女性用のトイレは女性のもの。

身体と心が違うのは、誰のせいでもないよ。
誰だって、心が頑張ろうとしてるのに身体が動かなかったこととか、悲しいのに無理に笑っちゃうこととか、あるじゃない?
心で描いた理想と、自分の身体の違いに絶望したこと、あるじゃない?

それとおんなじ。おんなじだとおもうよ。

「あの子みたいに二重になりたい」も
「あの人みたいに格好よくなりたい」も
みんな同じだと思うの。

そんな思いしてるの、みんな。
平等ではなく公平な世の中であることが、
1番良いと思うの。

「身体が男で心が女だから、私は女」
良いと思う。でも、だからって女性用のトイレやお風呂を使うことは、それは公平ではないよ。
過ぎた平等になっている。

平等:みなが等しく差別ないさま。
公平:かたよらず、依怙贔屓のないさま。

身体が男で心が女だから女性用のトイレやお風呂を利用するのは、それは周囲の女性の安全性を損ない、特殊な人たちに贔屓していることになるのでは?

1番、1番良いと思うのは、
性差がある部位をね、付けたり外したりする手術を、全て保険適用にすれば良いと思うの。
簡単な事じゃないのは分かるけど。
病気じゃないことも分かってるけど。
でも「そうしたい」のなら、すればいい。
二重手術と一緒だよ。
「私の一重をあの子みたいに二重にしたい」
「私も本当の女の子みたいに身体を女にしたい」

自分が要望して、変える。
何が違うの?

今では二重手術も保険適用になったりするから、
性転換手術も保険適用にするべきだよ。
何が違うの?

日常生活の不具合を改善する目的がある手術だよ?
心が女なんだから、女性用のトイレやお風呂に入れないのは、立派な「日常生活の不具合」でしょう?

話が少し変わるけれど。

2歳児クラスを担当すると、トイレトレーニングが始まって、必ずと言っていいほど、私は子どもの性別を子どもに聞きます。

「あなたは男の子?女の子?」

かならず1人か2人は、自分の性別が分からない子がいます。
それは、お家で聞かれない質問だし、なにより子どもたちにとって性別は些細なことだから。そんなこと今まで気にして過ごしてないんです。

異性の兄や姉がいる子は、そちらにつられてしまう子もいます。

そういう時、ベテランの先生は
「あなたは男の子でしょ」
「あなたは女の子でしょ」
と言います。

でも私は、そうやって決めつけることは違うと思う。人それぞれ、性別は違うし、周りが決めることではないから。

でも、これから年齢が上がると男の子は立つトイレが多くなるし、女の子は座るトイレが基本になる。

違う方のトイレを使って、周りの子がはやし立てないように保育士が伝えても、それは一時だけで、小学校に上がったら保育士は子どもを守れない。

だから私はこう伝えています。

「心は分からないけれど、身体は女の子(男の子)だからこっちのトイレ使おうね」

これが今の私の精一杯。

自分の体の性別を「知る」1歩を伝える仕事。
心の性別まで、私たちが決めていいものじゃないから。

女性用のトイレやお風呂を使おうとする、身体が男の人にも言ってあげたい。

「心は分からないけれど、身体は女の子(男の子)だからこっちのトイレ(お風呂)使おうね」

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