかったんじゃないでしょうか?「PINK」が近いような気がしますが、あちらは全編通してヘビーな展開ですから、少し意味が異なりますけど。「WASTAR」はテンポを落とすことでメロディをより際立たせるためのアレンジのような気がします。
この展開の仕方は2000代エモやポップパンクに近いですね。そういえばカワノさんは近頃よくマシンガンケリーやアブリルラヴィーンの新譜について言及されていました最近のポップパンクリバイバルでかつて覇権を誇っていたポップパンクというジャンルが再注目されているんですが、最新の洋楽もよく聴いていらっしゃるみたいなので、影響を受けているのかもしれませんね。

最近リリースのポップパンクリバイバル。サビでビートが重くなっています。

2000代ごろの現役エモ・ポップパンクバンド。こちらも近い展開をしています。当時の王道の曲展開だったのでしょうか。

先日サブスク解禁をして話題になったmy hair is badの代表曲、「真赤」も実はこの展開。久しぶりに聴いたけどシンプルにいい曲っすね…。声質が素晴らしいです。
余談ですが、マイヘアのサブスク解禁は熱狂的なファンの間でちょっとした炎上みたいな状態になったそうですね。個人的にはもうCDだけで音楽を成り立たせるのってすごく難しいことだと思ってて、これをとやかく言うのってファンのエゴでしかないと思うんですが…。CRYAMYもサブスクをやっていませんけど、今の時代、サブスク解禁はほぼ必須と言って過言ではない世の中の空気ですから、いつかは解禁したりするんでしょうか。

「Cメロ」

再び疾走感のあるビートに回帰して、リードギターはイントロのフレーズを単音で反復します。最後のドラムとベースのメロディに寄り添った演奏が次の段階への心地よいフックになっていますね。

下らなくなったらなんだって捨てればいいよ
別に命なんて懸けなくていいよ
つまらなくなったらいつだってやめればいいよ
別に命なんて懸けなくていいよ

WASTAR

投げやりでやけくそ気味な表現なのですが、思いやりを感じます。個人的にこの楽曲の一番のパンチラインではないでしょうか。強烈に胸に突き刺さってきます。
これはサビの「誰かのために生きる」ことに対するカウンターになっているのではないでしょうか。人に精一杯尽くす人間のことを賛美しながらも、そこに「命を懸ける」ほどの深刻さを、何からも強いられることはないよ、という、カワノさんなりのメッセージのように受け取れます。
たしかに、人を愛することっていうのは理想を言えば自然であるべきなんですよね。義務や使命感で誰かを愛する必要はなくて、そもそも人を愛するという感情自体がごく自然的に湧き上がるものですし。
この楽曲で描写されている愛情は先ほども述べたとおり、双方向的なものであると僕は感じるのですが、自分を愛してくれた人に尽くす、愛するよう努める姿を素晴らしいことだ、と描きながらも、決してそこに義務や使命を課すことはしないよ、と伝えるような歌詞になっています。

あと、僕個人の感想なんですけど、最近ではSNSの発達でアーティストとの距離が近い場合がほとんどですし、YouTuberがモノやパフォーマンスの対価としてではなく、ファンから直接的に投げ銭でお金を稼ぐことがスタンダードになりつつあります。そこには応援しなくちゃ!支えなくちゃ!みたいな義務感みたいなものが生まれているシーンも多々見受けられると思うんですけど、僕はあんまり好きじゃないです…。「推し」って言葉もなんかアイドルに貢いでるみたいでちょっと…。
それこそこの楽曲で歌われているみたいに、義務感とか使命感じゃなくて、自然と湧き上がる感情でアーティストを応援するのが当たり前のことですし、アーティスト側もただ真摯に作品を届けることに意味を見出すような人が正しい在り方なんじゃないかなぁと、最近の様子を見て思ったりもします。
そもそも僕はアーティストはある程度神秘的で手が届かない存在でいてほしいんですよね。同じ土俵に生きている人じゃだめだ、っていうか。もちろん人間性や性格が魅力の方もいらっしゃるんですけど、あんまりそんな人はいないですし、そもそもSNS程度で垣間見える人間性ってどうなの、って思っちゃいます…。あと最近の若いバンドマンってツイッターがダサいし格好悪くて、見てるとどんなに素晴らしい曲を書いていようが人間性が陳腐すぎてダサく感じてしまいます…。僕が昔好きだった志〇遼平さんとか、一時期自分のことを称賛するツイートをリツイートしてたりしてて、毛皮のマリーズは大好きなんですけど、それでちょっと嫌遠してしまったところがありますし…。
カワノさん、昔やっててすぐやめちゃったんですけど、ツイッターはもうやってほしくないな…。やらなそうですけど…。たまに下ネタやしょうもないこと書いたり、意味不明なことを言ったりもしますけど、インスタグラムでとりとめもなく日記書いてらっしゃるぐらいが僕は好きです…。

「2番ヴァース」

断言するけれど今でも苦しいよ たぶんもう死ぬまで癒えないよ
それでもいいとかマジで思えるのは あなたがいるのが嬉しいからだ
あなたといられて嬉しいからだ

WASTAR

一行目の一節もまた過去の楽曲とのリンクを感じさせますね。「テリトリアル」のサビの歌詞だと思います。
先ほども書きましたけど、抱えている傷や痛みが癒えることはないということを告げています。「red album」でCRYAMYの楽曲を通してようやく結実したカワノさんの思いとの連続性をここでも感じることができますね。変化は伴うけれど、根本は何一つぶれていないことがわかります。
そしてこれはライブのMCでも触れられていた内容ですね。そう考えると、カワノさんって自分の思想や考えをライブでたくさん語ってくれる人ですけど、そういう考えを楽曲の歌詞にはできるだけ詳しく反映させたい人なんじゃないでしょうか。良くも悪くも意思表示を徹底的に言葉ですることが、これが楽曲の説得力を高い次元まで高めることに一役買っている気がします。
そして、続く歌詞で、その痛みを抱えながら生きることも、かまわないと断言するんですね。「マジで」という口語調の歌詞が少しかわいらしくて特徴的です。カワノさんってたまにこういう気の抜けた表現をシリアスな歌詞の中でいれこんできたりしますよね…。僕個人的には、こういう表現がぐっと生々しさを高めていて好きです。
そして、他人との交流の中で負ってきた痛みの人生を肯定するのも、また他人の存在だと言い切っています。これはものすごい愛情表現なんじゃないでしょうか。そして、ただまっすぐに愛情を伝える歌は数あれど、ここまで明確に根拠を示したうえで、詩的な表現など一切なく、虚飾なく「君といられてうれしい」と告げられる人や歌はこれまであったでしょうか…。改めて、ものすごい歌だ、と感じています。

「Dメロ」

ドラムがマーチングバンド風のリズムを刻んで、静かな展開へ。淡々としたベースとギターの何とも言えない不思議なコードが、最後のサビの前の印象的なメロディを歌う展開をエモくなり過ぎず、不思議な浮遊感を演出する空気にしています。
このギターの感じは「世界」の記事でも挙げたradioheadの「just」のギターソロ前のカッティングの展開にそっくりですね。アウトロでも「just」アウトロを彷彿とさせるレイさん必殺のオクターブフレーズが登場しますし。

だから泣かないで 無理しないで なにも不安に思わないで
どこで暮らしたって どうなってしまったって あなたって素敵ですね

WASTAR

最後はこの歌を総括する一節になっています。歌詞に呼応するように、カワノさんの歌声も、ファルセットを駆使してこの楽曲の中で一番穏やかに響き渡っていますね。
地味に特筆点は「あなたって素敵ですね」という歌詞じゃないでしょうか。ここまではっきりと明確に他人を肯定する歌詞が登場するのもこの楽曲が初めてのような気がします。
CRYAMYの曲って、他人を肯定したりも否定したりもあんまりしないと思ってます。ありのままを許したり、世界の正しい姿を示したり、人の美しさや醜さを突き付けたりはしますけど、決して二元論では議論を展開しない、というか。
しかし、この一節はそんな彼らの特徴からまた一歩抜け出して、明確に「素敵な人だ」と言い切っています。どんな意図や気持ちを持ってこう言い切ったのかはわからないですけれど、「だから」で歌詞が始まるように、これまでの歌詞の流れで双方向的な愛の成り立ちが成功した、とみると、その相手を無条件に肯定するというのは、愛情の在り方として正しい姿ですよね。

「ラストサビ~アウトロ」

歌詞はサビのフレーズの繰り返しで、最後の最後に「愛してるよ」と絶叫して疾走、アウトロへ。イントロのフレーズを再度弾き倒しながら、リズムが変化していってアウトロがどんどん展開していきます。
最後は再びハーフビートになって、イントロのギターフレーズのメロディをファジーなオクターブフレーズでノイジーに掻きむしります。ファズに加えてたぶんオクターバーも踏んでいるんでしょうか?金切声のようなノイズも混じっています。再三述べてきたradioheadの「just」的な、暴力的で雑然としたノイズに近いフレーズが楽曲を埋め尽くします。

この記事ではライブ版で。調べたところこの楽曲はギターのジョニーグリーンウッドが指揮を執って作られたもので、radioheadメンバーの感触としても出色の出来だったらしく、ポストパンク~グランジの影響下にあった初期radioheadの一つの到達点と言える楽曲と言えますね。
この後歴史に残る名盤「OK computer」をリリースして一気にレジェンドたちへの仲間入りを果たすradioheadですが、このロックバンド然とした時期のradioheadは高い評価を得たとは言えず、相当苦しんだとか。でも、だからこそその空気がその時期の楽曲に反映されて、緊張感のあるロックサウンドが奏でられているともいえるのではないでしょうか。
そして、その時期の楽曲をカワノさんが好んでいる理由も、CRYAMYの音楽を聴いていると何となく伝わってきたりしますね。

また、レイさんのギターノイズをもアンサンブルのパワーに変えて、それ以上に潰れ切った声でカワノさんの「君のために生きるという」の、先ほどの絶叫以上に壮絶なシャウトがこの楽曲を〆ます。ここのシャウト、めちゃくちゃかっこいいです。シャウトっていうか、もはやスクリーモに近い、喉をつぶすこともいとわないとばかりの絶叫…。ライブでも聴けるこのカワノさんのありえないぐらい狂気的なシャウトがついに音源にもパッケージングされたことにテンションが上がってしまいます。

シャウトと言えば、カワノさん、日記で7曲をすべて一日で録った、っておっしゃってましたけど、この一曲だけで喉をつぶしてしまいかねないほどのテンションですね…。ほかの六曲のうち僕が聴いたことあるのは「ALISA」と「マリア」と「悲しいロック」なんですけど、まぁどの曲も絶叫してるんですよね…。まぁ二時間ありえないテンションでぶっ通しで歌い切ったこともある彼なので、大丈夫だったのかもしれませんが…。

余談①第二期CRYAMYと「orbital period」以降のBUMP OF CHICKENの類似性

ツアーファイナル後、突如「第一期終了」を宣言したCRYAMY。その後リリースされる「#4」が一体どのような作品になっているのかは発売を待たれるところですが、「WASTAR」と2022年のカワノさんの姿勢から、「#3」期に垣間見えた「他者との人間としての営み」や「世界と対峙した上で掲げる人間賛歌」の側面をより強めたものになるのではないか、と予想されます。
この変化は、バンプの「orbital period」以降からの歌詞性の変化に近いのではないでしょうか。今でこそ「orbital~」以降のバンプの歌詞性がスタンダードなものであったり、むしろ過去の尖っていたころの藤原基央さんがネタにされていたりもするのですが、最初期のバンプはどちらかといえば内省的で葛藤を素直に歌詞に反映させたバンドでした。
僕が長々と駄文を連ねるよりも、数多くの優れた評論家の方が指摘していますので是非調べて参照してほしいと思うのですが、「orbital~」以降のバンプの視線は明らかに外の世界へ向けられたものとなっています。サウンドもこのころから洗練されたものに変わって、良くも悪くもこれ以前のような荒々しいものからは脱却した印象です。
CRYAMYの「WASTAR」も、双方向的な人間の思いやりという新たな視点から作られた歌詞で、サウンド…というかメロディも、よりメロディアスで美しいものが並べられるようになりました。まだ「#4」の全貌を把握できていないので何とも言えなのですが、明確に変化を迎えつつあることは感じ取ることができると思います。
両者に共通するのは、「大衆向けにかじを切った」とか「昔の良さが消えた」という単純な話ではなく、「自分の世界をより外に拡張し始めた」という点で、歌詞のメッセージや音楽的なジャンルは違えど、近い現象が起こっているのではないかと僕は考えています。年齢的にも「orbital~」リリースの時藤原さんは28歳、カワノさんは25~26歳で近い年齢ですし、物の見方が環境や年齢を重ねることで変化する時期の渦中にいる年齢です。
あと、カワノさんもほかの多くのミュージシャンたちの例にもれず、バンプ大好きみたいですし。勝手なイメージですけど、カワノさんはバンプも初期の方が好きそうです…。

余談②カワノさんの声について。あと、カワノさんのシャウト

そもそもカワノさんの声質ってすごく独特なものだと思うんですよね。太過ぎず細すぎないし、低すぎず高すぎない、重すぎず軽すぎない…こう書くと全部中途半端みたいでいやなんですけど…なんというか、言語化できないんですけどとても不思議な声なんです。
なんというか、中性的なんですよね。男性の声ではあるんですけど、女性っぽいか細い声の響きをする瞬間もありますし、それが歌詞も相まって胸を打つんですよね。これがぶっといゴリゴリの嗄れ声だったらそうはなってないでしょうし、最近はやりのハイトーンボイスでもそうでしょうし。力強さの中にほのかに感じる女性っぽさがキーな気がしています。
あと、そもそも音域がめちゃくちゃ広いです。そして広いのに声が甲高くなって細くなることなく、太さを保ったまま伸びてくるし、極めつけは絶叫すればエモいし。ファルセットで伸ばすところも美しいです。
でも、ここまで書いておいてあれなんですけど、上に挙げた特徴とか持ち味においてはより高次元のシンガーが多くいるのも事実です。現在ポップシーンを席巻していたり、大衆からの支持を集めているシンガーたちは、曲の好き嫌いはありますけど、やはり素晴らしい声をしていますし。
けれど、たしかに声質の素晴らしさとか、歌手としての完成度の高さで勝負できるタイプのボーカルではないと思いますし、「天才」と評されてきたミュージシャンたちと比べても優れたボーカルだ、とは決して断言できないのですが、ボーカルとしての声の特徴という部分で言うと、十分な武器を持っているといえると思います。

そして、僕がボーカリストとしてカワノさんならではのオリジナリティだと個人的に思っているのが、カワノさんが見せるシャウトなんですね。
CRYAMYの楽曲はカワノさんが絶叫しているものが多々登場します。たぶん大方の曲でカワノさんは叫んでるんじゃないかというほどに(というかCRYAMYの曲は音域が基本的に広いので、叫ばざるを得ない?)これでもかと絶叫しています。
このシャウトなんですけど、こちらも声質同様に本当に絶妙な部分をついています。野太くてざらついていてパワフルなハードロックバンドのボーカルのようなたくましく荒々しいシャウトとも、エッジの立っていてぶつぶつと喉で歪んだハードコアバンドのボーカルのシャウトとも、ともにキャラクターを異にしているキャラクターなんですね。
近いキャラクターで言うと、90年代エモパンクや、2000年代インディー・ガレージロック的な、少し情けなくて、調子っぱずれ気味なか細さが繊細さを表現しているような、あのシャウトに近い気がします。

このようなイメージです。伝わるかな…。
ローファイでナローなサウンドもCRYAMYのキャラに近いですね。cribsは導入編でも名前の出たスティーブアルビニがレコーディングした作品をリリースしていたりします。


ことボーカルのキャラにかぎって言及するのであれば、やはりweezerのリヴァース・クオモのボーカルも外せませんね。決して歌がうまいわけではないんですけど、必死に叫ぶように歌われる声は甘酸っぱさで胸を打ちます。

こうして書いてみてもやはりたとえるのが難しいのですが、カワノさんのシャウトって決してものすごくパワフルではないんですよね。ライブだと顕著ですけど、生で聴くと壮絶で圧倒的に響く叫びであることは疑いようがないのですが、その声質や歌唱が特段に異次元のクオリティというわけではないと思っています。
けれど、一方でカワノさんならではの個性も同居した、唯一無二の絶叫であることも強く感じます。本当に知識不足で、適切な言葉が見当たらないのが悔しいんですけど、あえて言うのであれば「感情の重心が重くのしかかった叫び」と僕はあえて表現したいです。
ただ単に迫力やうまさの範疇では測れない、そこから逸脱した言葉にできない部分…生々しくて人の心をダイレクトに殴ってくるような声は、僕はこれまで聞いたことがなかったです。これはもう声質とか歌のうまさ以外の、カワノさんが音楽や僕らリスナーに向き合う姿勢であったり、楽曲に込めた感情や意志であったり、そういう見えない部分が絶対に反映されているんじゃないかと思っています。少しオカルトチックですが、僕は結構そういうのを信じるタイプです。
あまりうまく説明できた気がしないですが…、僕はこのように思っています。そして以前の記事でも書きましたけど、ボーカリストとしてのカワノさんの成長はここ数年で著しく、今や歌唱力においてもかなり高次元の部分に差し掛かっている段階に来ていますので、今後の成長も楽しく見守っていきたいなぁと思っています。
「WASTAR」のアウトロのシャウトが僕的にかなり胸に来るものがあったので、こうして長々と書かせていただきました。

とまぁ、ここまで書いておいて…って話なんですけど、そもそもカワノさんの最大の武器はこういう「小手先の技術」的な部分ではなくて、その精神性とメロディと歌詞による楽曲の強度です。それに、先ほど述べてきた事柄も、おそらく長い時間をかけて遂行して出来上がった歌詞と、そこに乗る感情のこもったメロディ、なにより人間と世界に対峙するカワノさんの持つ鋭くも穏やかな精神がもたらすものなのかなぁと思っています。

おわりに

結果的に「世界」以上の文字数になってしまいました…。一曲について書き始めても、ほかの楽曲とのリンクや、過去との違いなど、様々なことに言及できてしまいますね…。
「#4」の発売までもうあと10日。皆さんと同様、僕も楽しみに待ちたいと思います。出来たら発売日までにそれなりに記事を充実させたい!

ではまた次回もよろしくお願いします!

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